笑顔のヒミツ
何で寅さん?最近描いたお気に入りのイラストだから…!
描きながら、寅さんの笑顔ってこんなに癒されるんだ—とつくづく思った。
暑さに喘いで、水だ! 塩飴だ! と必死だった怒涛の日々が嘘のように、いきなり秋がやってきた。
井上陽水さんが 「とにかく今日は朝から強い日差しで このまま俺は光になると思った」 と歌ったように、恐ろしい日差しと、入道雲、豪雨、そんなものがぱったり止んで、過ごしやすい、むしろうそ寒い日々。
猛暑をもたらす夏の高気圧って、寅さんみたいだとふと思った。
いると何かと厄介だけど、いなくなると物足りないというか、平和だけど寂しいというか…
にかーと笑う寅さんが恋しくなるように、夏の暑さまぶしさが懐かしくなる。炎天下の晴れ晴れとした笑顔。
温暖化がもっと進んだら、笑っていられなくなるのかなあ。
ちょっと前に話題になった「生きて死ぬ智慧」という本のことを思い返している。
読んでみたけどさっぱり意味が分からなかった。そして本はBOOKOFFへ…
生きて死ぬってどういうことだろう? 死んで生きるのとは違うのか? 生きる上での苦しみを軽減するやり方、というのが「般若心経」に込められているらしいんだけど…
ワタシ達は宇宙を構成する原子と同じ、そこに引力が働いて、(ダークマターかも) 原子が密集し、私という人間を造り上げている。地球上のもしくは宇宙の、あらゆるものがそうやって出来ている。だからワタシ達は一つなんだ、という考え方が根っこにあるらしい。
だからワタシ達も、やろうと思えば野に咲く花のように生きられる…我々は、大いなる誤解をしているんだ…と、本は解いていたらしいです。
大いなる誤解が何なのか、ぼやっとしていて分からない。アイデンティティとか、法律とか、イデオロギーとか、数千年かけて哲学者や社会学、経済学者が構築してきた概念というのは、般若心経の前では木っ端微塵になりそうです。
というより、釈迦が見抜いたその真理(色即是空 空即是色)を土台に、再構築しよう、という考え方らしい。それが 「生きて死ぬ智慧」…?
やっぱり難解だしきっと間違っているし、理解できてないんだけど、最近何となく、その雲を掴むような話のしっぽに、ほんのちょっとだけ、触れられたような気がする。
つまり…
笑ってごらん、ということ。
なんじゃそりゃ( ゚Д゚)
でも笑顔の中には、蝶や花や自然に触れた時と同じような癒しがある。密集して凝縮して存在することの喜びというか…
つまり、人は笑っているのが自然なのではないか、という気がするのです。色んな技術で自然の驚異を克服し、利便性を手に入れた人々が、笑う事で自然に回帰することが出来る。
そして、一番不安なのは、その密集がいつか解けるということ。我々は本当は儚い存在なのだということ。その不安が、心に影を落とし、その影があらゆる軋轢を引き起こす。その軋轢はまことに不自然です。
これは人類の至上命題なので、おいそれとは解決できないけれど、先日読み終わったスティーブン・キングの「ドクター・スリープ」の中に、印象的な一文があったので紹介したいと思います。
作中の登場人物である詩人の詩なので、キング氏自身の言葉なのかな?
『神は儚きものの愛好家 雲が織りなすその景色を 脆きガラスのオーナメントで飾る』
儚い、脆いことは決して悪い事でも不幸な事でもない。むしろ神は(いるとしたら)それを愛している、という解釈でよいと思います。
そう単純な話じゃないと思うけど、とにかく笑顔の日々が全ての人に訪れますように。笑って~バタ~(*^▽^*)
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