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友人の投稿に寄りかかって巡り会う作品と空腹と梅雨。

颯爽と映画館をあとにしたところで、明日の僕らに何か変化が起きるなどということはきっとない。でも、だからこそ、この情熱は美しい。- - - - -  『映画大好きポンポさん』感想


あまり流行に敏感でないので、そういう映画があるんだな、くらいにしか知らなかった。評判がいいのかな。映画作り映画って感じなのかな。その程度。

そんな折、友人の何気ないポンポさん感想ツイートがタイムラインで目に入った。

大仰な物言いは珍しいな、と思った。
行ってみてもいいな。そう思った。
友人の作品評がどうという話ではなくて。多少は人となりを知っている友人が、こう言いたくなるだけの魅力がある作品だったんだなと。彼にとっては素敵な出会いだったんだなと。それはただシンプルに、とても素敵なこと。
それが僕にどう映るかはわからないけど、たとえ僕には合わなかったとしても、それはそれで興味深いことだなと。その場合は彼の感じた魅力を聞く目的で雑談でもできれば楽しいかもしれないなと。

おもしろさを期待して行くというよりは、「おもしろいと語る友人がいる」という状態をキッカケとして動いた、という方が正しい。

僕は件の友人とはちがい、原作も知らない、予備知識がほとんどない状態。だからこそそうした「友人の情動エピソード」に寄りかかって、それを好奇心に映画館に行くのも悪くない。そう思った。キッカケなんてそんなもの。
何か一つでも二つでも語りたくなるような、素敵なシーンと出会えればいいなと思いつつ。

行くに際してようやく予告をちゃんと観た。スピード感があって魅力的だなと思った。

雨の日はどうしても足取りが重くなる。でも今日は映画を観ようと決めたことで力が湧いてきた。行動の軸ができるのは大事なことだ。


というわけで本編。
とてもよかった。とてもとてもよかった。
本当に濃密で盛りだくさんで、楽しさとエネルギーに満ちた90分だった。

本編中でも語られているとおり、伝えたいたくさんのことを描き出し、積み上げ、組み立て、そして削って、削って、削って、削って!!!!! そうやって「作品」ができあがっていく。その描写がたまらなく美しかった。それはつまりこの映画そのものにもきっと、描ききれていない情熱の断片がもっともっともっともっとあったのだろうと。「それを思わせてくれること」がたまらなく愛しい。
だってそれは、それだけ創作の現場には情熱が溢れていて、葛藤と苦悩があって、そして魅力が散らばっているということだから。

ポンポさんのフォローがあるからこそ成しえていることもある。役者の力に頼るところもある。周りを支えるいろんな人のおかげなこともある。そのうえで、ジーンの執念と情熱と、積み上げた知識だからこそ生み出せることもちゃんとある。それがわかるのが嬉しい。

みんなで作るということを体現しているシーンが重なっていく。本当に素敵だなと。登場人物ひとりひとりにカラーがあり、魅力があり、そこにいるだけの確かなモノがある。交わす言葉全てが力になる。誰一人欠けてはこの瞬間のこのシーンはないんだ。それがどれだけ素敵なことだろうか。

輪郭線が美しかった。キラキラ動く様はアニメーション描写ならではのものだし、ジーンやポンポさんの感動や実感が伝わってくるのが爽快だった。

ジーンの目が死んでることを評価するポンポさん。人生が充実していない人にこそ描けるものがあると語るポンポさん。女優を魅力的に撮れればそれでOKと言い切るポンポさん。それらが正解かどうかではなくて、そうした思いに情熱と行動をもってスジを通す、形をつくる。それがクリエイティブなんだろうなと思った。だからこそ登場する人々がみんな魅力的なのだろう。

作品を誰に見せたいか、というフレーズを序盤で出してくれているのが印象的だった。フォーカスを絞るというのはわかりやすくて納得のいく説明だし、最終的に立ち返るのがそこというのもたまらなく心地よかった。極限状態でなお真剣に向き合った彼だからこそ実感の多い言葉なのかもしれない。

最後のセリフ含め、90分にまとめあげたこの映画本編含め、本当にやってほしいことをやってくれた作品だったと思う。ドーナツ食べたくなったなぁ。


原作も触れてみよう、そう思った。きっと溢れた部分もあるだろうし。この理屈からいえば、原作から映画がどう構築されたか、その過程で描かれ方がどうなったかという表現の変化を楽しむこともきっとできるはず。

あるいは、ここで箔が付いてしまった“映画しかない”ジーンにこのあと待ち受けるのは苦難の道ではないのかなとか。そういうことも知れるかもしれない。いや、どういう原作なのかはまだ知らないけれど。


映画館を出た頃には雨がやんでいた。
創作をするものの情熱や情動、葛藤や快感。そういったものに焚き付けられるような90分だった。それは受け手としても興奮に満ちた時間であったと言っておきたい。

お昼はとっくに過ぎている。沸き立つ何かを心に抱きつつ、そのまま近くの定食屋でネギ塩豚丼を狂ったように貪り食べた。うまかった。本当にうまかった。情熱に伴う躍動感は、時折変なエネルギーを生む。そんなことを思いつつ、一人で満足感を噛み締めた。

食べ終わってようやく冷静になって思い出す。
ドーナツ食べたかったんだ。
まあ、いいか。

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