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【567球目】成長の要因

三陽工業はリーマンショック以降、コロナ禍に突入するまでは右肩上がりに成長して来ました。

そして、コロナ禍においても1年は落ち込みましたが、2年目で回復、3年目においてはコロナ前の数字を上回っています。ざっくり言うとこんな感じになるのですが、その成長には様々な要因があり、振り返ると良いことばかりではなく、停滞していたこともあります。今日はその辺を少し細かく見ていきます!


30期から

30期の7億1,800万円という売上高からスタートしたこの新生三陽工業は、少しずつですが順調に売上高を伸ばしていきます。

31期・9億7,000万円
32期・13億1,100万円
33期・12億3,500万円
34期・14億6,400万円

とこんな推移をしています。

そう、33期は数字を落としているんですね。派遣事業は順調に伸びていました。伸びていましたが、製造領域において大きな仕事が2つこの時点で終了しています。そのマイナス分がとても大きく、結果としてこの1年は売上が下がる状態になりました。リーマンショック後の順調に伸びていた時期でしたが、そんなに甘くないんだよと忠告を受けた様な、そんな記憶があります。その後、さらに成長軌道に乗っていきます。


40期まで

2016年の生産推進グループ誕生以降、コロナ禍に入る40期までは文字通り右肩上がりの成長軌道でした。

38期、39期と約前年比1.5倍の伸びをみせつつ、急激に三陽工業が成長していった時期です。40期までの成長要因はなんだったのか。冷静に考えてみました。そこで辿り着いた結論は、生産推進グループと新規拠点です。38期から多くの拠点が誕生しています。同じ日に拠点が2ヶ所オープンすることもありました。新規拠点ですから、採用も既存拠点より順調に推移していきます。0だった所に新規出店を行い、仲間を増やしていく。それがこの40期までの三陽工業の成長の要因です。

そして、40期の後半にはそれが少し崩れていました。40期の後半においては、在籍数の前月割れを起こし始めます。この頃を振り返ってみると、完全に膨張していたと感じています。成長ではなく膨張。あのまま行っていたとしたら、どこで気づくことが出来るかは分かりませんが、もっと大変なことになっていたと推測します。しかしながら、そのままコロナ禍に突入します。69億あった売上が56億へ。翌年66億まで戻します。このコロナ禍の2年間は完全な踊り場となりました。膨張していたものが収縮に動いた。社内においても、変なストレスがかかっていた部分を正常に戻すことが出来ました。

この2年間、三陽工業にとって大きな意味を持っています。足元を固めることが出来た2年間でした。その時は、色々と考えながら試行錯誤しましたが、今振り返ってみると、三陽工業にとってとても価値のある2年間になっています。


43期・44期

この2年間での新規出店は富山営業所のみです。

ほとんど新規出店は無い状況の中ではありますが、右肩上がりに数字が伸びています。そう、既存拠点の成長です。既存拠点が成長することが、現在三陽工業が伸びている要因です。コロナ前の状況とは全く異なる成長軌道を描いています。コロナ前までは勢いがありました。当時はそれが最も大切なことと考えていましたし、それを否定するつもりはありません。ただ、コロナ禍において膨張から本当の意味での成長へと移行することが出来た。そして今、勢いだけで何かをやることはほとんどありません。もちろん、想いは大切にしています。その上で、正しい思考と行動を積み重ねていきながら成果が伴ってきています。

1つ1つの指標もそうですが、いかにして三陽工業ファンを創っていくのか、三陽工業ファンを三陽工業マニアまで昇華させていくのか。多くの拠点でそれが出来ていますし、出来つつあります。まだまだ未完成ですし、伸びしろだらけです。その伸びしろがこれからさらに伸びていく。必然的に三陽工業全体としての成長に繋がっていきます。コロナ前の成長の要因と現在の成長の要因が全く異なることが分かります。肌でそれを感じながらやってきましたので、自身の思考や言葉、行動もこの数年で変化をしています。常に変化をしていくこと=シンカです。

今年1年は覚醒の年です。その覚醒の予兆を感じています。まだまだもっともっとの気持ちでこれからも正しい思考と行動を積み重ねていきます。

本日もありがとうございました。
明日もよろしくお願いします。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!