行く雲、流れる水。
修行僧のことを禅宗では「雲水」と呼びます。行雲流水の略とされています。また師をもとめて諸国を巡ることを「雲遊萍寄」ともいいます。萍は浮草のことです。
風の吹くまま。気の向くまま。
気楽なようですが、根無し草かもしれません。
そうした旅人がとある村に立ち寄ります。
風の便りに、人づてに聞いた人を訪ねて。
今日は、ほとんど「つぶやき」です。
明日は、参禅堂の建方のため今日は朝からマキノに向かっています。
(午前7時に予約投稿)
師を求めるのは修行者にとっての一大事です。
一生かかっても出会えないかもしれません。
「水鳥のゆくもかえるも跡たえて されども道はわすれざりけり」
道元禅師の歌であります。
水鳥の去った後には何にも残っておりませんが、また冬がくれば戻ってきます。そうしたあり様をつぶさに詠まれたものでしょう。ありのままを、あるがままを観察する。まるでそこに自分が居ないかのように。
今日の日は、左様なら。
明日の日も、左様なら。
左様ならば、参りましょうと腰をあげて、また旅にでる。
師を求める旅は、まだ続きます。
一生、修行僧。
行く雲、流れる水。
澤木興道老師インタヴュー(昭和40年:1965年)
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