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田舎あれこれとケースとしての田舎の生活1(人間関係は別として)

田舎はどこからが田舎か。生まれてからずっと都会中の都会に住んで育っている人にとっては、そこ以外の場所は全部田舎ということになるだろう。そう思うのは全然個人の自由だ。


田舎に感じるイメージも、ポジティブ/ネガティブの区別もあるだろうし、そこに住む人間の精神の開明度、どの程度啓けているか、という部分でも測ることがあるだろう。


また、交通の利便性や買い物するときの店舗の数や種類、大規模店舗の在る無しなどで考えることもできる。不便であるというのは交通手段を持たないか、あっても滅多に公共交通が来ない場合に言うことであって、一般に日本の田舎は今は車社会であるから、車を維持管理するだけの資金があればどこに住んでいてもとくに移動に困ることはないだろう。そして買い物であっても通販を利用することにより、凡そ日本のどこに住んでいてもそれが届かないということはないだろう。

車の維持管理は実際問題として田舎であればアパート家賃に駐車場代が含まれていることが多いように、特に土地の問題としては田舎のほうがやり易いだろう。都会で車を持つのは贅沢な暮らしだ。


家や部屋が狭いか広いか、という点もある。都会に住んでも資金があれば広い部屋に住むことはできるだろうし、眺望のいいマンションに住んで眼下に広がる都市の風景を眺めて堪能する人もいるだろう。田舎では賃貸アパートは狭いものの、場所によっては単身向けアパート自体が存在しないために、独身で3Kといった家族向けに住むこともある。私は長野県に約6年住んでいたがそのような広い住まいにいたおかげで荷物がどんどん増えて、引っ越しのときに泣きを見たという経験を持つ。


話が個人のことに及んできたので、私の考える田舎のことを書く。田舎というのは基本的には大自然であって土である。小学生の時にはボーイスカウトをやっていたので、学校以外でもキャンプという行事に親しむことになった。キャンプとはわざわざ山の中にいって、テントを張り、自炊をして、寝るという奇天烈なレクリエーションである。日本でのボーイスカウトは一体なんのために存在する機関だったのだろうか?青少年の健全育成が目的なのか?それとキャンプはどのように関連しているのか?そのあたりを教育されたはずなのだがそれはコドモであった私の記憶には残らなかった。それでもボーイスカウトの行事は屋外で行うことが多い。フィールドであったり運動場であったりキャンプ場であったり、登山であったり。田舎の場合にはそれら施設群はすぐ近くにある。そんなに高速道路を遠征しなくても、1時間以内で適度なところに車移動できる。だから過ごす場所こそ非日常だったが、気分としてはそんなに特別感は無い。そういう田舎で私は育ったわけだ。

とはいえ日本の中規模都市である。日本でももっと本格的な田舎はいくらでも存在する。私は新卒後に長いアルバイト生活を経てから資格を得て、その資格をもっての最初の勤め先が前記の長野県だった。それもなかなかの田舎度の高い地域だ。

その田舎は基本が農村である。田んぼ、畑。自動車工場。小さい食堂。旅館。1軒のコンビニ。スーパー。温泉。これでほぼ全部。長野県はどこにでも温泉があるのである。

それまで杉並区に住んでいた私は、はじめて本格的な田舎に住み始めて、さてどのようにすごしたらいいか、わからないまま、原付バイクで移動していた。当時は車の免許がなかったのである。就職してまずは仕事が終わると教習所に通い、通うためには足となる原付が必要だった。

原付ではスーパーで買い物しても荷物は載せる大きさが限られる。だから大きいものを買った覚えは無い。そしてこまめにスーパーにいき、夕方、すぐ家に帰ったとてすることもないので、缶コーヒーを買い、スーパーの軒先でそれを飲むのが日課だった。

本当はドトールでもいってコーヒーを飲みたいし、くつろぎたいし、本屋で立ち読みもしたいし、街をぶらぶらするという行動パターンを東京で身にしみこませていたために、いざ田舎に来ると何をしていいかわからないのである。

本当に何をしていいのかわからず、テレビ東京系のチャンネルもなく、当時は2008年で、ネット環境はあったものの配信なんてものもなく、そこで私は趣味の開発を考えた。長野県であるから周囲は全部山である。したがって登山を試みた。果たして登山は楽しかった。また、近所の温泉施設にトレーニングジムが併設されていたので、そこに通うことで運動と風呂が習慣になった。いかにも健康的である。しかし行動は全部ひとりである。

田舎には田舎の人間関係がある。それこそ高校あたりからの固定的な人間関係は職場においても継続されているという例を目の当たりにして(本当にあったんだ)、新規で参入したいところでもあるが、果たしてこの田舎に私は永住するつもりで飛来したわけでもなく、かといっていつまでここにいるのかも分からず、なぜそんなことも考えないままに田舎に来ているのか、今になってそのことを振り返ってみると計画性の無さに愕然とする。

