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5月8日(2005年) オシムさんを偲ぶ

2005年は上位に負け続けたとは言え、翌06年当時、浦和が敵わない相手はいない状態だった訳です。だからリーグ優勝できたのですが。
そんな中、ほぼ圧倒され力負けをし続けたのが、オシムさん率いるジェフ千葉でした。

オシムさんが千葉の監督に就任した2003年以後の対戦成績は、
2003年8月2日千葉1-2浦和 ○
2003年9月23日浦和2-2千葉 △
2004年5月15日浦和3-3千葉 △
2004年10月2日千葉0-4浦和 ○
とここまではよかったのですが、
2005年5月8日浦和0-0千葉 △
2005年8月31日浦和1-3千葉 ×ナビ準決
2005年10月5日千葉2-2浦和 △ナビ準決敗退、その後ジェフ千葉初優勝
2005年11月23日千葉1-0浦和 ×
2006年5月3日千葉2-0浦和 ×
(2006年7月に日本代表監督就任)
このとおり千葉がオシムさんのサッカーに順応したら、全く勝てなくなりました。

普通に5万人超え

05年5月8日の試合にあまり記憶はないのですが、前年の大勝のイメージがあったので勝てないことにすごく不満を覚えた気がします。

千葉といえばイエローダービーでしたね

まあそれはこの年の秋に単なる驕りだったと気付かされる訳ですが。

オシムさんのサッカーの凄いところって、現代では普通とされている両サイドバックの同時攻撃参加とか、ディフェンスのハイライン&前線からの連動前プレを20年近く前に普通にやらせていたことです。
当時は自分もサッカーの見方がポンコツだったので、何が凄いかよくわかっていませんでしたが。ツーバックなんてすごいリスキーなごとやるなぁくらいにしか思ってませんでした。

06年当時のジェフ千葉ベストメンバー

この時代の千葉に育っていった選手は、阿部ちゃんはもちろん、当時名選手として鳴らした選手ばかりですね。決して資金力豊富なチームではなく、何なら毎年選手を引き抜かれていくチームにあって、選手を育て上げ、素晴らしいサッカーを構築していった名監督でした。
代表監督就任前も浦和レッズは特別なチーム、そこにいる選手はもっと自覚しなくてはならないということをおっしゃっていたので、気になる存在でした。代表監督として就任後、最初の日本代表はほぼ浦和レッズだったので、オシムさんに選んでもらえたことがとても誇らしかった覚えがあります。

先週、2022年5月1日に80歳にてご逝去されました。日本のサッカーにご尽力いただいたことを深く感謝するとともに心からご冥福をお祈りいたします。

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