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フランスで大学2年目を終えたときに見えてくる現実と、それでも落ちてくる希望の欠片

渡仏してしばらくは人生がガラッと変わって(当然です。社会人から学生になったわけだから。しかも外国で)、物事がめまぐるしく動いていくから「なんとか生きてく!」って感じなんだけど、大学2年生の全てのテストと課題を終えた今は「さて、あと1年で卒業だし現実も見えてきたな…」ってちょっと落ち着く。そして、フランス語の超えられない壁が分かってくる。ネイティブが複数いる会話に本当に入れたって思える日はやって来るのだろうかとか、大学のグループワークでもきついのにこれが仕事になったら私の気持ちは保つかな?とか。でも、やると決めたことはとことんやらないと気が済まないから、まだ続けるフランスでの日々に対してやらなければならないことを淡々とこなす。バイト行って、掃除して、買い物行って、料理して、毎日決まった時間に寝て朝は早く起きる。病院行って、確定申告して、旅行の予定を立てたりもする。

フランス学生生活も2年目になると、出会ってきた人数が結構な数になる。忘れていたけれど大学生は新たな出会いが多い。友達が友達を連れてきたり、グループで遊びに行ったり、イベントがあったり。毎日、同じ顔と仕事してきた十数年では考えられないほど、一気に友達が増える。そして旧友からも同様に、多くの人から「将来の計画は?」と聞かれる。フランスにとどまるのか、日本に帰るのか、どんな仕事をするのか、などなど。そんな時、描く理想の私と現実の間にある「現実」を見てしまって凡庸な言葉が口から出てくる。就活をしていた21歳の頃と大きく違うのは、自分の年齢や実力、経験と、社会が一般的に求めるものとの距離を冷静に測ってしまうこと。第一志望の企業の最終面接で、およそ実現不可能な新プロジェクトを社長に向かってプレゼンした21歳のガムシャラな私は今はもういない。

冷静に物事を見られるということは、感情の起伏を引き起こさない分、生きるのが楽になる。期待しないから失望しない、怒らない、悲しくもならない。でも、こうしたなかなか心から去らない負の感情はプラスに変えれば大きなエネルギーになるわけだから、持つことは全然悪いことではない。むしろある程度あった方が何かを頑張る原動力になると思ってる。

でも、また逆説を使ってしまうけれど、こうした負の感情を持たないようになると人にいつでも優しくできるという利点も生まれる。私は東京で働いていた時はほぼずっと営業マンだったので、いつでも人と競争していて負けるのが嫌だった。今は勝ち負けや優劣を考えることがない。私は私であり、私の中で「やりきった」って思えるかどうかが大事。みんながそれぞれの道で輝ける未来があって、そのみんなの中に私もいられればいいなぁと思う。

そうやって、心穏やかに生きていると、全く予期せぬ時に周囲の人が朗報を持ってきてくれたり(君のフランスでの可能性について考えたんだけど!)、サポートしてくれることがある(心配しなくていいよ、困ったらいつでも言って)。そんなに甘えられません、と思うものもあるけれどその心遣いや言葉だけで体がふっと軽くなって「家にいちゃだめだ、外に出て世界を広げなきゃ」「可能性は無限大」って思えるからすごい。

だから今、こうしてカフェにきて長めの文章を久しぶりに書いた。大学が夏休みの間に、2年生で得た学びや、海外生活2年目とは何かなど、フランスでのあれこれをまたnoteで書いていこうと思います(学期中はとてもそんな余裕なかった。書きたかったけれど)。よかったらぜひ、読んでください。


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