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トルコ絨毯の辿ってきた道


風にはためくトルコ国旗


◇プロローグ・トルコ絨毯と小さなギャラリーをつなげた絨毯


三方舎書斎ギャラリーに1枚の美しいトルコの手織絨毯がある。
10年前に当社代表の今井が一目惚れし購入したものだ。
フィールドの中に一方向を示す、細かなアラベスク文様からなるメヘラブ柄が美しく配されたこの絨毯は100年の歴史を持つ。
深海のような深い青色の地の上に配された色鮮やかな花々が際立っている。

このアラベスク文様の絨毯には「アラベスク絨毯」と名前がついているのだが、トルコ絨毯の一部の絨毯に名付けた三方舎の造語である。
 
今回のブログでは、このアラベスク絨毯の母体である「トルコ絨毯」について紹介していく。(アラベスク絨毯の詳細はまた次の機会にご紹介します。)

10年前に今井が購入したアラベスク絨毯。
アラベスク文様を素材にフィールドの中をメヘラブ柄で構成している。


上記のアラベスク絨毯を拡大した写真



トルコ絨毯は別名「アナトリア絨毯」という。このブログではトルコ絨毯の始まりをアナトリア絨毯と捉え、発祥の項目を「アナトリア絨毯」で表記を統一し、その後の変遷の項目を「トルコ絨毯」で表記を統一する。


◇アナトリア絨毯の発祥


そもそもアナトリアとは何か?
小アジアの意味を持ったトルコの東側に位置する半島を指す。つまり地名である。
アジアは最初アナトリア地域のみを指していたが、次第にヨーロッパに対して大陸の東側全体をアジアと定義づけるようになった。そのためそれまでのアジアを「小アジア(アナトリア)」と言って区別するようになった。

アナトリアは、時代の変遷とともに支配国を変えている。紀元前18世にヒッタイト王国が支配した後は紀元前7世紀にリディア王国になり、その後はペルシア帝国・アレクサンドロス帝国・セレウコス朝・ローマ帝国・東ローマ帝国へ変わっていく。

アナトリアを含む現在のトルコは主にイスラム教だが、いわゆる国教として定義付けられてはいない。
中央アジア圏の国として珍しい印象があるが、トルコの成り立ちとしてその時々で支配国が変わったことにより宗教・文化に対する寛容な風土が出来上がったためだろう。
そしてそれは産業や伝統工芸にもよく表れている。
その一つがペルシャ絨毯に並ぶ世界最高峰といわれるアナトリア絨毯である。

現在のトルコ地図

最古のアナトリア絨毯は13世紀にコンヤという都市で作られた「セルジューク絨毯」といわれる。
外枠をボーダーが囲みフィールドには聖地メッカの方角を示すアーチ状のデザインをしているのだが、これでピンときた方はすでに絨毯沼に足を踏み入れてる人だろう。
そう、ブログ「ペルシャ絨毯の文様」でご紹介したメヘラブ柄である。この柄が示す通り絨毯の使用目的は祈祷用で、イスラム教徒の人々が神にお祈りを捧げるために使用していた。


◇「アナトリア絨毯」から「トルコ絨毯」へ姿を変える


トルコ絨毯が隆盛したのはオスマントルコ帝国の支配下に入った16世紀頃といわれている。この時代はペルシア帝国でもペルシャ絨毯が隆盛を迎えていることから、16〜17世紀は世界的に芸術が発展した時代と捉えることができる。

トルコの細密画(ミニアチュール)
トルコ絨毯の美しさをそのまま写したようなメダリオン柄の器
トルコの町から見える歴史を感じさせる城壁


主要産地として栄えたのは、キャラバンが行き交う交易の要として賑わってきた町・カイセリと、最高級のシルク絨毯が織られることで有名なヘレケである。
特にヘレケは、19世紀前半にオスマントルコ帝国の皇帝の命により繊維産業の招致が推進され工房の建設が行われるなど、国をあげて絨毯の産地として盛り立てた歴史がある。
その工房に当時最高の技術を持った職人が集められ、シルクを素材とした花鳥文様やメヘラブ柄など伝統デザインの最高級の絨毯が製作されるに至った。

