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「ドイツ歴史の旅」で思い出す その2

フランクフルトから足を延ばして 1987

    大学の街ハイデルベルグは2月10日に。この本の著者は東大卒業後マールブルグ大学で3年間学んだそうで終盤に記述があるが、そのひとつ前の章が「ゲッティンゲンの七教授」で、ドイツの中央やや北寄りの名門ゲッティンゲン大学がある街のお話。1700年代の頃はハノーファー(近くにある)の王家がそのままイギリスの王家となっていて共通の君主だったとか。ゲッティンゲン大学の創立者はゲオルク2世といいイギリス国王ジョージ2世のこと。フンボルト兄弟やビスマルクも学んだこの大学で、国家の体制変化に抗議した七人の教授の中にグリム兄弟がいたという。

旧市街

 ハイデルベルグはドイツで一番古いハイデルベルグ大学の街。私は勉強は好きではないが、単なる旧市街とか教会より個性的な街がそこにあるかもしれないとここを選択したのだろう。ハイデルベルグ大学は2022年の世界大学ランキング42位(だいたい例年そのあたり)で、ちなみに東京大学は35位(ベスト100に日本は2校)ドイツ最高位がミュンヘンで32位(ドイツは6校)。ノーベル賞受賞者が多いとかは関係ないが。

ハイデルベルグ城

 列車を降りて外に出たが雨、2月のドイツは当然寒い、私が滞在した期間は雨は多かったが気温は低くなかったのは幸いした。(寒いのが苦手なのです)観光客も多くインフォメーションがありいくつかの情報は得た。まず向かった先はハイデルベルグ城。あまり美しく修繕されていないこのお城は「廃墟の美」と称される。建築的には(私は建築学科卒)長い間に君主が変わりいろいろな建築様式で増築改築されてきているのが面白い。このお城で日本人の学生風(大きなリュックを背負った)男性旅人に会った、会釈しただけだがこの街で見た唯一の日本人。小さなカメラをポケットに入れただけ手ぶらの私はどう映ったのでしょう。現在は相当数の日本人が留学しているそうです。

お城からの景色

 ドイツ1ともいわれている、ハイデルベルグ大学の図書館は素晴らしく、だれでも入れる古くてずっと座っていたくなる空間です。街を歩きながらランチ場所を探すも(おいしいものを食べられるとは思っていない)ピンとくる店がなく、歴史のありそうな大きなドイツ料理屋さんに入り食べたプレート料理が多すぎて「そんなに芋は食べられない」と日本語で言ってやった。ドイツには2度行っているが、あまりおいしいものに出会わなかった。フランクフルトで食べた名前も忘れたお鮨屋さんが良かった(特にサーモン)記憶だけで、一番はバーガーキングのワッパーだったと今も思っている。いつも独りだからということもあるか。

古い橋 向こう岸に哲学者の道がある

 古い橋の向こうに哲学者の道という道がある。歩きすぎていて帰りも遅くなるのでちょっとだけ寄った。ゲーテになるつもりもない。天気が良ければ頑張ったかもしれないが、険しいらしいし石畳は苦手で疲れていた。グーグルアースで行ったところを見てみると、古い橋もいくぶん綺麗になっているように見えるのは間違いなのか。歩き疲れて暗くなったハイデルベルグを後にフランクフルトへ戻った。夜遅くなり晩御飯としてフランクフルトで食べたビュフェタイプのイタリアンレストランが・・・

帰りの時刻表

1987年ドイツの旅
2月5日大阪からシンガポール、ドバイ、パリ経由フランクフルト
2月6日見本市準備
2月7日ベルリンへ
2月8日東ベルリンへ
2月9日フランクフルトに戻りディープパープルコンサート
2月10日ハイデルベルグへ
2月11日見本市
2月12日コブレンツへ
2月13日フランクフルトからパリ、モスクワ経由大阪14日 10日間の旅

記憶も薄くなったがシンガポールで6時間、ドバイで4時間、パリで3時間トランジットという安くて時間がかかる典型的体験。ドバイも今とは全く違って金のアクセサリーを売っている市場がある程度だった。帰りのモスクワでゴルバチョフの顔が描かれた時計を買った。もうすぐベルリンの壁が崩壊する、そんな時代。

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