生活記録202210月13日

今日はファインディングドリーを見ました。なんとこの映画、障害者をテーマにしているのです。すぐに物事を忘れてしまう魚のドリーが親を探す話なのですが、映画のところどころに障害を持ったキャラクターが出てきます。生まれつきヒレが小さいニモを始め、なにを考えているのか分からない鳥、ものすごいアホなデザインで普通に話すことができず虐められているオットセイ、目が見えず壁にぶつかり続けるジンベイザメなど、障害を持ったキャラクターがたくさん出てきます。
最終的にこの映画は障害を持ってる生き物は他の人にはな良いいところがあるよという結論に行き着きつきます。
正直辿り着いた結論はありきたりだなと思ってしまったのですが、途中で描かれる障害者を持った子供を産んでしまった親の気持ちが物凄く興味深かったです。
障害を持ったこの娘が生きていける気がしないと思いながらも、娘を成長させるために不安を見せずに褒め続ける。
娘が一年以上帰ってこなくても諦めずに会うことを望み続ける。
母性というものには僕の知らないものがたくさん詰まっているのだろうなと感じました。

この映画を物凄く簡単に説明すると、主人公ドリーが不運な事故で親と何年も離れになり最終的に再開して良かったねと言うお話なのですが。
ドリーの親は娘と再会するために毎日貝殻の印を各地に並べていました。
娘と再開したときに「絶対戻ってくれると信じてた」と言うのですが。僕はこの言葉を聞いて物凄く怖くなりました。
おそらく彼らは娘が帰ってくるまで永遠に貝殻の印を並べ続けていたと思います。
もしかしたら命尽きる寸前まで諦めれないかもしれません。
なぜならまだ娘と会えると信じているから、また娘と会いたいと強く願っているから。
ただこの気持ちは時が流れるたびに疑問へと変わっていくと思うのです。
「娘は本当に生きているのだろうか」「本当はもう死んでしまっているのではないだろうか」「実は娘は私達を嫌っていて自ら逃げたのではないだろうか」少しずつネガティブな妄想をしつつも「まだ生きているんだ」「私達を探し続けているんだ」と思い込ませてしまうと思うのです。
僕は東日本大地震で行方意不明の息子を探すためにショベルカーの免許を取った母親を思い出しました。
ディズニー映画ということもあり、そのような展開になることはないのですが、こう考えると母性というものが良いものなのか疑問が生まれてしまいます。潔く娘を諦めれた方が親の人生にとって良いと思うのですがそれを分かっていても母性というものがそれに逆らうんだと思います。

なんてことを考えているときに僕はとてつもなく幸福を得れるのです。誇張抜きに涙が出そうになるぐらい一番生を実感するのです。
先生には生を実感する瞬間(笑)はありますか?

ps今日の朝ごはんはなんでしたか?

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