見出し画像

面倒くさいが、もてはやされる時代

来ると思いますよ。面倒くさいが、もてはやされる時代。いや、もう来てますか?ここに来てますか?私には、時代の流れとか、そういうのよくわかりませんが。

十数年前、大学生のころに、中古レコードを集めるのが、私のブームだったときがあります。アナログプレーヤーを買って、スピーカーに繋いで、針を落とす。ぷちぷちっという音が焦らす。やっとアルバムの曲が始まる。

プリンセスプリンセスの「ダイアモンド」を聞いたとき、「針がおりる瞬間の胸の鼓動焼きつけろ」という歌詞、あれの意味がわからなかったのですが、自分がレコードを買って初めてわかりました。ちなみに私の妹は、今、私を動かすのはダイアモンド、という歌詞を、本当にダイアモンドが脳みそに入って人間を操作してると思っていたそうです。SFホラーやないかい。(慣れないツッコミ)

初期のアナログプレーヤーは、引っ越しのときに壊してしまって、しばらくレコードだけ持ち歩いて引っ越しを繰り返していたのですが、最近、ようやくスピーカー付きのアナログプレーヤーを購入して、また聞いています。

私のアナログプレーヤーは、自動で回転しないので、片面を聞き終わったら自分でひっくり返して、また針を落とす作業をしなければならない。めんどくさい。あの曲聞きたいなと思っても、どのへんがその曲かわからないから、初めから聞く。めんどくさい。レコードは大きくて、傷つけたくないし、壊れたら、次にいつ手に入るかわからないから、扱いを丁寧にしなくてはいけない。めんどくさい。

でも、そのめんどくさいが、なんだか楽しい。ああ、めんどくさーと思いながら、レコードを選んで、やっぱこっち、と思ったらまたうんしょうんしょと運んで、数十分でひっくり返して。。

アナログレコードが、最近、若い人たちに流行っているらしい。フィルムカメラや、田舎でのロックフェスやアウトドアもそうだと思うのだけど、面倒くさいことは、もはや非日常なのだ。だから、慣れていない人々は、非日常を求めてわざわざ面倒くさいことをしにいく。

これって、人類の発展の歴史からしたら、もしかしたら侮辱なのかもしれない。先人たちががんばって省いた面倒を、わざわざ引っ張り出して楽しむ。

私は、仕事で、ある難病について勉強しているのだが、車椅子や人工呼吸器をつけた生活は、そうでない生活をしている私たちの想像を遥かに超えて不便だ。けれど、その生活をしている人たちは、これまた本当に驚くべき想像力で、その不便を工夫して、あるもの、できることを利用して、驚くほど快適に過ごしている。

アウトドアをしていても、始めはたくさん道具を買い揃えて、装備をたくさん持って行って、それでも(それ故に)苦しむことがたくさんあるけど、だんだん、工夫して、少ない荷物でいろんなものを兼ねて代用することができるようになる。

ミニマリストだってそうだ。必要だと思っていた日用品の数々をなくしてみて、創意工夫でどんどん物を減らしても快適な生活ができることは、新たな日常を見出す冒険であり、もはやスリリングなことなのだ。

不便や、面倒くさい、足りない、できない、どうしよう、ということは、創意工夫の余地があり、想像力を養い、実験や発見につながる、面白いことなのだ。

そして、それに気づきだした若い人たちが、率先して面倒くささと向き合っている。
私たちには、何でもできる魔法の道具なんていらなくて、自分たちの出来ることを重ねていけば、魔法が使えるんだって、わかってきた人が増えてきた。

ないものを作るのではなく、あるものを工夫する。接続する。新しい意味に作り変える。代用する。そういう、魔法。

だからさ、意外と、未来は明るいかもね、頼んだよ若者、と思ったある日。あーレコード止まっちゃってる。めんどくさー

#エッセイ #アナログ #レコード #めんどくさい #時代 #私たちは魔法が使える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?