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中曽根元総理の葬式費用の一部を政府が拠出することは、そんなに批判されることなのか?

2020年9月25日(金)下記のニュースが流れました。

これに文句を言っている人の多いこと多いこと。
日本人の民度はここまで下がってしまったのかと、ため息というか涙まで出そうな感じです。

しまいには、著名人のうじきつよし氏まで自身のツイッターで更新して批判する始末。


あまりにも酷い馬鹿が多すぎるので、中曽根元総理の本件について、2つの面から検証してみたいと思います。

検証1:なぜ、政府が個人の葬式代を出すのか

まず、中曽根康弘氏はいうまでもないですが、内閣総理大臣の職にありました。期間は1982年(昭和57年)11月から1987年(昭和62年)11月までの丸5年間です。

この5年間、中曽根元総理(中曽根内閣)がやった大きなことは4つになるかと思います。

1、行政府における余剰人材の吹き溜りと言われ、誰も手を付けようとしなかった行政管理庁を廃止し、総理府人事局と統合させて総務庁(現:総務省)としてリニューアルさせた<行政改革の実施>

2、日本電信電話公社、日本専売公社、日本国有鉄道の3公社の民営化に関する法案を成立させ、民営化する道筋を作っただけでなく、当時半官半民だった日本航空の完全民営化を推進させた<国営事業民営化の推進>

3、内閣主導による学習指導要項の改訂を成し遂げ、日教組の影響力を低下させた<教育方針の方向転換>

4、伊豆大島三原山噴火災害において、首相権限の独断で海保や南極観測船などの船を出動させて全島民の救出を成し遂げた<有事の際の首相権力の行使>

一方で、学習指導要項の改訂が「ゆとり教育」を生むの要因の1つになったり、余暇の活用を促す総合保養地域整備法(通称リゾート法)の制定が、宮崎のシーガイアに代表される全国各地の観光地の開発疲弊を招いたり、プラザ合意による公定歩合調整が投機ブームを招いて、バブル経済を作り上げたりしたことも、また負の事実だと思います。

内閣にはそれぞれ功罪があります。しかしながら、中曽根元総理は、生前、「大勲位菊花大綬章」という高位勲章を授与されています。

これは、日本国の上位勲章(桐花章)以上の功績を国家にもたらした人物にしか与えられないものです。基本没後に授与されるものですが、生前授与されたのは、中曽根元総理以外では、第二次世界大戦後の日本の主権回復に功績のあった吉田茂(第48、49、50、51代内閣総理大臣)と、ノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作(第61、62、63代内閣総理大臣)の2人しかいません。

その上、中曽根元総理は没後、「大勲位菊花章頸飾」と言う勲章を授与されています。これは、現行法では日本で最高位の勲章です。皇族や外国元首への儀礼的な授与を除けば、この勲章を授与された国民は明治期から数えても14人。戦後に至っては前述の吉田茂、佐藤栄作そして中曽根康弘の3名しかいません。

内閣としての実績が勲章レベルで評価されているという事実を鑑みると、中曽根元総理の葬儀に政府が金品を拠出することに何の違和感があるのか。私には全く理解できません。

今回の中曽根元総理の葬儀費用の一部が政府から拠出されることを批判することは、国のために限りあるの命の一部を公務に捧げた人間を冒涜する行為であり、はっきり言って「非国民に等しい人間」であると軽蔑されてもおかしくないと私個人は考えています(個人の感想です)。

また諸外国からすると、国家の中で最高位の勲章を持つ人間の葬儀に国が金を出さない方が理解されないでしょう。勲章と言うのは国内よりも国外において大きな意味を持つものですから。

検証2:金額が高すぎる

ツイッターなどのSNSを見るに、日本国民の民度の低さが凄まじいと思いました。最初にあげた記事リンクにもありますが、みられた意見として

・なぜ税金使うのか。
・こんなことのために税金払ってるんじゃない。
・自民党のカネでやれ。
・その費用をコロナ対策に回せ

大きくこんな感じかと思います。
日本における内閣総理大臣が、こんなクソみたいな国民のために働いているのかと思うと、この国で政治家を志す人間が減っていくのは当然だなと思いました。

記事内にもありますが、イギリスのサッチャー首相の場合は、準国葬と言うこともあり、15億円が国から拠出されています。

2018年現在、世界のGDPランキングの5位のイギリスが国のトップの葬儀関連費用に15億円だしてるのに、GDPランキング3位の日本は9,000万で文句垂れてるんですか......ほんと情けないですね。

これを批判してる方々は多分「恥ずかしい」とは思わないんでしょう。
いつから日本人はこんな「浅ましい人間」になってしまったのでしょうか。

最後に

内閣総理大臣は内閣の最高責任者であり、国務大臣の任免権と国務全般を指揮監督する人間である。その人物は必ず国会議員の中から選出され、国会によって指名され、天皇陛下によって任命されます。

天皇陛下によって任命された内閣総理大臣に任期はありません。内閣不信任案が可決して内閣総辞職するか、総選挙して敗北するまで続きます。

つまり、内閣総理大臣に指名された者は「その任期において、自分の人生の一部を国家に捧げ、当人が最善と考えることを国会に諮りながら行う」義務を負います。

もちろん、その治世の審判は「選挙」と言う形で明らかになります。

そう言う過酷な世界に一時でも身を置くだけでも大変なのに、亡くなられてからも批判されるとか、ご遺族の方々の気持ちを考えるといたたまれないものがあります。

Wikipediaによると、中曽根元総理は、内閣総理大臣を辞任後、1991年の湾岸戦争で中東特使となって、当時のフセイン大統領と会談し、日本人の人質を全員解放させたとあります。

私は、今回の批判について「一個人の有限の時間を国家に費やしてくれた人であり、首相としての功績や退任後も国家のために尽くしてくれた人に対して、あまりにも無慈悲な行為」ではないかと思います。

私は、自分もその一人である日本人がこんなにも狭い了見しか持たない人種だったのかと思いたくありません。だからこそ。国の元首の最後の見送り(葬儀)ぐらい、感謝の心を持って送り出すべきだと切に願います。



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