書きたい気持ちが空回り
タコは、中毒である。
活字中毒なのはもちろんのこと、「書く」方にも中毒がある。
まずいんである。やばいんである。
書~き~た~い~ぞ~~~。
中毒故、適当に何でも書けるといえば、書ける。好きに書いて良ければ。
ただし、「書けない」ものもある。例えば・・・
手紙。
筆無精もかなり極まっている自覚がある。心の中では、何通も何通も何通も、手紙を書いている。だが、現実に書くのは、非常に少なく、そして書いた後ポストまでの距離がまた遠い。
とてもとてもポストが遠いので、書き上げた後、投函するまでに、1週間は、かかる。1ヶ月くらい鞄の中でぬくぬく育てていたこともある(育たなかったが)。タコにとっては、行動圏からポストまでの距離は、北海道と沖縄くらい離れているのだ。
それから、書類。
読むのも、書くのも大嫌い。世の中には、カクテイシンコクなる怪物が存在するが、その時期は、怪物が常に頭を占拠する故、とてもとても気が重い(何故早く終わらせぬ)。
「書類」という言葉や字面は好きなのに、何故こんなに苦手なのだろう。
そうそう、作文も大嫌いで苦手だった。何を書いたらいいのか、分からない。読書感想文なぞ、最悪だった。何を書けばいいのだ?本くらい好きに読ませて欲しいぞ。それに、「読んだ時の気持ち」なんか、そもそも読みたいだろうか?(自分の書きたい気持ちやら書けないものについて好き勝手文章書いて公開しておいて、そういうことを言うか?)
最近は、「書評」とか「好きな本を皆に勧めよ」とかいう課題になって来ているようで、その方がいいと私も思う。それなら、まだ、書ける気がする。
良く分からないが、強制されると、途端にやる気がなくなるのだろう、多分。
どうせなら、「やるべきこと」にこそやる気が出てくれればいいのに、何故か、好きなことですら、「やるべきこと」「すべきこと」になった瞬間、ひゅるりら~、とやる気がしぼんで行ってしまう。
困ったものだ。
やるべきことは、やりたくないが、やらなくていいことは、やりたい。
やれやれ。
(終わるのだ)
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