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イブクラインブルー

宇宙との繋がりが欲しかったイブ・クライン

自らの力で空が飛びたかったイブ・クライン

ブルーは青

ブルーは憂鬱

ブルーはマリア様の青


学生のとき、心理テストでこう聞かれた。

「青色って、どんなイメージ?」

私は深く考えずに答えた。

「かっこよくて、頭よくて、安心する」

すると心理テストをだした彼は、頬をりんごのように赤く染めて照れくさそうに笑った。そして「オレ、青色好きだ。」と言った。「私も」と私は答えた。


透明な霧吹きの容器に入った薬品の、いかがわしげな青いガラスクリーナーの液体を見ながら、私はそんなことを思い出していた。

「それ、使わないなら返してくれる?」

もしもそれがお願いなら、それにしては厳しく聞こえる命令のような言い方で、同僚のエミコは私に手のひらを見せながらそう言った。

私は、霧吹きの首を持つだけでぼんやりしていたので、彼女の強い言葉に少し驚いて、「これ?」というようにガラスクリーナーを少し振って彼女に見せた。

「ぼーっとして、なんなのよ。」

エミコは、明らかに不機嫌そうだった。私の手から奪うようにガラスクリーナーを受け取ると、彼女は、別の場所にそれを持っていき、掃除をしていた。私はガラスクリーナーがなくなったので、やることがなくなって、ブラブラとオフィスのなかを歩き出した。

会社の移転が決まって、今日は引っ越し作業の日だった。引っ越しにまつわる面倒な作業に、社員たちは皆、苛立っており、私もめんどくさいなぁと思ってはいたが、もう引っ越し作業も終わりに近づき、最後の片づけの時間だったので、気楽な気持ちになっていた。ガラスクリーナーの青さは、私の好きな青と違った。私があのとき想像していたのは、海のような、空のような。けれど実際の海や空の青さと違うかもしれない。例えば、マグリットが描く空の・・・・

「ねぇ、片づかないんだけど。」

いつの間にか、またエミコの近くに来てしまっていた。しかも、エミコはもうガラスクリーナーを手にしておらず、違う作業をしていた。私は、エミコにひらひらと手を振って見せる。今度はガラスクリーナーを持っていなかったからだ。またしてもエミコは、苛立ちをふんだんに発揮して、私を睨みつけた。

「あんたさぁ、この前、佐々木さんとどこに行ってたの。」

佐々木さん、とは、別の部署の男性係長のことだ。エミコは以前、佐々木さんと同じ部署にいたが、3ヶ月前に異動になって私と同じ部署になった。私と佐々木さんとは、新しい仕事のプロジェクトで必要があって、最近、頻繁に連絡をとるようになっていた。

「佐々木さんまで、あんたの犠牲にしないでよね。」

私は、首を傾げた。いろいろ、日本語の意味がわからない。

「佐々木さんにホテルに誘われたことについて言ってるんだったら、断ったよ。だってあの人・・・」

私の話が終わっていないうちに、エミコは私の頬を平手打ちした。ばちーん、と、大きな、マンガみたいな音がした。周りの同僚たちが何事か、と注目して見てくる。

「・・・・から。」

私は自分の言葉がエミコに届いていないこともわかっていたが、とりあえず言いたいことは言ってしまえたので満足した。エミコの目には涙が浮かんでいた。たくさん集めれば、青くなるかもしれない。私は、親指で彼女の涙を拭った。そして、痛む右頬を押さえて、トイレに向かった。頬を冷やしたいと思ったのだ。私の背中で人の泣き声がした。

トイレの洗面台で水を流して考えていた。水は青くないのに、青く描かれることが多いのはなぜだろう。それとも、私には見えていないけど、本当は水は青いのだろうか。それだったら、どんな青なのだろう。ガラスクリーナーの青さではないと思う。ガラスクリーナーの青なら、私にだって見える。本当の青の青さは、きっと・・・・。

「これだ。」私は呟いた。水につかった私の手に浮かんだ静脈の青。きっとこの青に近い、と思った。

それから、私は誘惑に勝たなくてはいけない日々が続いた。自分の肌の奥の青色を取り出してみたい。痛いし意味がないということはわかっている。血管を切って流れるのは赤色だ。青じゃない。でも、注意深く取り出してみたら?こんなにも青く見えるのだから。ピンセットでつまめば、青のまま取り出せるのではないだろうか。

けれど、その青を見て、私は何をしたいというのだろうか。ただの好奇心でしかなかった。いや、自分のなかにある疑問を解消したかった。その方法が合っているとは自分でも思えなかったものの、何もしないで悩んでいることが辛かった。どうにかして、私は自分の腕の静脈の青を手に入れて、それが本当に青いのか青くないのか確認しなければいけなかった。だって、水の青さは私には見えないのだから。結局のところ、青は私に届かない色なのかもしれない。そう思うと辛かった。いつの間にか私は青さにとりつかれていた。きっと、エミコのせいだと思う。

会社の移転が終わって、滞っていた仕事に手をつけだすと、急に忙しくなってきた。新しいプロジェクトの仕事に手をつけられるのは、定時を過ぎてからになった。その日、私の部署では他に残業している人がいなくて、私一人になってしまった。そして、「佐々木さん」が私のデスクまでやってきた。私は、仕事の打ち合わせかと思って関連資料をさぐったが、佐々木さんは仕事のことにはまったく触れず、「最近、どう?」と聞いてきた。なにがどうなのか全く分からず、私が首をかしげていると、佐々木さんは急に私の腕をつかんだ。

「やっぱり、だめなんだ。諦めようとしたけど、君は・・・。」

「佐々木さん。」

私が呼びかけると、佐々木さんは話をやめて、私の目をじっと見た。佐々木さんは、私の顔にゆっくりと近づいて、私の唇に自分の唇を重ねた。

「佐々木さん、前にもしましたけど、私・・・。」

最後まで言う前に、私は彼の首筋がとても近くにあることに気づいた。その首筋には、きれいに浮き上がって静脈が見える。

ホテルに行ったら、さすがにするべきことはしなければいけない。

でも、私の目的はその後だ。

不自然な青い照明がいかがわしい部屋を照らしている。こんな青ではない。

彼がシャワーを浴びている間に、私は少しベッドでまどろんだ。マグリットの青い海のなかで、溺れる夢を見た。

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