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かきたくなるとき

いろんな本を読んだり、いろんな絵をみたり、
山に登ったり、旅人と話したり、
日々のいろんな刺激から思考が始まり、

頭の中に文字がいっぱいいっぱいになってしまって、
ああ、もう・・・・苦しい!!!

ってなるから書き始めたのがfacebook

もともと海外の友達と繋がるためだけに始めたのに、

途中から自分の信条とか、生き方とか、
考え方とか、良いと思ったものを、
頭から爆発しそうだったから、
だだだだだ!と吐き出すように書いてた。
だから大体の自分のfacebookの文章を見返すと
「!」が多いこと。笑

美しい絵を、瞬間を、人を見たとき、
どうしてあんなに描きたくなるんだろう。
美しいものを永遠に閉じ込めていたいと、
「美しい」を形にしたいと、
ミュシャも、きっとモネもゴッホも、
紀元前のポンペイの遺跡に住んでモザイク画を作った職人も、
きっと同じことを考えたんだろうな。

そう思うと何百年も、何千年も前の人と、
同じ感覚、同じ気持ち、同じ目線を体感しているみたいで、
とても楽しい。
人間なんて、国が変わろうが、時代が変わろうが、
年齢も性別も、
美しいを愛する世界の中では、なんの垣根にもならない。

てなことを考えると、
しゃべり方が変わってるとか、
動き方が変わっているとか、
考え方が変わっているとか、

全部周りから言われてきたけど、

子供時代はいろいろと悩んだけれども、
本当にしょうもないことを言われてきたんだあ。

と今ならわかるし、
自分もそんなつまらないボーダーラインで
人を分別しないようにしよう。
と反面教師。

人は現象や、宇宙を、自他を、全てをラベリングしたくなる生き物。
人が理解できなければヒトダマという怪奇現象となり、
人が地面から発生したガスに火が引火したと理解すれば、
それは単なる自然現象となる。

「不安」が人をコントロールするときに、人はラベリングをしたくなる。
そしてその不安を理解して、「安心」を求めたいと。
確かにそれは人間だけの防衛本能かもしれないけど、
人の不安をすべて安心に変えるなんて到底不可能。

いっそのこと不安さえも楽しめるといいよね。
そう考えると人こそ一番奇となる生き物だと読んだことがある。
ほんとそうだと思う。

自分の判断基準が狭いと、井の中の蛙。
自分の判断基準が広ければ、
人間なんてどの年代も国も、地域も、ほんっとに関係ないくらい、
みんな同じ。

だから雑学や知識を集めるのが楽しくて仕方ない。
たとえば人の心理段階を知っていれば、
相手の気持ちが大体予想できるし、

楽譜が読めて、曲調がわかって、楽器が弾けると、
大体次に来る音とリズムが予想できるし、

性別・年代別にいろんなタイプ・趣味嗜好の人と
出会って、話して、理解して、対応していれば、
どんな人がきても相手のことを理解できて、対応できる。
(好き嫌いはあるけどね笑)

だから色々と経験したくなるし、
知りたいと思います。
今までもこれからも、
それが私の生き方のひとつ。

やっぱりそれならせめて英語だけでも話せないとなあ。
日本語の知識だけなんて、
人生もったいないよなあ。

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