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共学化反対

女子校に通っていてよかった。
性差を感じることがなかったからである。
研究活動なんかは特に、女子だけで行った方が自由に活動できた。力仕事は男に、とはならない。開かない蓋も自分たちで工夫すればどうにかなるものであったし、そうやって学べることも多かった。

昨今謳われている、平等な機会のための共学化とは、一体何を根拠にしているのだろう。
男女比を対等にしたあまり男女の学力の差がひどく、お互いに高め合うどころかフラストレーションが溜まり、結局クラスを分けるとか、ちらほら聞かされてきたじゃないか。(具体例示できなくて悲しい!)

多感な時期に、男女の役割に捉われないで生活できることは人格形成に影響する。
勉学に励むべき時期に嫌でも男女関係に巻き込まれること、評価について性別の先入観があるのではないかと不信感を抱くこと、これらは本当に男女平等への道なのだろうか。最近の高校生にでもなれば、それらを解決していく志より、諦めを悟る心が多いのではないか。

まず、性差のない環境で生活する。諦めるのはその後でいい。女子校男子校を大袈裟に讃えれば、大学や社会に出るまでに、おかしいことをおかしいと思える感受性を殺さないでほしい、とまで考えられる。妥協とか折り合いとか、そういうのは日常的な不運で身についていく。可能性を信じられる活動的な人材を育てるためには、多様な構造の学校を、努力と気持ち次第で選択できるようにするべきである。

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