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トラウマケアから2年後 追放者に出会う②

前回は、追放者に出会ったことを綴りました。
今回は、そこまで怖がっていた理由を。そして、理由がわかったからこそ、覚悟を持って次のフェーズに行ける!在り方の変容ができるなと思ったので
その辺りを綴ります。

私が恐れているもの

私と数年の出会いの人は、思考→感性重視に、人が変わったなって思うかもしれないんですが、その変容っぷりに自分が戸惑っていて笑

そのパワフルさや無邪気さを解放したら
・私がどうにかなってしまうんじゃないか
・家族がどうにかなってしまうんじゃないか(娘の病気もトリガー)
・大切な人を失ってしまうんじゃないか という恐れ
があったがために

幼き自分のパーツ(追放者)を迎え入れることが怖かったのだと思います。今、好奇心を持って迎え入れられるタイミングがきたから、認めてあげられるようになったのだと思います。

・家族を失うんじゃないか
・家族を崩壊させてしまうんじゃないかという考え方は結局のところ、
事実ではなくて。そうなる未来もあるかもしれないけどそう捉える必要はなかったわけで。そうしていることにも理由があった。

守ることでの自分の存在価値

自分が自分であろうとすることで起こる、この恐怖感たちは
メリットがあったから、自分に取り入れていたわけで。
だからこそ、無意識にセーブをかけて、思うような馬力で動かなかった。
動けなかった。

私が間違った振り切り方をすると、娘を失うかも知れない。
家族のパワーバランスが崩れるかも知れない。そこに恐れがあった。

この状況下で得ていたメリットは
・自分がいることで自分が家族を守っているという価値
・私がいるから家族が成り立つ
そこにすごい大きな自分の価値を感じていたんだなと思います。
「私がいるから。
そこに存在価値を重きを置いているから」だとハッとしました。

大好きな大好きな家族関係が壊れてしまうことを
私は何よりも恐れている

だから私はバランサーでいたい。

人生で一番大切なものは自分であり、家族。

でも、改めて
今日、言葉をかけてもらって思ったことは
「本当にこの家族は私が取りもたないと崩壊してしまうのか」ということ。

もう私は、自分にも周りにも影響が出てしまう間違った頑張り方はしないだろうし、違和感をキャッチできる力も、自分に戻っていける力ももう持っている。怖がりすぎなくていいんだと、ようやく思うことができました。

2年前の娘の急病については正直、原因は分からない。
本来とはちがう道・やり方でで疲弊をしている母を見て子どもが身を呈してストップをかけてくれたのかも知れないし
同時に、自分で自分が、子どもを守るべき存在としているために
ストッパーとして配置をしていたのかも知れないと

悲観的ではなく、主観的に状況を見つめることができました。

私のせいで病気にしてしまったという自分を責める目線ではなく
次にいくフェーズとして捉えたときに
家族の見方をガラーっと変えることができました。
(捉え方も順序がある。だから、この考え方を採用する必要ないですよ✨)

私を含む内的家族システムのパーツたち、
実際に、この2年間で病気になった娘たち、生涯アトピーの主人。

弱いから、守る。と無意識下で、見ていた家族たちは
とっても強くて、私を愛してくれているということ


なんなら、自分で自分が配置していた可能性もあったなと、自分ごととして捉えられたら

全ての状況は自分から作れるじゃないか。

と思いました。

病気だから、治す。視点も大切だけど
私だけでなく、家族も皆大丈夫!という幸せベースで物事が見たいと
ようやく思えました。

それが私のしたい、本当の信頼。家族関係だと。

じゃあ、みんな健康で幸せなら、私は何がしたい?


遊びたいし、楽しみたい。自分が何よりも楽しみたい。

そして、今、その心地よさの先にあるものを、
自分で自分を見えなくしていたけれど

自分一人という楽しみ方がしたい。というよりは必ず、そこに仲間がいる。

腹側迷走神経で繋がり合える人との交流が楽しみたいし
真の安心感や繋がりを感じられる人が増えてほしいし、
その安心感の中でチャレンジをして行って欲しいんです。
(嫌でもコンフォートゾーン超えていく怖さ・踏み出す勇気がいるからさ笑い)

自分が自分であることに浸ってほしいし、その満たされたもので
循環が広がって欲しいと思っている。(シャンパンタワーだよね)

自分のための心地よさや楽しさ、は起爆剤。
そして、もっと先のこうしたいやこうありたい。人の笑顔や繋がりが
私には持続力につながると気づきました

もう家族や自分にガタが来る、頑張り方はしないだろうし、
人の考え方に染まりきってしまうこともない。境界線は描ける。

人のためにすることが自分のためになる。
そこに存在意義を感じていたから、そうでないことをすることに
違和感を感じ続けていたけど

人のためにすることは自分のためでもあるし
自分のためにすることは人のためにもなる。

まーーじで、どっちでもいい。その時々で使い分けだってもうできる。
バランスを取っっても振り切って動いてもなんだっていい。と

自分の心地よさを感じながら、もっと先の未来を描けなおせるように
なりました。

居場所が作りたい!世代の架け橋でありたい!

