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からかい上手の高木さん(アニメ)への感想が駄文化する

『からかい上手の高木さん』である。

なにしろ大人気マンガにして、アニメ化され、そのアニメはシーズン3まで制作され、2022夏にはアニメ映画も公開である。みんな大好き高木さん。

とはいえ。昨今(令和)の世間は個別化・分人化・アトム(原子)化である。アトム化についてはwikipediaの「人間疎外」の項を参照のこと。人の好みなんてバラバラだし、マンガが誰でもそれを読んでいるとは限らないだろう。私なんて鬼滅も呪術も読んだことないし。まあそれはいい。

この文章は批評とかではなくて、単に私の思うところの雑文なので根拠とは薄弱だし思い込みだしいうならばでたらめである。そういうのは得意である。

そして『からかい上手の高木さん』(以下、高木さん)であるが、そのマンガの存在を知ったときから、もう私にとってはこれは危険なものであると確信の直感があった。なぜならそんなん、女子のほうからからかってくる、そんなマンガを好きにならないわけがない。だから読むに決まっている。自分の反応が分かりきっている。そんな容易に予想できるものにすぐ飛びつくのは、興ざめともいえる。以上の理由で私は読むことを一旦やめた。

しかし年月がすぎ、コロナ禍が世界を襲い、家にこもることが多くなり、私は遅ればせながらネット配信動画サービスを検討しはじめた。はじめは有吉の壁オープニング完全版を観たいがためにHULUを契約した。しかしやがて、TVerにて本編は見られることがわかり、HULUに未練がなくなっていく(俺ガイルの1~3期全部見たことだし)。

話題になっているイカゲームを観たいこともあってネットフリックスを契約した。イカゲームは確かに衝撃的に面白い。緊張感とどうしようもなさ。主人公への感情移入(私よりやや若い男だったが)。十分楽しんだ後に、高木さんがシーズン1から見られることがわかった。私は何の気なしに見始めた。

そして見悶えた。数多くの疑問。

・なぜ出会った瞬間から高木さんは西片に決定しているんだろう?

・なぜ西片は常に勝負の勝ち負けだけを気にしているのだろう?

以下略

数多くといいながら2つしか提示しなかった。無限にあるからである。

しかしその無限の疑問は集約すると上記2つになる。謎である。

高木さんは揺らぐことなく西片とのファーストコンタクトから態度を決定しそのまま変わらない。からかい続けること。そして西片とともに時間を過ごすことがプライオリティの最上位にあること。それは西片のことを好きだから。そして好きだということを絶対に言わない。

その理由は一切明らかにされない。

西片は中学生男子の中学生男子らしさを全開に生きる中学生男子であり、要は幼児である。幼さだけが西片の特徴である。女子がキュンキュンしているマンガのファンである。野球マンガとそのアニメにも夢中である。UFOが好きである。そして、同級生に弱みをみせること、カッコ悪い状態を呈することが我慢ならない。女子が急接近するだけで赤面する。他人の心情を想像し慮ることはできるが、他人の願いを想像するところまでは及ばない。そしてからかい合戦で勝つこと、高木さんをギャフンといわせることを中心に考えている。そしてからかい合戦で負ける理由についてそれを深く分析することができない。できない故に常に負ける。深くかんがえて二の矢三の矢を用意することをしない。

思うに、西片は実在するが高木さんは実在しない。

何を言っているのか。イメージの話である。この世に西片のように幼児性をたっぷり残した中学生男子はどこにでもいるだろうが、

高木さんのように出会った瞬間に自分の運命そしてその後の人生すべてをそこにベットする(賭ける)ことを決断できて、さらに冷静に常に勝つようにからかいを継続し、からかうテクニックによって相手に遺恨を残すような勝ちかたをせず、偶然をよそおって出会うタイミングを図ることが可能で、勉強ができて体育もそこそこできて、おでこが大きく、目が大きく、常に西片だけをターゲットにしており会話も圧倒的に西片としていて田舎のせまい町で一緒に行動しているのに女子コミュニティでからかわれたりハブられたりされることはなく、いわば超然としており、西片が自分を嫌いになることはないと確信している、そんな女子は実在しない。

私がこのマンガをちらりと知った瞬間からそこでまず忌避したのはそれが都合が良すぎるように思えたからである。西片は何もそのための努力をしていないにもかかわらず高木さんからの寵愛を受けることができる。しかしその方法がからかいであって西片は主体的にはからかわれている(高木さんの娯楽の要素として西片は使用されていると理解している)だけと思っている。だからその寵愛は陳腐になることはなく、つまり消費されつくすことはなく、永続できる。

