のらのねぐら ④
「……彼女とは1ヵ月前に別れたよ。1年半くらいつきあったかな」
1ヵ月ではまだ傷心だろうに、彼の口ぶりは湿っぽさを感じさせないものだった。
「なんで……別れたかとか聞いてもいいかんじ?」
義務のように質問したが、わたしはなんとなく聞いたことを後悔した。
「ん――……わかんないんだよね。『なんか、合わない気がする』だって。……1年半も一緒にいてそんなこと言われたの別れたときだけ……結婚の話も進めてたのに……」
合わないって分かるのにそんなに時間かかるのかよ。だから、意味わかんなすぎて逆にふっ切れた、とまたしても明るく笑う。
すごく眩しく感じた。
そろそろ1年も経つのにまだうまく元カレとの別れを昇華できてない自分とは大違いだ。結婚まで約束してそんなふうに振られたら、わたしならしばらく廃人だ。
チクリと胸が痛くなる。
自分の失恋を思い出したからなのか、それとも彼の気持ちを思ってなのかよく分からないけれど。
「ねぇ……触ってもいい?」
なんともいえない苦い表情をしていたからなのか、それともなにかの思いつきなのか、少しわたしをまじまじと観察して彼は突拍子もない願いを口にした。
『う、うん……』
さわるってなにを?
手とか?
許可とるようなこと?
突然の変わった申し出にわけもわからずに反射的に頷くと、膝におもむろに大きな手が乗せられた。アルコールが入ったせいか元々の体質のせいか分からないけれど、高い体温がむき出しの脚から伝わってきて一気に自分の顔が熱くなったのがわかる。
驚いて身体が一瞬跳ね上がる。
「あ、ごめん。ずっとさわりたくて我慢してた。大丈夫?」
ちっとも申しわけなく思ってそうにない口調で悪びれなくきかれても、なんと返せばいいか分からなくてわたしは呆けたまま彼を見つめかえす。
少しの間見つめ会う形になり、何かを思い出したようにふふっと彼は目を細めて笑みをこぼすと、すぐに手をカウンターの上にもどした。
とたんに熱の消えた脚が肌寒くなって、少しさみしさを感じた。
すぐに店員がわたし達の間を割って、料理をカウンターにさしだす。鉄板からあがる熱気が顔にかかってなんとか表情がごまかせた気がしてホッとする。
それから、彼は仕事の武勇伝や共通の知人とのことなど雑多な話題を思いつくまま話して、2時間制の食事を退屈に思う暇はなかった。ラストオーダーのために店員がおとずれると、もう少しでお開きの雰囲気を感じてわたしはなごりおしくなった。
『散歩につきあってくれない?近くに大きい公園があるでしょ』
お店を出るとわたしはたまらずそう誘った。彼はすぐに快諾してくれた。
―――
公園をしばらくゆっくり歩いて、手頃なベンチが見つかるとわたし達はひと息ついた。オフィス街近くの公園はほとんど人がいなく、都心の金曜日の夜とは思えない静寂な雰囲気だった。
「この後どうするの?そろそろ帰らないと電車ないでしょ?」
『うん』
「それとも……また、うちくる?」
ニヤリと、彼は意地悪く笑った。3年前のことを暗にほのめかす。
『じゃあ、お言葉に甘えよっかな』
ひときわ明るい声で笑いながら返すと、彼は一瞬ポカンとして
「いや、冗談だよ。ムリしなくていいから」
と慌てていった。
『ムリ、してないよ?』
わざと少し真剣な顔を作って彼の目を見据えて返すと、その瞳の奥が少し揺れた。
「……でも、彼女と別れたばっかで……今はまだ、誰かとつきあうつもりない……」
『分かってるよ?』
とぼけるようにいうと、彼はははは、と豪快に笑った。
ひとしきり笑うと私の肩を抱き寄せて耳うちする。
「そういうキャラだったっけ……?」
小さく笑って囁やく声がやけに色っぽくくすぐったい。
『ちがうよ?』
こちらもクスクス笑う。
「じゃあ……おれのこと好きになったの?」
『……そうだよ?』
夜の公園にふさわしく小声で秘密めいたやりとり。
「3年ぶりに1回会っただけで?……うそつけ」
なおも楽しそうに私の嘘をあばいて、彼は軽いキスを唇におとした。顔を離しても私が嫌がるそぶりを見せないことがわかると破顔した。
「タクシー拾おっか」
なにかイタズラをしかける共犯者のように、わたし達はウキウキとした足取りで公園をあとにする。
3年前のような建前だけの牽制はなく、予定調和もなく至ってフェアに手を取りあって、お互いをただ温もりのためだけに必要としていた。
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