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弱い者であれ

最近、”ツヨイヒト”に憧れなくなった。羨ましくもない。あれほど恋い焦がれていたツヨサ、なのに。

小さい頃から身体も弱くて悔しい思いをたくさんしてきた。周りの同年代の子と同じようにはしゃいげない。放課後の図書館でひとりぼっちで本を読む、そんな子供だった。そのせいか、社会人になった今でも、どうしてもうまく周りに溶け込むことができずにいる。自分はひとりが好き、なのか、それもよく分からない。

学生時代には、色んなヒエラルキーがあることを知った。JKは特に敏感だ。いつか自分が、”落ちて”しまうんじゃないかと、いつもシマウマのような目つきで見渡している。ライオンは、しょっちゅう入れ替わる。女の子じゃなくてよかった、そう思う。

相変わらず僕は、ヒエラルキーの圏外でいつものように過ごしていた。ある日の放課後、ヒエラルキーから転げ落ちた女の子が机に突っ伏しているのを僕は見た。きっとほんの数時間前に、餌食にされたんだろう。

僕はそっといちごジュースを彼女の横に置いた。

「よかったら、」

「あ、えーっと」

「田島っていいます」

「あ、田島くん。あたし、佐古田っていうんだけど」

同い年で同じクラスなのに、なんかぎこちなくって、ふたりともプッと吹いてしまった。それから、初めて会った人が交わす定型文を言い合った。「何中出身なん」とか「何部なん」とか、そういった類の、アレ。

もともと僕は引っ込み思案だったこともあって、中学の時はいじめっ子の対象にされやすかった。自分の机から教科書がなくなったり、やってもいない事を先生に告げ口されたりした。学校に行くのが嫌で、仮病を使ったことだって何度もあった。「なんでこんなに弱いんだろ」そうやって、自分を責めていた。

佐古田さんと話した翌朝、不運にも、僕はヒエラルキーに属してしまうこととなる。僕の机の表面には、文字が強く彫られていた。

「調子こいてんじゃねえぞ」「死ね」「マヂ糞」

佐古田さんは僕を見るなり、申し訳無さそうな顔をしていた。僕はあえて、佐古田さんの席に歩いていった。クラスの目が一斉に、僕の背中に刺さる。こんなにいっぱいの人に見られたことなんて一度もなかったから、背中がゾワッとする。僕には相変わらず、振り返る勇気はない。けれど、声を掛けた。

「昨日は、」

「昨日は、ありがとう。今日の放課後、付いてきてほしい場所があるんだけど」

「あ、うん」

「じゃあ、17時に校門で」

「うん」

僕は「始業のチャイム、はよ」と心の底から強く願った。皆の視線をどこかに逸らす、何かきっかけが欲しかった。数秒後、先生が教室のドアを開けた。途端に僕は、滑り込む格好で、席に座った。一番後ろの席で良かった。

授業が早く終わって、言われていた時刻の10分前には校門に着いてしまった。シマウマたちの視線が痛い。佐古田さんは予定の5分過ぎた頃に走ってきた。靴がやけに汚れているように見えた。お互いに「よっ」とだけ挨拶を交わし、歩き出した。

くねくねと入り組んだ道を、何度も曲がる。10分もすると、カアッと大きく視界が開けた。海だ。こんな所に、海。水面に映った夕日は、幼稚園児が描いたようにぐにゃりとうねっている。それでも、綺麗だ。

その日を堺に、ふたりへの”いじめ”はエスカレートしていった。それでも、毎日、一緒に夕日を眺めた。何度見ても、飽きなかった。

あれから社会人4年目になった僕は、相変わらず冴えていない。けれど、あの頃の夕日を何度も思い出す。それだけで、胸がぎゅうっと高鳴る。人生にひとつでも、トキメク経験があれば、充分じゃないか。

27歳の僕には今、奥さんと子供がふたり居る。旧姓は、佐古田という。最近はふたりの子供も大きくなって、僕の口癖を真似るようになってきた。

「人の痛みが分かる、弱い人間でありなさい」

強い人間じゃなくて、僕は本当に良かった。そう思う。

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