三線はなぜ長くなったのか? 〜三線と数字にまつわる謎〜


 ここのところ「笑ってはいけない三線づくり」をずっとやっていて、まだ棹にうるしを塗ったり削ったりしている最中です。

 まだもうちょっと凹んでいる箇所などがあり、そこを埋めている最中なので、ビフォーアフターはまた今度ご紹介しますね。

 ところで、今回は「三線と数字」にまつわる「謎」をあれこれ取り上げたいと思います。


 そもそも、三線という楽器は工業製品ではないので、その寸法やら仕様は個体によってそれぞれ異なるのが特性。いちおう「真壁型だよ〜」となっていても、天神部分のデザインから乳袋あたりの仕上げや、鳩胸のカーブなどもそれぞれの楽器に応じて微妙に異なり、作者の傾向が見て取れる楽器です。

 いちばん違いが出るのが「猿尾掛け」のチーガ(胴)から飛び出した部分で、ここの仕上げは千差万別で長さや太さも違います。

 なおかつ、三線はフレットがない楽器なので、ウマを立てる位置も決まっていなければ、弦を押さえる勘所も厳密ではありません。

 初心者の方は、このため「最初のセッティング」にたいへん苦労するのはないか?と思います。

(初回購入時にはポジションシールが貼られているのはそのためです)


 私の場合は本州の地唄三味線からこの世界に入ったこともあって、そもそもは、ポジションシールを貼る習慣がありません。三味線も三線も、最終的に目指すところは「勘所」「ポジション」を目で見て押さえるのではなく、耳で正しい位置を割り出すことが求められます。

(とはいえ、三線コード弾きでは便宜上12フレットに相当するポジションシールを貼るんですがね。youtubeでの演奏時には、弾きながら微妙に修正しています。ポジションはあくまでも目安です)


 ここで面白い事実を!

 実は三線の勘所、どこにシールを貼ったらいいかはお店によって指定される位置が微妙に違い、確定していません。

(中級者以上は耳で修正するため、シールは不要なのかもしれませんが、それにしても初心者にとっては大問題?!ですよね)

 以下具体例です。A〜Cの三つのお店の違いです。


A 五 6.4cm 六 12cm 七 15cm 尺 17.3cm 八 19.3cm

B 五 6.5cm 六 12cm 七 15cm        八 20cm

C 五 6.2cm 六 11.2cm 七 15cm       八 19.8cm


 3つのお店のデータを取り上げましたが、微妙に違います。うーん、どれが本当なのだろう。(尺は2つあるので、記載があったりなかったりします)


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 ちなみに、みなさんは、三線のどの位置にウマを立てるのが正しいのかご存知でしょうか?一般的にはチーガの下端から指3本もしくは4本分、なんて書かれている説明が多いと思いますが、

「弦長=2尺(606mm)」

がひとつの正解です。

 上コマから下コマ(ウマ)までが2尺で設計されているのが、三線だということですね。

 ここで、ちょっとだけ余談。606ミリが正しい弦長だとして、その場合の正確なフレット位置はどこになるのか。

 ギターのフレットを切るための計算方式(平均律)を当てはめると

■ 五 66.1mm 六 125mm 七 152mm 尺 177mm 八 201mm

が計算上のポジション位置になります。なるほど、各三線店が推奨するポジション位置と似てはいるものの、これまたちょっと違いますね。

 最終的には、三線の個体それぞれによって、弦高なども微妙に違うので、数字を先に持ってきて、それに当てはめて正確な音を出すというのは、難しいということがわかります。


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 さて、ここからもっとすごい話に切り替わります。

https://www.m34t.com/34knowledge/length/


みなみ三線店さんでも説明がありますが、現在の三線の棹の規格では

「一尺五寸八分」

が上コマから爪の先(棹端)までの長さと決まっているようです。ところが昔の棹には

「一尺五寸三分」

くらいのものもあるくらい、短いんですね。

 この理由、実はあまりよくわかっておらず、たとえば、みなみ三線さんでは「弦のテンション」について関係があるのではないか?としておられたり、日本人の体格が大きくなったことと関係があるのでは?とか、いくつかの説があります。

 ところが、「本当はこれじゃない?」という面白い説が別に見つかったので紹介したいと思います。

 それは、

「尺の実寸が、昔と今とでは違う」

という新たな説です。

 沖縄国際大学の又吉光邦さんという研究者の方が調べた「石垣にある宮良殿内にある”尺(ものさし)”の寸法」についての論文に、面白い話が載っているのです。

(「産業情報論集2013」『宮良殿内にある魯般尺と三線尺』)

 それによるとまず「魯般尺」というものさしがあり、それは一般には「唐尺」という名称でも呼ばれていて、「長さを測るものさし」として使われると同時に「吉な数字」「不吉な数字」を見るための「風水ものさし」でもあったらしいのです。

 つまり、ものさし上の数字で「吉」にあたるサイズ、寸法で物作りをするといいぜ!という使われ方をしたというわけです。

 ところで肝心なサイズは、魯般尺では

「1尺=43.6cm」

であり、通常の「1尺=30.3cm」に対しては1.44倍大きいらしいことがわかっています。

 このままだと、わけがわかりませんが、実は琉球王府時代の1尺は明治以降の尺(30.3cm)より短く、29.78cmであることがわかっているらしく、この魯般尺は、明治以降の新尺に対して1.44倍大きいということになります。


 さて、話はここからさらにややこしくなります。この魯般尺と一緒に保管されていた別の尺があり、その尺は明治以降に作られたものでA尺と呼ぶとしましょう。

 このA尺は長さが75.75あり、30.3の2.5倍です。これを三線づくりの尺と考えると、この長さはチーガから飛び出した「猿尾」掛けの部分を除いた三線長さに相当するようで、つまり、飛び出し部分(約1寸)は全長に含まないおまけに当たると見ることができます。


 さて、このA尺が明治以降の30.3センチを基準にしたものだとすれば、琉球王府以前の三線は、旧尺の「29.78」の2.5倍を基準にしているだろうと推測されます。

 つまり、猿尾掛けの飛び出した部分を除けば

「74.45」

が旧三線のサイズ、ということが予測されるわけですね。

 仮に、飛び出し部分が1寸だとすれば、旧1寸である2.97を足せば全長になります。

 つまり

「77.42〜43」

くらいが、旧三線の全長である!ということです。

☆ 現代の三線は、その理屈だと「78.78」くらいになります。

 その差約1.3cm。これで昔の三線が小さいことと合致しそうですが、どうでしょう。










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