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私は不幸は買わない

月に一度の絶不調デイズである。
最近はこういう日は無理せず予定をつめないことにしたので、
今日はゆっくり家にいる。

だけど、体調がいまひとつのときは心もいまひとつだから、
私の場合
「時間がある+動けない+ネガティブシンキング」のときは危ない。

ネットニュースでも暗い話ばかり読む。しかも連続して。
事件、戦争、虐待、貧困。いじめ。
指が次から次に、暗いほう暗いほうへと動いてしまう。
敵意のなかに取り残されたような感覚になるくせに、心はそちらへと不思議に動くのだ。

これは、午後の穏やかな時間帯に、血なまぐさい事件のワイドショーがウケるのと同じ心理らしい。

テレビのなかで繰り広げられる陰惨な世界を、視聴者は安全な場所でリラックスしながら見るので、【私よりもっと不幸な人がいる】という安心を得られるから、見るのだとのこと。

たしかに、私の母などは煎餅をかじりながら
「世の中にはひどか人のおるねえ」などと、のんびりとお茶をすすりながら、ワイドショーを見ていた。

私だって、その一員である。
ゴシップや噂話に興味はやはりあるから。


自分のなかにある闇や小さなささくれに、気づかぬふりをしながら過ごせるから。

私はまだマシ、と後ろ暗い幸せに浸れるから、だろうか。


私も今日、気づいたら1時間くらい「暗い話ネットニュース」に奪われていた。

そして、そのネットニュースなかに仕組まれている広告。

こんな世界で成功するためには、
皆から一歩抜きん出るためには、
これを買いなさい、との情報たち。

お金持ちが○○をやる理由。
楽に稼げる○○。
まだ○○使ってるんですか。
45歳すぎたら○○。
○○で人生が劇的に変化、など。

普段なら気に留めない広告に、気づいたら長い時間目を奪われていた。

危ない危ない。

もってかれるところだった。

不幸なニュースを見たあとには、
これらの広告が救世主のように思えるだろう。
そういう仕組みなのだろうと思う。

「暮らしを良くするには○○をしなければ」
「○○を取り入れれば、明日は変わるかも」

そうやって、逃れようとすればするほど「不幸」に結局、心を囚われていくのだろう。


ベストセラーになっている「FACTFULNESS」を読むと、いかに広告に私たちが踊らされているかを感じることができる。

1つの悪いニュースには、10のハッピーなニュースが隠れている。

悪いニュースは、もちろん嘘ではなく実際にあったことで、本当にいたたまれない。

でも、間違っていけないのは
「世の中悪いことばかり」だと思い込むことである。悪いことももちろん起きている。だけど、良いことも起きている。

良いことはあまり報道されない、のもまた真実だからだ。

スマホにある「人生が変わった○○」を閉じ、改めて思う。


私は不幸は買わない。



暗い気分で焦ってモノを買うのではなく、楽しくお金を使おう、と思った日だった。

ピリカグランプリの賞金に充てさせていただきます。 お気持ち、ありがとうございます!