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【461球目】航空機産業

このコロナ禍において打撃を受けた産業の1つです。

三陽工業においてもコロナ前は大きな比率を占めていた産業の1つでした。コロナ禍において、閑散とした空港を映像等で見た人も多いと思います。国内ですら人の移動が制限されていた訳ですから、海外となると全く移動できなかった時期が続きましたね。国内移動であれば、車、新幹線、航空機と選択の余地はありますが、海外への渡航はほぼ航空機一本です。その移動が無くなると当然ですが航空機産業には大打撃です。今日はそんなお話です。


三陽工業と航空機

三陽工業がリーマンショック後に初めて県外に出たのが岐阜県各務原市。当時は子会社アイコムとしてですが、その際のきっかけはこの航空機です。当時、ボーイングの最新鋭機787の量産が開始されるタイミングでした。川崎重工をきっかけに三菱重工、IHI、住友精密(ごめんさない、敬称略です)と航空機産業の企業様とお付き合いが広がっていきました。

2020年2月期における三陽工業の対航空機産業の売上比率は7%ありました。それがこのコロナ禍においては0.1~0.2%の比率まで下がっています。もし、航空機産業のみの仕事をしていたとするならば、とんでもないことになっていますね。当然、航空機産業の比率が高かった岐阜営業所は大きな打撃を受けましたが、既に復活の兆しは見えています。この2023年においては、さらなる復活が期待できるのではと考えている所です。


航空機産業との親和性

元々、航空機産業やいわゆる重工業系のお仕事と三陽工業は親和性が高いです。川崎重工や三菱重工とのお取引から始まったというのもありますが、重工系の仕事においては、数十人が同時に配属という状況は珍しく、1人ずつ丁寧に教えていきながら育てるという傾向がありました。そういう傾向があったからこそ、三陽工業との親和性の高さがありました。1人と向き合い、寄り添い、そしてその人の成長を促していく。私達が考えていること、やっていることと、ピッタリと嵌ります。

現在においては重工系のみならず、その他の産業でもそういった考え方が増えて来ています。仲間に寄り添いながら一緒に成長していく。この三陽工業では当たり前の想いをもっともっと広げていく為にも三陽工業はさらにシンカをしながら、仲間を増やしていきます。


複数営業所

1つの県に複数の営業拠点がるのは、兵庫県、福岡県、滋賀県のみです。

兵庫県は明石、姫路、小野、尼崎。県内どの場所でも対応ができる拠点配置になっています。福岡県は久留米と北九州とうきは。滋賀県は湖南と米原。他の拠点においても1つの県に複数の拠点を構えるのが理想です。豊田営業所のある愛知県は元々、名古屋営業所と豊田営業所の2つの拠点がありました。航空機産業の工場の立地は豊田からよりも名古屋からの方がアクセスが良い場合が多いです。名古屋駅から栄方面へ15分くらい歩いた所、地下鉄で1駅の場所に名古屋営業所はありました。元々、岐阜へ進出した際に、いつかは名古屋へ!という想いを強く持っていました。一度はそれが実現しましたが、コロナ禍において苦渋の決断をしています。

コロナ禍において航空機産業は飲食業やサービス業と同様に大きな打撃を受けました。私達はシンカ出来ていたので、それが大きな打撃にはなりませんでした。仮に60億の7%だとすると4.2億。60億の0.1%は6千万。その差は3.6億です。それが一気に消し飛んだ訳ですが、リーマンショックの様に、全体に対しての大打撃という所まではいっていません。シンカすることの大切さをこのコロナ禍において改めて学びました。そして、コロナも春先には取り扱いが変わるというニュースも出ています。愛知県に2つの拠点を構えることができるように、再度シンカをしていきます。

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