忘却への恐怖と罪悪感と、それを赦してくれるお話

「君の名は。」の話です!
観たのは秋だったかな。

今さらなぜこのトピックかというと、たまたま映画への批評を読んで、思いついたことがあるからです。

この映画、わかる!ひとと、わからないひとに分かれましたが、なんでこんなにヒットしたんでしょう。

わたしは割とぐっときたんですが、何にぐっときたのか?批評を読んではっと思い当たったので、書いておこうと思います。

計画的な感動ポイントもいっぱいありましたが、この映画の主題は「忘れること」だと思います。

ひとつは、自分が暮らす国や世界のあちこちで起こった大災害、テロ、虐殺、事件事故、恐慌、弾圧など、が、地理的な距離はあっても、距離親しいひとと連絡を取り合うのと同じレベルで情報を受け取っているのに、情報距離は変わらないのに、なにもできず、それどころがハムスターのように次々に忘れていってしまうこと。とそれへの罪悪感。

もうひとつは、記憶の外部化が進んで、写真や文章などのログがなければ、自分の記憶さえ、それが夢だったのか、聞いた話だったのか、本当の記憶かさえわからなくなっていくこと。とそれへの恐怖。

この2つがたくさんのひとの深い共感を集めたんじゃないでしょうか。

この自己憐憫と陶酔の混じった感じが無理、というひともたくさんいると思いますが、それでも、そこを描いたところがよかった、というのがわたしの感想です。


なにもできなくてごめん。それすら忘れてごめん。

忘れたことも伏線で、未来で感動的に回収されるんだ!

・・・ってところ(偏見かな)はちょっと・・・ファンタジーすぎるかなと思ったけど、夢見るくらいはいいかも?
免罪符を大量配布するのはよくないけど、気持ちをトリートメントするくらいならいい?ですかね?

もう一回見てみようかな~
トリートメントのためじゃなく!

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