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自己紹介サンちゃんってこんな人

初めまして!福岡でナースマンをしているサンちゃんだよ。

普段は特殊疾患病棟で、患者さんのケアをしたり、注射をしたり、病棟の平和を守ることをしている。

またあるときは、ありのままの自分について考え、ワークをオンライン上で行ったりしとるばい!

このように今を元気に、明るく振る舞っている私でも、以前はダメダメな時があった。

苦しくて、

いっそうの事消えてしまいたい。そしたら楽になる

と思っていた時期があった。

それを克服して、今はいきいきと楽しくナースマンをできている。

時にはおもしろいダンスを踊って投稿したりもできている。


今までマイストーリーを書いた。よかったら読んでね。


1.なぜナースマンになろうと思ったか?

僕は中学校時代、工業高校機械科に進んだよ。

航空整備士になりたいと思っていたから。

工業高校時代は、資格取得に夢中で、勉強バカになってた(笑)

ガリ勉になっちゃえーって

するとある日、お腹の横のあたりにできものができていた。

最初虫刺されかと思っていたので、家にあった軟膏をつけようとした

瞬間その当時、准看の学校に通っていた兄が気がついた!

「これはやばいやつ!皮膚科にひった方がよかぞー」

と一言。皮膚科で診てもらったら帯状疱疹という病気だった。

帯状疱疹は、神経痛が残ってしまうこともある。

神経痛が残らず治ったのは、兄のお蔭、

「俺はナースマンになる!」

ということを決意し、勉強を開始した。

ガリ勉パワーで近くの看護学校に入学した。

2.看護学校時代の病み期

座学はめちゃくちゃ好きだった。

人の身体の事が知れて幸せーみたいな感じで←タダの変態か?(笑)

一番辛かったのは、やっぱりなんと言っても実習。

実習の記録が大の苦手!

記録書けねーやばいよやばいよって

毎日言いながら考える力も無くて、気づいたら寝てることもあった。


なんとかできて、持って行くと、

「こんなのさせられません。」と臨床指導者から言われ、

オーマイガー

と思いながら、書き換える。

嫌で嫌で病んでいくのが分かっていた。

逃げたい!逃げたい!

言っているうちに、記録や事前学習ができなくなっていた。

ペンを握って、その先が書けなくて、

でも患者さんとのコミュニケーションだけは好きで

なんとか卒業はできた。

看護学校の一番良かったこと!国家試験合格!

生きてて良かったーって思った。

これで患者さんの力になれる。

よっしゃー!と無重力みたいに身体が軽くなったね。

3.新人看護師時代 超病み期 へっぽこナースマン

国家試験受かったからどきどきワクワクで病棟派遣されて、整形外科で働く事になった。

その当時男性看護師は自分だけ。

報告も下手で、

「タイミングが合わなくてー」

が口癖で、時間管理も下手で、患者さんのバイタルサインに時間をかけすぎていた。

コミュニケーション重視でとにかく、話をして聞き出せという思い込みがあった。

喪失感や、失望感、後悔、痛み、苦しみに一人で立ち向かってた患者さんが

自分にだけ、心を開いてくれた。

あの喜びを11年たっても忘れられない。

目を合わせて、患者さんと真っ正面からお話を聴く姿勢を私は大切にしたい。『傾聴のプロ』であり続けたい。

しかし、気づいたら、「ダメ新人」のレッテルを貼られていた。

時間通りに進められない=悪

「やる気あんの?」と言われ、

悔しくて悲しくて病棟で涙を流したことも。

点滴もできない、内服管理もできない。手術後の患者さんの管理もできない。

1年間、ほぼ看護助手さんのような仕事をしていたところ。

看護部長から「あなたにもうチャンスはあげられないよ。」と言われた。

もうダメだー。立ち直れない。人生終わった。

と思った。



だけど、もう一人の自分が言った。

「まだ、自分を必要としている人はいるじゃない?」と。

患者さんの「あなたに出会えて良かった」の一言が心の支えだった。

その言葉を胸に、就職活動をして、当時兄が勤めていた、鹿児島市内の病院へ行く。


4.鹿児島にいったら開花した。

鹿児島の病院では、患者さんやスタッフにも求められた。

注射をやるのもやらないとうまくならない!

内服薬管理もやらないとうまくならない!

と言われ、やってるうちにできるようになった。

「自分って求められてる。ヤッホー」と感じて、

とにかく前向きにやろうと感じた。

人間やらないと成長しないんだよね✨

ありのままの自分でいられるように周りの人に

気づかせる人になりたい。


5.NSTを一所懸命やってる薬剤師に出会えた

栄養を制する者は医療を制する


栄養サポートチーム。略してNSTと呼ぶチームがある。

それに取り組む薬剤師とであったときに、

栄養は栄養士じゃなくてもできるし、楽しいなという気持ちにさせられ

とりつかれたように、栄養に打ち込んだ。

気づいたらリーダー的存在になれていた。

勉強会の企画運営までおこなえるようになった。

6.NST専門療法士になった

資格をとりたいと思っていたら、看護部長が背中を押してくれて、無事受験ができた。

まだまだ知識はあるが経験が足りないのと、もっと仲間とつながって栄養サポートのパワーを高めて日本健康寿命を上げたい!


今後のVISION

NST専門療法士として、もっと、栄養を好きな人と繋がる!そして、日本の観光寿命を延ばす!

自分ダメだと思っている新人看護師のサポートをする!

孤立している人を支える気持ちよく笑顔で生き、最後を安心して迎えられる世界にする!








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