全部自分でなくていい、もう在る施設や人に頼る。ことをしていきたいと
思い出しました。

老害や親ガチャという言葉がある。実際にうーんな人もいるとは思う。笑

ただ、冒頭に話していたように
傷を癒していったその先に本当に大きな目線や自分ごととして捉えたとき
色んな発達課題のやり残しやトラウマを抱えたそのことさえも自分を生きるための配置だったりする。

家族がいなければ自分のこの課題を見ようともしてなかったと思うし
対、人がいてこそ考えさせられたり多角的にとか違う考え方とかも取り入れられると思っています。

性善説で全ての人を見つめるの厳しくても、
優しい眼差しを向けられる世の中がいい。

綺麗事かも知れないけど、私は綺麗な世界で生きたいし
違いを認め合いつつも、自分に取り入れる考え方は何か、を提示し合いながら、人と共に成長し合いたいんです。


自分だけでなく、家族も十分に幸せと考えれたそのさきに
自分の立ち回りが全く変わってくるなと思ったし
これから変えていけるなっていう風に思えたすごい希望的な1日でした。

嫌な自分も沢山見たし、まだこんな傷あんのかよとか思いながら
2年間向き合い続けてきたけど、自分を見捨てなくて本当に良かったなって
思いました。

私は私のままで人と繋がり合いたい!

「頑張り屋さんのホットステーション」


一番のコアの願いはここ。
人と自分の中でのバランスを取らなきゃみたいな感じで苦しくなっちゃったり目の前の楽しさだけを見てちょっと先を見ないようにしてたりしてた部分も最近あったんですけど何がやりたかったのかなってなった時に

フラットに話せる立ち寄れる、いわば、やっぱり、
「頑張り屋さんのホットステーション」ここですよね。
あったかい居場所がやっぱり作りたいんだなっていう部分に返ってきました。

なんで絵を描いているのだろう、ただ楽しい。
ただ描いていく中で色んな意味を後付けながらも、意味がついてきています。(なくてもいいんだけどね)

絵ってアートってどんな世代でもできる

誰でも本来は好きで誰でも本来は自由にしたかったもの
そこが詰まってるのがアート・カラーだったりする。



だから私は

居場所を作る人と繋がる為に絵を描いている

というところに今は落ち着いた。
じゃあ、家族を言い訳にして、自分のやりたいことを抑えるのか?違う。
みんな元気でみんな幸せで、その楽しさに巻き込んでいくあり方の方を
私は採用したい。

振り切りすぎて楽しければお金なんていらないよっていうところにも
行きかけてたんですけど、居場所づくりをしようと思ったらお金もいる。
それに今までの無形と違って、画材って高いんです。続けようと思ったら
資金もいる。

本当に目先のお金や物質に興味がなかったんですが、大きな目的に
向かっていく覚悟としての金銭っていうのも必要だった!と思いました。

在り方が変わると、意識は変わる。状況も変わる。

私が私であろうとすることで
私の在り方が変わったここ数年、いい変化の片鱗も実は
娘においても起きているので

ちょっと意識を変えて楽しみながら
絵を繋がりを作っていきたいなと思います。

「自分に矢印を向ける」

そこが難してくて、苦手な人、きっと私の周りには多い。

人がいるから気づきになりますよね。
「自分自分」って最近は発信しているんですが、
そこには大前提、絶対人がいますよね。

きっとこんな長い長文やスタエフを見てくださる方は、
同じような部分で葛藤している人たちも多いと思います。
自分に矢印を向けても、自分のやりたいことやっても大丈夫だよ

そんなメッセージが伝わると嬉しいです。

とは言っても、私も最近そこに体感として腑に落ちたところ

沢山、自分の追放者を癒し、自分のやりたいを夢中でやって
大きな目標に向かっていく。

私がやる。
この体感や葛藤も全て糧になる。

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