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ふりをしないといけないのだろうか

自分をより価値高く見せるために振る舞い方を工夫することに対して、とても息苦しさを感じる。

あらゆる交渉において、モテているからモテる(他の交渉相手からも選ばれているから優位に立てる)という原理があると思う。

就職活動では、自分がより仕事ができると思われるように、一緒に仕事がしたいと思われるように振る舞う必要がある。他社からも好条件で引く手数多だと思われる必要がある。

恋愛でも、自分がより良い男であると思われるように、一緒に居続けたいと思われるように振る舞う必要がある。他にも色んな女の子と遊んできて、付き合ってきて、今も引く手数多だけど、そんな中であなたを選んでいるんだと思われる必要がある。

何度も「必要がある」と書いたが、厳密には必須ではない。ただ、よっぽど交渉相手が寛容で思いやりがあって理解がある場合を除いて、丸腰で挑んでも得たい結果は得られないだろう。足元を見られて痛い目を見ることになるだろう。

ふりをしなくても実際にそういう恵まれた状況を作れている人。ふりをする人。ふりができない人。ふりをしなくていいやと開き直っている人。

十人十色だ。

結局自分が思うかっこいい生き方、楽しい生き方と照らし合わせながら、納得感のある生き方を選ぶしかないのだ。

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