300軒取材したなかで、昼飲みの幸福度指数No.1の酒場
ライター 鈴木健太
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直談判した店ほど恋わずらう
誰かを連れて行ったとき、いい店知ってるねと言われた酒場を記事にしてほしい――と編集部からメールが来たのは、春分の日ちょい前の3月某日。この依頼、結構考えこんでしまった。
恐らく酒場取材は300軒以上、本誌『散歩の達人』でも200軒以上は取材させてもらっている。その中で1軒絞り込むのはなかなかにムズカシイ。
頭に浮かんだのは神保町の『兵六』、国立の『うなちゃん』あたり。
ともに老舗の名店ながら、創業者がコワモテと聞き二の足を踏んだり、開店前に並ばないと入れなかったりとハードルは高かった。それに、店に行き、飲んだ後に直接取材をお願いし、OKしてくれた酒場ほど思い入れも深くなる。
で、悩んだあげく選んだのが武蔵小山の『牛太郎』だ。こちらも本誌で取材依頼をした際、電話をしても繋がらなかったため直談判へ。ところが、女将さんに「もう満席で、この後そろそろ店じまいだから」と入店を断られてしまった。
14時半には満席の昼酒天国
そこで、時間を潰し、何度か店を覗き、閉店の時を待った。20時30分過ぎ、長っ尻の常連が帰るのを見計らい、いざ直談判。無事、店主の城さんに取材OKをもらえたのである。
後日、Iカメラマンを連れ、本誌の取材を敢行。数日後、こんなメールがカメラマンから届いた。
「牛太郎、最高でしたね。お時間あるときに昼間牛太郎にお付き合いお願いできますか。1人ではなかなかハードルが、、、」
昭和30年(1955)に武蔵小山で創業し、城さんが今の自宅兼店舗を構えたのは46年前。店の壁には、畳屋さんや左官屋さんなど当時建設に携わった人の名を記した木板が掛かっている。木板が見守る店内は15人ほど座れそうなコの字カウンター席のみ。
それが、開店の14時より前から、秘密の出入り口よりやって来る常連でポツポツと埋まりだす。
「どーも」「おはようございます」なんて挨拶を交わしながら、それぞれ定まった席に着座。
まだ城さんの「シャカシャカ」と何かを和える音が聞こえるぐらい静かな時間帯、ある常連はテーブルを拭いて店の手伝いをしたり、ある常連は持参の青汁で勝手に青汁ハイを作り出したり。そこに、城さんが常連のボトルやお新香をさりげなく置く姿が、また美しい。
週6回、40年通う客がいる
14時30分にもなるとほぼ満席。恐るべし、牛太郎。店の名物、蒸したガツとカシラをニンニクの効いた味噌だれで味わうとんちゃん130円(写真右上)や、新鮮な豚のもつ焼き各110円などで何杯かやってると、昼から気持ちがよくなり、隣客のおじさんとの会話も弾む。
「週どれぐらい来られるんですか?」
「30年間、週1~2回は来てるよ」
「そんなに長く?」
「いや、私のお隣さんは週6回、40年続けて来てんだよ。アハハッ! 居心地いいしさ、おつまみも酒も安いから、クセで足が向いちゃう。なにより、常連は城さんの人柄に惚れてんじゃないかな。いっつも会計が安いから、500円ぐらい多めに置いてく馴染み客もいるよ」
君は「昨日の煮込み」を知っているか?
とんちゃんと並ぶ、牛太郎の看板つまみが煮込み130円。こちらは店名の通り牛のフワやシロを味噌ベースのつゆで煮込んである。
僕は、まだ煮込まれ過ぎずモツの食感が残っている昼の煮込みが好きだ。ここに卓上の七味をワサッとかけてピリ辛濃厚味噌味にし、それに対極の甘~いブドー酒160円を合せるのが、モゥたまらなく旨い。
が、味覚は人さまざまで隣のおじさんいわく「大鍋の横に赤い小鍋があるでしょ? そこに入ってるのはドロッとした昨日の煮込みで、それがお気に入りの常連もいる。一度だけ奇跡的に一昨日の煮込みを食べたことがあるけど、もうポタージュだったね」
カウンターに満ちる酒の通人たちの優しさ
とあるインターネットサイトで「注文は店主に聞かれるまで待つべし」とあるが、必ずしもそうではない。ただ早い時間帯は城さんのワンオペなので、常連は気を遣って注文を待つこともある。あるいは勝手に自分でキープのボトルを取って酒を飲み出すのも、帰り際にカウンターをさっと拭いていくのも、城さんの手間を減らす心配りなのだ。
そういう阿吽の気配りを店の独自ルールと解釈してしまうと、牛太郎のハードルが高くなる。でも、お客さんたちの優しさゆえの所作だと気づくと、断然居心地が良くなるのだ。
僕は昼の煮込みが好きなせいもあるが、牛太郎は断然昼派だ。働く世間と店内を区切るガラス戸からは、陽が差し込み、コの字カウンターと酒を燗するお湯の湯気を照らす。
酒の達人であるおじさんたちの所作や笑顔を眺めたり、みんなが愛する城さんとの世間話やだじゃれを聞いていたりすると、とてつもない幸福感に包まれる。昼酒の幸福度指数は、自分が取材した中では断トツだ。
(たぶんIカメラマンも昼の空気感が気に入って「昼間牛太郎に」と言ったのだろう)
この日、とある常連が誕生日で「マスターごめん、ちょっとこれで一杯ずつ乾杯させてもらっていい?」と、持ち込んだ新潟の地酒をほかの客に振る舞っていた。その客が1時間ほど飲んで帰る際、払おうとするお代を「特別な日でしょ」と決して受け取らない城さんを、僕はトローンとした目で眺めていた。
文・撮影/鈴木健太
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