しかし私は登山と温泉をつうじて田舎のいいところも発見した。温泉はそれこそ銭湯のようなものであって、しかも東京の狭い銭湯に比べたら長野の温泉は天国的に広い。しかも月会員としても破格の安さだ。気にいって毎日通い、しかも風呂に入る前にその周囲をランニングして汗をかくということが日課になった。仕事に残業がないからできる習慣である。季節はめぐるもので、ランニングする中でその地域の毎日の移り変わりを眺め、初夏は蛍のちらちら光るあかりを見て、夏の飛ぶ虫の多さに閉口し、山の端に降りていく秋の夕陽を堪能し、冬のランニングは手の寒さ対策に知恵を絞った。寒さが強い田舎であるほどに、春の訪れは心のわきたつものだと確信した。春に田に水が入り、まだ田植えをしていない田が空の色を映す水面となって私の目を楽しませた。田舎はそのように、人間がいない場所の美しさ(しかし田を管理しているのが人間であることはわかっている)を見せてくれた。

また大いなる田舎である長野県はあちこちの季節の食い物にも事欠かないのであるが、田舎のケーススタディとして、これは実はどの都道府県でも可能なことなのではないか。日本は食い物の美味しい国だから。


先行きを考えずに書きはじめた、文章の中身はあちらこちらへと揺れ動いたが、田舎あれこれとケースとしての長野県のゼロ年代の様子の記述となった。私の個人的要素の強いものである。個人史などというものは誰にでもあるが、だいたいその本人がどのくらい何を覚えているかということ、何が楽しくて何がつらかったか、何がひっかかっていたか、普段何をしていたか、誰と何を話したか、その記憶があればあるしなければない。だから個人史のない人だっているわけである。とくに思い出すこともなく、感慨もなく、歓びも悲しみもどちらもたいした大きさのものは残らず、生きてはきたがどんなものだったか、霞の彼方に思い出は消えていった。そんな人もいる。

別に覚えていなくてはいけないということも無いのである。誰も適当に記憶してそれをわざわざ思い出すのは何かそのこと自体に目的が絡んでいる場合だけだ。私の場合は記憶と日記が分かち難く結びついていて、日記は中学生の途中から書きはじめておおよそ毎日書いている。途中からネット上に書くようになって、事項の検索が行い易くなって大変助かる。いつ、どこで、何をしていたかの記録が自分の日記の中にあるのである。

おまけにグーグルが撮った写真を自動バックアップしてくれるようになり(いつからだろう?)、最近では勝手に「2年前の今日は何してた?」みたいな通知を送ってくるようになった。おかげでコロナ禍の最初のころにラーメン屋が営業できなくなり、カレーのテイクアウトをしていたときの写真などが出てきて、ああそうそうそうだった、などと思うようになっている。

別に日記を書くことを頼まれたわけでもなく義務感があるわけでもなく、ただなんとなく長年にわたって書いているうちに習慣となってしまっているだけのことである。それは習慣であるので、書くこと(いまではキーボードを打つこと)によってその日の行動や調べたことや意見や思いなどがそこに残ることが当たり前と思うようになっている。

そして何がそこで面白いかといえば、過去の日記を読み返すときが最高に面白いというか興味深いということになる。自分の日記であるから多少はわかりにくく書いたとしても記憶のトリガーになるのでだいたいは思いだせる。

もしその日記がなかったとしたら、ほぼ同じようなことをしている毎日などは一日ごとのエピソードは埋没して、風化してあおられて塵になって飛んでいって何もかもなくなってしまうだけだ。しかし日記の形で残ることで、残留思念はそこにあり、アニメの記憶も読書の記憶もそこそこ明るく鮮やかに再現できるようになるのである。

つまりこれは記憶を利用したセルフ博物館である。


田舎について書いたのはその日記の集積からでも引っ張り出せるようなことをまとめてみた、ということになる。自分の長野県の時代(約6年間)に何を思ったかということは人間関係関連で山のような記憶があるが、それは直接書くことができないので、一人で行ったことと見たものが中心になるし、それは田舎の世界そのものについて、外から一人が眺めて、その中をうろうろしたということの記録である。

とりあえず先に良かったことから思い出したのでそれを書いた。

書いてから思うことだが、これはどうも、そんなことを毎日していたのか!と自分が自身について驚くような行動の足跡である。独身が板につきすぎている。しかしランニングと風呂が毎日あって救われたとも思っている。それは言うなればアルコールなどに依存することを避ける方策にもなっていたのだ。(4020文字)

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