その理由
私は、困惑している。
情熱ばかりが溢れて、この泉の水が本当に人の渇きを癒せるのか分からない。それでも私が書くのは、単に人生が何事かを成さぬには長すぎるからというのではない。
私が興味があり、手を伸ばして救いたいのは、この世に生まれてから今まで、私自身ただ一人なのだ。
従って、この物語が誰の役にも立たず、無用でありふれた文字の並びにすぎなくても、私のために必要なのである。私は世界平和のためにこんなことをしているのだ。
私という唯一の拡散した世界のために。
13歳のときだった。私は天使が空から舞い降りるという小説を完成させた。天使の名は、アンジェラ。青く輝く天上から、白いふかふかの翼を広げて、特定の者にしか見えない美しい姿を地上へと降り立たせる。
13歳の少年は、彼女の面倒を見てやり、彼女の手助けをし、過酷な運命を担う天使を慰め、ついには崩壊寸前だった世界を救った。壮大なファンタジーだった。
その頃の私はマンガやアニメの影響を過分に受け、「自分が生まれる必要性の有無」というテーマについて非常に興味を持っていた。私は、他の思春期の子供たちと同様に、自分を特別な人間であると考えると同時に、仲間たちと違うことに淋しさを感じていた。
すなわちアンジェラという天使、純粋で無垢で汚れを知らない天使を自分の本当の魂だと考え、私の本当の姿を見ることのできない大勢の人間に対して優越感と疎外感を抱いた。
しかし、選ばれた少数には、私の本来の姿が見える。彼らには、私の痛みを分かってもらいたい。慰めてもらいたい。そして、生きる動機を与えて欲しい。そんな風に思っていた。
と、28歳の私は、当時の自分についてそう分析する。だから今になって、社会に出て、社交や愛想や金銭やいろいろな大人の事情も分かるようになった今、非論理的で病気としか診断しかねるような出来事にさらされることになるとは思いもよらなかった。
つまり、アンジェラが舞い降りた。
彼女の体は、消え入りそうに軽く見えた。翼はゆっくりと羽ばたき、その動作ではとても人間の体を支えられそうにもなく、すなわち彼女はヒトではないのだと、よくよく思い知らせようとするようである。色素が薄く、常に体から輝きを放っているようにまぶしく、うまく見ることができなかった。金色に輝くウェーブのかかった髪と、ほとんど裸に近い、薄いヴェールをかけただけのような白い衣と細い手足・・・。
全てが私が13歳の当時、小説を書きながらずっと思い描いていたアンジェラの姿だった。そして、瞳だけが真っ黒だった。
天使は、無遠慮に翼の音を立てて羽ばたき、空からゆっくりと下降して、私の部屋の窓辺に降り立ち、驚いた私にめがけて抱きついてきて、まんまと窓から私の部屋に押し入った。
鼻にかかった泣きそうな柔らかい高音で、アンジェラは言った。
「お願いです。助けてです」
その不自然な敬語を使ってしまう設定。いかにもアニメに傾倒した10代の考えそうなキャラクター。
「あなたにしか、できませんです。この世界を助けてです」
ああ、その声。話し方、シチュエーション。全てデジェヴュのようだ。胸にぐっと迫り来る。私はあまりのことにーーーーー気絶した。
目が覚めても、夢の中にいる。
秋の雲のように所在なげな儚い翼が私の体を包んでいた。
正座して心配そうに、倒れた私を見下ろす、黒い瞳の天使がいた。
私は、落ち着こうとため息のような息を吐いた。
冷静になることだ。しかし、夢のなかで冷静であったことなど、ついぞあっただろうか。
「大丈夫です?」
天使が聞く。私は、何度も頷く。彼女の腕を借りて、体を起こす。
「びっくりしましたです!いきなり倒れたんですから、です!」
「「です」が多い。」
「何か言ったです?」
**「「です」が多い!!!」 **
私は、自分でも驚くくらい大声で怒鳴ってしまっていた。
「いや、何でもない。」
私が取り繕うようにそう言うと、二人はしばらく沈黙した。
沈黙に耐えきれず、私は再び口を開いた。
「あんた、誰?」
「アンジェラです。天使です。」
私は、なんとなく緊張の糸が緩み、吹き出してしまった。
「そうだねー翼を生やしたら、天使だよねぇ。」
「お願いがあってきましたです。」
アンジェラは、声を出して笑っている私を真面目に見返してそう言った。
「助けてです。」
「「助けてください」って言うんだよ、そういう時は」
「助けてくださいです」
「くださいって言うときは、「です」はつけないんだよ、アンジェラ。」
アンジェラは、私の指摘に少し戸惑いを見せ、そしてゆっくりと噛みしめるように言葉を発した。
「助けて、ください」
「そう。」
「この世界を助けてください。あなたにしかできないのです。」
今日は失う物が多い日だ。
先ほどは気を失い、今度は私は言葉を失った。
「お願いです。世界を救ってください」
私は失ったばかりの言葉を取り戻すため、頭を働かせようとしたが、できなかった。
「書いて。書いてください。書いてください!あの話の続きを書いてください。」
「え・・・・。」
私は顔に熱が集まってくるのが分かった。赤くなった顔にアンジェラの端正な顔が近づいた。
「あの話の続きが、必要なのです。
あなたは、私たちを捨て、去りました。そうして、この世界を拒否して、ご自分でも納得のいかない物語を書いています。でも、もともと、それはあなたが望んでいない物語。このまま続ければ、崩壊してしまいますです。そのことに、当の本人のあなたは気づいていませんです。この世界は、偽りだらけで希望がないです。この世界を救えるのは、あなたしかいないのに、肝心のあなたは、運命の課す試練に負けて、労力を惜しんでいるです。ただ手を伸ばせば届くものを、誰かが運んでくれるのを待っているです。でも、それではいけないのです。
世界がまぶたを閉じて眠っているのなら、希望の唄で目覚めさせるのは、あなたなのです。」
「でも、現実は残酷なんだよ。若い頃は、現実の世界のことよく知らなかった。アニメとかマンガの世界のほうが近かったから、私の願望を詰め込んだのがあの物語。現実と違うの。がんばった人が強い者を倒して、優しい人が人に好かれる世界。笑った人は、笑い返してもらえる。悪いことをしたら、バチがあたる。」
「世界は、あなたです。」
アンジェラは、きっぱりと言った。
「書いてください。あの話の続きが必要なのです。あなたにしかできません。あなたが、世界を救うのです。」
それで、私は物語の続きを書いている。
あなたも、そうでしょう?
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