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【176球目】176

本日は176球目

176という数字を見ると、思い出すことがあるので今日はそれについて書いていきます。今日は私の昔ばなしです。

176号棟

私が生まれたのは、神戸市の中心部である春日野道という場所です。

しかし、そこには1週間くらいしかおらず、生まれてすぐに神戸市垂水区へと移住しています。

最初に住んでいたのが、神戸市垂水区本多聞5丁目
そこにある市営の団地、今でいうURです。

その団地の176号棟に住んでいました。

なので176という数字にはとても敏感です。

3DKの部屋だったと思います。

小学校3年生までそこに住んでいましたが、書きながらまあまあ色んなことを思い出しますね。

今から35年くらい前の話になりますが、35年と考えると少し驚きです。

この家から初めてのおつかいにいきました。

母親が熱があって、近くの薬局に薬を買いにいったのですが、なかなか私が帰ってこない

近くのおばちゃんが私の家を訪ねて来て、
「なおくんが薬局の前でずーっと立ってるねんけど、どうしたんやろ??」

そんな声を聞いた母親が私を迎えに来て、私の初めてのおつかいは終了しました。

1人で薬局に入るのが怖かったのでしょうね。

もともと小さい時は人見知りで引っ込み思案でしたから(今も本質は変わっていないと思います)、まあそうなっても不思議ではないですね。

そんなことを始めとして、色んな想いが詰まった176という数字です。

その後

市営の団地から小学校3年生の時に、隣の4丁目にある神戸市が開発した分譲の団地に引っ越します。

そして、高校2年生の時6丁目の戸建て(今の実家)へと移っていきました。

父親の年齢を考えると、25才年上なので、小学校3年生の時が33才高校2年生の時が41才

三陽工業が川崎重工の仕事をやりながら、着実に少しずつ成長していった時期です。

その時、小学校や高校生の時は三陽工業が何をしているのかは全く知りませんでしたが、なんとなく本当に漠然と自分は三陽工業に入社をしなければいけないと感じたのは小学校3年生の時です。

本当にね、根拠はないんですよね。

でも、
「いつから会社を継ごうと考えたのですか?」
という質問にはいつも、
「小学校3年生の時です」と答えています。

だからといって何か考えや行動が変わった訳でもなく、野球チームに入ったのは小学校4年生の時ですから、野球がきっかけという訳でもなく

ただ、私の潜在意識の中に、三陽工業に入社するという意識があったことは事実です。

なぜかは分かりませんがそう思っていました。
それが今の出発点かもしれません。

最後に

最近、社員と話をした時に、

人生は思った通りになる。

と話をしました。

新しいことをやろうとしてくれている社員に対して、思考は現実化するということを伝えたかった訳なのですが。

なんでもそうですが、想うことから始まります。

想う→強く想う→考える→行動する→検証する→改善する

こんな流れですよね。

ちなみに、「思う」と「想う」の違い感情の大きさ熱意の大きさです。

「思う」は特に感情も熱意もなく、ただそう思うのに対して、「想う」はそこに感情や熱意が入っている。そう使い分けています。

なので、基本的に「思う」を使うことはなく、ほとんどが「想う」を使います

日本の製造現場を元気にする会社にするという想いを現実にしていこうと今日も考えながら行動していきます。

本日もありがとうございました。
明日もよろしくお願いします。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!