季節外れのとうもろこし

きのうきのう、あるところに一人のおばあちゃんが立っていました。

そのあるところというのはバカみたいに急な坂道で、おばあちゃんは坂の三分の一も上がっていないところで疲れてしまったようでした。

一人で登り切ることもできなければ、下ることもできない窮地に立たされたお婆さんは困り果てていました。

そんなところに、初めてスタジオでエレキギターを弾きにいこうとするワクワクでいっぱいの私が通りかかりました。

見るからに困ってるおばあちゃんを放って置けない、めちゃめちゃいい子の私が話しかけようとしたちょうどその時、

「ちょっと助けてもらえない?」

とおばあちゃんから声をかけてくれました。
私の口はおばあちゃんに声をかける2秒前だったので、返事の準備はできていて、キモいくらい早いスピードで返事をしました。

そうして、おばあちゃんに寄り添って歩きました。
おばあちゃんの軽すぎる全体重を右腕に感じながらいつもの何倍もかけて坂を上りました。

おばあちゃんはすごく喜んでくれて

「助かった。ありがとう。」

と坂を登る間中ずっと言ってくれました。


さて、ここで問題です。
助けられたのはおばあちゃんだけでしょうか。

答えは「いいえ」です。

助けを求めたおばあちゃん以上に助けられたのは他でもない私でした。

電車に乗ったら席を譲られることすらある私は、怪我をしてからというもの情けないことに人に頼ってばかりでした。

大人になってから大人にお風呂に入れてもらったりしました。
一人で歩くことができなくてトイレすら自由にできませんでした。
怪我してる私を気遣って重たい荷物を代わりに持ってくれる人もいたりしました。

いつも、ありがとうっていう気持ちと、申し訳ないって気持ちが混ざっていて、気持ちの割合が僅差で勝っている感謝の言葉を申し訳なさそうに伝えていました。

そんな私が、人の支えになれたことがどれだけうれしいかを例えるとするならば、そうだな、、
ずっと歯に詰まっていたとうもろこしの皮をとった時みたいな感じかな。

詰まっていたモヤモヤが取れたようなかんじって言いたいんだけど伝わってますか?

おばあちゃんからしたら私が足にサポーターを巻いていようがいまいが関係なく、その場に通りすがった人って言うだけだったと思うけどね。

人が通るのずっと待ってたんだって。
おばあちゃん、人に頼るの慣れすぎ。笑

おばあちゃんは若いうちはたくさん遊びなさいという言葉を残して、元気に歩き去っていきました。

頼る人と頼られる人には、高いところから低いところに水が流れていくように一方通行でしか感情は動かないと思っていましたが、そんなことはありませんでした。
低いところから高いところに登っていく超常現象のように、錯覚ではなく確かに、頼られる側にも動かされる心がありました。

今日、何かダメなことがあって誰かの手を借りた人は、手を貸してくれた誰かの歯に詰まったとうもろこしを知らず知らずの間にとっていたかもしれませんね。


めでたしめでたし。

P.S.
初めてドラムとセッションして弾いたギターめっちゃ気持ち良くて楽しかったです。
ギターを貸してくれて、場所の手配をしてくれて、頼りまくった友人には、そんなに楽しんでもらえてこっちが嬉しくなると言われました。

私も歯に詰まったとうもろこし取る手伝いができたと思います。




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