三峰早紀

三峰早紀の書き散らし。

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最近の記事

『ハングドマンとエイリアンの皮』 ゲンロンSF創作講座8期 第一課題

梗概 不老の資格と引き換えに永久の労働に就くサラリーマン・ササキは、言語体系の異なる星系間契約を仲介する仕事を受け持ち、700年に渡る出世街道を突き進む。  ある日ササキは社運を掛けた重大な商談に訪れた先で、取引相手となるエイリアンをうっかり殺してしまう。慣れない低重力環境下による事故だった。脆いゼリー体を保護膜で包み込んだだけの軟弱な生体構造をしているエイリアンの体は、躓いたササキに押し潰されあっさりと破裂した。  ササキは焦る。千年の労働を積めば永代の労働年金が、万年な

    • 『クレイ、どうか穏やかに。』ゲンロンSF創作講座第5回課題【実作】

      【マンション解体のお知らせ】  ふと目についたその紙は、開け放したベランダから通された風に大人しくなびかされながら、冷蔵庫の扉の上でふるふると控えめに、慎ましく揺れていた。紙の一番上に目立つよう、太字で縁取られた文字を見て思わず「あれ」と声を上げる。するするとその下へ細く連なった、丁寧な挨拶からはじまる概要に目を滑らせていく。あと3ヶ月ばかりで、生まれ育ったこのマンションが解体されてしまう。それに伴って、入居者は退去を余儀なくされるらしい。  驚きはしたけれど、寝耳に水と

      • 【書評】乗代雄介「それは誠」−書かざるをえない衝動、胸を打つ青春の筆跡をとらえたロードノヴェル

         コロナ禍によって久しく忘れられようとしていた旅情。甲子園の中止など、人知れず遠ざかっていた若者の交流と青春を呼び戻すように、いまもっとも芥川賞受賞の呼び声高い作家・乗代雄介が描き出す本作。  生き別れた叔父に会うために、地方の高校生・佐田誠は修学旅行を抜け出し、叔父の住む東京・日野を訪れる計画を立てる。  修学旅行の自由行動では、綿密な計画を求められ、班での集団行動を余儀なくされる。ひとりひとつずつ持たされるGPSを班の同級生へ預け、ひとりで叔父の元へ向かうつもりでいたが

        • 少女漫画の作法と『アオのハコ』

          成人男性、少女漫画雑誌を買う  漫画家になった友人のデビュー作が掲載されることになり、少女漫画誌を買うことになった。分厚く質量もあり、その上付録としてそこそこのページ数のあるペーパーバッグが収まっているという中々の仕様である。ふと昔、コロコロコミックを購読していた頃を思い出した。そういえば漫画雑誌というものはこんな風に過剰な物量があるものだった。  そこそこの成人男性がこのようにしっかりとしたガチガチの”純”少女漫画雑誌を買うことへの多少の気恥ずかしさがあったため、苦し紛れ

        『ハングドマンとエイリアンの皮』 ゲンロンSF創作講座8期 第一課題

        • 『クレイ、どうか穏やかに。』ゲンロンSF創作講座第5回課題【実作】

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        • 少女漫画の作法と『アオのハコ』

          笑わせてくれた人たちに

           さいきんチマチマと、これまでのM1グランプリを観るなどしている。  というのも少し前から、時間があるとすぐにYouTubeを開いて、霜降り明星のチャンネル『しもふりチューブ』を眺めていることが多くて、そういう縁でいつの間にか霜降り明星の二人が大好きになっていた。(おすすめの回はワンピクイズ回。ワンピースを知ってる人間なら腹がちぎれるほど笑える)  あるときになってふと、そういえば霜降り明星の芸風もネタもそこそこわかっているのに、肝心の漫才をしっかり観た覚えがないということ

          笑わせてくれた人たちに

          230201.213275

           文字が書けなくなる夜がある。脳みそが内側から頭蓋を圧迫して、言葉が滞ったまま。頭が重い。  空腹に耐えかねて外へ出た。歩いているうちは頭が回っている。落ち着いて、腰を下ろすと言葉に詰まる。肉まんって脳みそみたいだな。  曇ると夜は明るい。雲を伝って遠くの灯りが薄紫。天頂になるほど青くなる。どこに行っても明かりがある。ひとの息遣いが目にも耳にも届く。  ベンチにピンク色をしたおもちゃの携帯が置き忘れられている。ピンクはたぶん目立つから好まれる。子にも親にも。  五感ばかりを頼

          生活のすきまから

           生活とはなにか、を考えている。ひとりで生活をするようになってから生活という切実な問題にどうしても向き合わなくてはいけなくて、とはいえそういう理由で生活について妙に真剣に考えてしまうというのはいかにもちょっと“目覚めた”大学生っぽくて気色が悪いなとは思う。  けれどもそれはそれとして星野源も尾崎雄貴も『生活』を歌ったりしていて、僕はそういう歌に救われてきたし、それを恥ずかしいことだとも感じない。ので、それを免罪符にして生活について考えたりしたい。  寝て、起きて、飯を食って

          生活のすきまから

          音楽というスポーツ、初音ミクの裏の無時空

           どうして人間がスポーツを好むのか、みたいな話がしたい。でもってこれはスポーツが好きな人についての考察にはならないなと思う。  二元的のスポーツの好き嫌い、みたいな感情の観点には立たない。なぜなら好き嫌いに関わらず僕たちは普遍的にスポーツをし続けているし、永久にスポーツからは逃げられない。スポーツは永遠に僕たちを追いかけてくる。というか生まれたときから既に追いつかれていて、どこかつむじの裏あたりに貼り付いているから僕たちの目には見えない、ぐらいのものだと思っている。  普遍

          音楽というスポーツ、初音ミクの裏の無時空