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ルートはなんでもいい。想定を超えるには

結局、行きたいゴールっていうのはみんな一緒。
ルートは本当に何でもいいんだよね。
だから、自分のルートを自分で許可をしよう。というお話し。

 私がよく悩む課題。それは、
人と自分の狭間に立って、いかにバランスを取るか

人に行きすぎて自分を見失ったりするのが怖いし、
逆に自分に気持ちが寄りすぎて周りのことがおざなりになるのが怖い。

そして、家族の不調(いわゆるサイン)が起きたりすると、
このまま進んじゃっていいのかな?とよく意味づけをして、
その度に行動の抑制をすることを私はしていた。

サインは道を進んでいく上で見逃さず
つまずかないように気を付けるもの。
ルートの確認だったりには使うし、不調の改善の為にも目を向ける。
だけれど
毎回そこにつまづいて、行く先を見失うのは違うなと思ったんですよね。

私はみんなの居場所が作りたいし、私が私である状態で
人と関わっていきたいっていうゴールが見えているのに、

出来事(サイン)を悲観的に捉えるのはもうやめよう。と思いました。
数年前の、てんかんの娘の症状が出た時も、
ついついそのことが起きてしまった意味や原因を考えていて
その当時はすごい自分を責めていた。

けれど、その時に感じた気持ちが大切だったと振り返って

『どういう気持ちになったのか、どういう方向に自分は行きたいのか、
本当の気持ちを確認するために、 自分はどうしていきたいという望みに
向かっていくための日々の現象』
と捉えるのがいいのかなと思いました。

娘の病気が起きた時に、自己否定しながらも
今後の仕事のことばかり考えている自分に当時
違和感はすごいあったけど
この現象を一つで挫けちゃいけないと強烈に思ったことを覚えています。

これが現象の起こる意味も大事だけど、
本当の願いをつかむために、出来事や現象は起きてるんだなと。

2年前、当時アート活動はしていなかったけど、LPやサロン運営で
お客様が、自分が自分で輝いていくためのサービスはしていて
そこを絶対やめたくない!っていう部分をまざまざと見せられた
タイミングでした。

サロンやLPというサービスが
今はアートというサービスに、ルートが変わった。

本当に、目的に向かうルートってたくさんあるんです。

私は
こう!と決めても、ちょっと時代を先走ってるかなと感じたり、
マイノリティすぎると、みんなに伝わるかな?とか、
ついつい頭で考える癖も強いし行動も躊躇する。

自分も苦しまず人も苦しまないやり方をどうする?とよく探しています。
ただ、
同じように見えない、ま逆に見えることも同じ目的に向かうためのもの
であって、結局は一緒ということを思ったときに、
どのルートで行っても両輪回せるのか、と納得できたんです。

つい最近、自分がちょっと腹を立てたり悲しかった出来事
を2つほど紹介させてください。笑

「利他精神じゃないと仕事は成り立たない」「ビジネス舐めんな」
にグサっと来たんですよ。


私は「人のため」にがいきすぎて自分が分からなくなり
疲弊している人を見てきて、
自分起点でも何かできるんだ!
というのをやりたい。証明したいと思って、舵を切ったのですが、

これも単にルートの違いであって、
結局人が幸せになってほしい、自分も幸せになりたいっていう
目指してるゴールは一緒
じゃないかって思ったら、
いや、そもそも
全然自分にエネルギー回せてないじゃん!笑って思えたんですよね。

そして、②ゴールからの逆算がどうも好きになれない。
ゴール設定からの、逆算。プロモーション、動線をひく、この流れが
人をベルトコンベアに乗せているような、コントロールしてるかのように
私は感じてしまう。

そもそも、これもコントロールではないんですが、
なんで私がこんなに違和感を感じるのかなって思った時に、
一つの流れるルートに、意図的に乗せる感じが、
気持ち悪くて、私の中で。

いろんなルートを見せられないように
感じるのが嫌なんだって思いました。


ビジネスはデザイン志向だ!アートじゃない!みたいなのも
ぐぬぬぬってなってました。笑

アートもオーダーアートとかすごい人のこと考えるし、
私だって、人のこと考えてるよっていう腹が立ったり、
悲しくなったりしてたんですが、

結果みんな人のためは自分のためで、
自分のためで人のためになる
まあまあなんでもいいじゃんっていう風に最近落ち着きました。笑

それこそ趣味や嗜好、ルートの違い。

大好きな方がお話ししてくださってたことなんですけど

逆算志向から結果を求めて、 階段を登っていくために、
結果に縛られすぎたら、 あの時ああだったからダメになったとか、
プロセス自体への否定だったり、 自分への否定になってしまうことが
しんどい部分でもあるよなあと。

私は、今やりたい!をどんどんピンを刺していくやり方で
結局どこに行き着くかわかんないんですがそのルートや過程を楽しみたい。
ピンを次の場所次の場所に刺していったら、 遠回りするかもしれないし、 別の頂上に着くかもしれないけど、 結局山は登れるんですよね。

一つのルートを決めて、 行ったら迷わないかもしれないけど、
じゃあそこが土砂崩れが起きて、 無理だった時に、
じゃあ一緒に山登りしていた人を責めるのか、
戻ってきて時間の無駄だったってなるのか、

目標・目的というゴールの歩み方は
本当に何でもいいんだなっていう風に思ったんですね。
頑なにやらないとかでなく、色々取り入れたらいい話。

私は結果も大切だけど、 プロセスをお障りにするのは嫌。
そして、結果を得てきたもの、 お金だけじゃない。
人の愛だったり、繋がりだったり、限定しすぎて、
小さな豊かさを受け取れないっていうのは、 すごい私は嫌。

やってみようの感覚に従わないのが私は一番嫌なので
周りの声も含め、起きてくる現象も含め、
結構私たちは翻弄されるんですけど
ゴールを自分で定める、その先の得たい感覚を先取りする。
今はピンを刺していきたい、ここからは最短ルートで行きたいとか
道の行き方はそれぞれ。絶対こうしないといけないというものはない。

/
私はその中で私はこんな道を行くよ
近くにお花があったよ
こんな道を見つけたよーみたいな
楽しい中で、道を自分で決めて進んで行きたい。
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そして、やっぱり一人って 寂しいから笑
じゃあそっちの道に行ってみるよ、みたいな人たちがいたら
楽しいなと思います。

 私の気持ちが動くやり方で 自分のやりたい方向に行く。
そのやり方を自分の中で採用して 行きたいなっていう風に思いました。

最初にミッションを作った時も
自分のことを自分が応援できて
周りの人を幸せにできる人が増えたらいいなと
 掲げていて

全然人の応援とか言ってるのに自分の応援できてないということに気づいて 沢山向き合ってきましたが、

やっぱり、まずは私は自分の応援がしたい!
自分の中にうずうずあるものを、 ちゃんと精一杯応援していきたいな


コネクティングドット
Connecting the dots

  • 点と点をつなげること。過去の経験が、その当時は思いもよらなかったことに活かせる状況

  • 点と点が後からどうつながるのか、過去の一見すると無関係な経験が今になって役に立ち、新しいキャリアをつくっていく考え方


打っていくピンが、どう繋がっていくのか
意図を持ちながらも、後でどう繋がってくるのか楽しみたいと思います。

点を多く打っていくこと。その点を育てていくこと。
きっと目的・ゴールには辿り着いている。

想定内より、想定を超えていきたい。


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