私が思ったのは永遠にパターンを続けることができるマンガのシステムというのはどこから始まったんだろうということだ。そこで連想の一番手に登場したのはドラえもんであった。のび太がキャラクターの性格としてダメ人間だ。努力を嫌う。母親と先生に怒られる。同級生が横暴だ。犬に追いかけられる。あらゆるトラブルがのび太を毎日襲っている。そこでドラえもんはひみつ道具を出す。それによって一時的にのび太は安寧や解決を得たような気分になる。しかし根本的な問題点が解決されなかったり、道具の不備がみつかったり、状況が変化したりして元の木阿弥となる。これがドラえもんの基本構造だ。これを繰り返せばよい。

高木さんにおいても基本の構造は同様にパターンをもって構成される。からかい合戦がある。西片が題材を思いついたり、高木さんから仕掛けたりする。西片がいつもの浅はかな考えで行動し、勝てるかも、と思い、そして負ける。その過程で、高木さんは、からかうこと自体が楽しくて、つまり西片と一緒に何かをすること自体が目的であるということが、明らかになる。

つまりこのお話はたのしい生活は常にからかいという遊戯を媒介として継続され永続するということである。高木さんは洞察(インサイト)をもってからかいを実施し、常に勝つ。西片のほうから仕掛けられた勝負であっても結果は同じである。西片は常に浅はかなる考えのみで行動するため、その勝負のネタは昨日みたTVだったり、身近なことから思いついた題材であるため、思考のパターンは見抜かれている。高木さんに負ける要素は無い。

更に西片は素直な性格が顔そして態度に出ていてどこからみても脳内の思考が高木さんにはお見通しである。透明化といってもいい。勝負の途中で何を考えているかもわかるし、弁当を持って歩いていることからこのあとどこで何をしようとしているかも分かる。

また重要な点として、西片は、「高木さんに全てを見透かされている」ことを理解しない。当然のことで、もし理解していれば、からかい合戦など勝負すること自体が無意味だろう。かならず負けるのだから。理解していないからこそ、いつか勝負で自分が勝つ可能性があると無根拠に信じている。

しかし浅はかというのは、もしそれで勝負に勝って、高木さんがギャフンと言って、それでそこから一体どうなるのかということだ。それは一瞬の快感かもしれないが、そんな小さい優越感のご満悦があったとて、何が変化するというのか。まあ西片が勝利することはあり得ないので、検討してみても意味がない。

というわけで半分忘れていたが、2つの大きな疑問のうち、「なぜ西片は常に勝負の勝ち負けだけを気にしているのだろう?」については、

全く勝てないから

というのがその返信(回答ではない)となるだろう。西片が幼児である以上は、勝てないからこそ勝負を続けて、永遠に勝負をやめないことで、”いつかは勝つ!”という希望を失わず、勝ち負けこそが至上命題であることを天に仰ぎ見て進むしかない。それ以外のやることは西片には存在しない。だから恋愛を進行させるなんてことは命題として存在する余地がないのである。いつも高木さんはすぐ傍にいるし最近(シーズン3)ではやけに接近してくることも多いけれども、それは西片を赤面させてからかうために行っているだけのことなのだ。高木さんめ!

ではもうひとつの疑問「なぜ出会った瞬間から高木さんは西片に決定しているんだろう?」については返信もなにも、無い。そんなことを気にしてもしょうがない。このお話の最初からそれは既定だったし、そもそも特定の言語化できる理由などといった陳腐なものはその世界には存在しない。あくまで恋愛ではない形式を装って、西片と一緒に過ごす時間を、何かを一緒に行う時間を、機会を、タイミングを、経験を重ねるそして続けることだけが意思であり希望である。言うなれば人生である。永続する人生。

ドラえもんシステムとはつまり永続するトラブルとその一時的解決、再び発生するトラブルである。負けそう、勝ちそう、でもやっぱり負けそう。

原作マンガも読まず、アニメもシーズン3の最終回までを未だ鑑賞しきっていないのに駄文を書くのもいかがなものか。しかし良いアニメこそ人を狂わせるものだ。思ったことを何か書かずにはいられない。いまアニメはシーズン3の5話を視聴中で、その冒頭には、高木さんと西片の娘が登場する。未来を先取りし、高木さんと西片が結婚して子供ができるところまで決定しておいて、現実の世界では高木さんは恋愛要素に着火しないし、西片は恋愛を自覚しないのである。していないのではないか。アニメを最後まで見たらしているのかもしれないし原作マンガでもしているのかもしれない。そんなことがあったらこの駄文もかそけき根拠を失うのだろうな。仕方がない。映画は6月10日公開だってさ。もう中学3年かよ。URLが高木さんめ! https://takagi3.me/

というのもどうかしている。絶対観にいこう。(4025文字)


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