馬太乍はつくりたい。
私は馬太乍という名前でよくお絵描きをしています。
"うまたつくる"ってよみます。
どう意味なのかと聞かれることがたまにありますが、なんとなく濁してきてしまいました。
自分で名付けておきながら、
ちょっと恥ずかしかったりするからです。
自信を持ってこうだよ!って言えるほど
理由がはっきりしていなかったからっていうのもありました。
でも、
今日、ずっと前から行きたかったデザフェスっていうクリエイターが大集合するイベントに行ってきました。
そこには所狭しと並ぶたくさんのクリエイターがいて、自分が好きなもの、得意なもの、笑顔になれるものを使って人を笑顔にしていました。
本当にすごい、かっこいいと思いました。
私もそれになりたい、と思いました。
形だけでも、できることだけでもやってみようと、
自分が自分に付けた名前の理由からもう一度考えてみることにしました。
自分の活動をしていく名前には、
駄作っていう漢字を分解して使うことにしました。
最初は言葉遊びと語呂のよさでした。
この名前にすることで、
自分が作った作品が響かなかった誰かに心無いことを言われても、「そうです。駄作なんです。」といって自分を守ることができるかな、と思いました。
逆に、駄作なんかじゃないってめっちゃ褒めてくれる誰かが現れてくれてもいいな、たらちょっとニヤニヤしちゃうな、とも思いました。
あ、今まで描いた作品は全部
この世の誰よりも私が一番大好きだし、かわいいって思ってるし、自分のこと天才だとも思ってます。
だから誰に何を言われても、私が作ったものが可愛いことは絶対に揺るがない事実ではあります。ありますが、自分が傷つかないように自分に都合よく優しくする術は持っていてかまわないとおもいます。
そんな半分ふざけながら決めたこの名前は、
何かとうまく行かないことが多いけど、
それをちゃっかり楽しめる私にぴったりでした。
どちらかと言えば優秀とされてる人に、手がちぎれるほど拍手をして感動させられるタイプで、
人の助けがないと生きていける自信がありません。
もし、自分の駄目なところを100個書いたら100点のテストがあるとしたら、余裕で満点取れると思うくらいです。
駄目なところがたくさんあるのって、いろんな人が助けてくれるから楽しいです。
次は自分にどんな駄目が見つかって、どんな人が助けてくれるのかちょっと楽しみになったりします。
そして私はそんな私を助けてくれて、一緒にいてくれる人を笑顔にするのが好きです。
自分がこの人と笑ってるの楽しいなって思っている人の笑顔が見られると嬉しいです。
私と一緒にいる人にはたくさん笑っていて欲しいです。
だから、
私が作るものも私と同じになって欲しいと思いました。
くだらなすぎてなんだか笑っちゃうとか、全然嬉しいです。
嫌なことがある時とか、
大変なことがたくさんな時とか、
頑張りたくない時とか、
めっちゃ泣いた後とか、
不安な時とか、
心のどこかにいた私の作品の記憶がでしゃばって出てきて、ちょっと口角あがっちゃう、
こいつも頑張ってるしもうちょっとやってみるかと思えちゃう、
なんかくだらなくて本気で悩んでるのがバカらしくなっちゃう、
そんなものを作りたいと思いました。
そういう気持ちで作ったものが
例えばリビングとか、
例えば通勤の時とか、
例えばトイレの中とか、
そういう、誰かの、あなたの、
日常の仲間入りができたらとても嬉しいなと思いました。
だからつくるは作じゃなくて乍にしました、
手に取ってくれる、想いが届いた人がいてこそ成り立つのが私らしいと思いました。
取るに足らない、
でも一緒にいればあたたかい
あなたの口角をぐいっとあげるお手伝い
あなたの笑顔の理由になれる作品を
自分が一番楽しみながら
馬太乍はつくりたい。
夢中になって書いていたら降りたい駅で降りるのを忘れてしまいました。
こういうところ、やっぱり駄目で笑えます。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?