一本一本丁寧に紡がれる糸

祈祷用から始まったトルコ絨毯は、その前段として遊牧民の女性の手仕事として織りの技術が伝わっている。
テントの玄関・食卓・家具の覆い布など暮らしの中で有用に使われていたことはもちろん、祈祷とのつながりが見える装飾の意味、織りの高い技術を持つことで結婚しやすくなる(持参金の一部として良い絨毯を提供できるため)など様々な理由がある。

歴史上には「祈祷用」や「権力を示す道具」として記録が残り、その陰で暮らしの道具として絨毯が受け継がれてきた。
ベースが人々の暮らしにあるからこそ、絨毯は世界に広がり地域ごと・民族ごとのデザインや使い方が発達してきたのだろう。

祈りの場:モスク


モスクの中。淡い色で描かれたモチーフの中に所々金色が入り荘厳な雰囲気となっている。


◇世界への広がり


トルコ絨毯が世界で受け入れられるようになった背景は、13世紀にヨーロッパへ伝播したことが始まりのようである。
この時代に第4次十字軍がコンスタンチノープル(現在のイスタンブール)を攻略した時に戦利品として持ち込んでいる。

13世紀にはイタリアのマルコ・ポーロがアナトリアを通る際にコンヤやカイセリで織られたトルコ絨毯を見つけ、東方見聞録の中でその美しさと芸術性を絶賛している。


モスクの中に敷き詰められた絨毯
フィールドが無地の絨毯
裏面を見ると絨毯の織りの細かさが分かり、品質が分かる


15世紀にはイングランド王のヘンリー8世がトルコ絨毯の収集家に、14世紀以降には著名な画家がトルコ絨毯に魅せられ作品に描き込んでいる。
有名なところとして、北方ルネサンスの画家ヤン・ファン・エイクは作品の中にトルコ絨毯を思われる絨毯を描きこんでいる。

私も実際に意識して見たことがなかったので今回のブログを機に作品を探したが、ヤン・ファン・エイクの「ファン・デル・パーレの聖母子」に描かれている絨毯がトルコ絨毯に該当しそうだった。
詳しくは作品をご覧頂きたいのだが、真紅の衣を纏った聖母の下に赤と黒を基調とした絨毯が敷いてある。ボーダー・フィールドの構成の中にギュルや星のように見えるデザインがバランスよく配置されている。
描かれたこの絨毯の荘厳さが、上に座る聖母子の存在を際立たせている。

「ファン・デル・パーレの聖母子」の一部。赤い衣を纏っているのが聖母である。


絵画にさり気なくかつメインのモチーフを引き立たせるように描き込まれた影響もあったのか、トルコ絨毯の存在がヨーロッパを中心に世界に広まり、その美しさも同時に知られることとなった。


◇ペルシャ絨毯との違い


ペルシャ絨毯と並び世界最高峰の美しさといわれるトルコ絨毯だが、その根源はイスラム教美術にあり、産地を知らなかったら見分けがつきにくいのが難点である。
しかし決定的に違うところがある。
それは織り方。

トルコ絨毯の裏面を見ると使用している糸の太さや細かさが分かる

ペルシャ絨毯は縦糸1本に糸を結びつけていくシングルノット式で織られているが、トルコ絨毯は縦糸2本に糸を結びつけるダブルノット式で織られている。
ペルシャ絨毯とトルコ絨毯で織り上がりが同じ幅の絨毯を織ったとしても、トルコ絨毯は縦糸を2倍使っているのでその強度に違いが生まれる。
ペルシャ絨毯は大きなサイズでも細かくたわむが、トルコ絨毯はそれに比べたわみにくく強さが感じられる。

一説にはアメリカへ渡るのはペルシャ絨毯よりもトルコ絨毯の方が多いといわれるが、それは丈夫さも大きな理由かもしれない。


◇エピローグ・トルコ絨毯の楽しみ方


トルコ絨毯は少し大柄なモチーフが平面いっぱいに広がり、所々に見える余白が使い手に絨毯を自由に楽しむ余地を感じさせる。そして織り込まれたアラベスク文様やエスリミー文様・ボテ文様が絨毯の芸術性を高めている。そこに加え、使うことで増す強度の魅力がある。
つまり暮らしの中で気軽に使える芸術品だ。

絨毯は「世界一実用的な絵画」と例えられることがあるが、トルコ絨毯はまさにそれを表した珠玉の絨毯なのである。




※三方舎書斎ギャラリーでは、1月7日から「アラベスク絨毯新入荷展」が始まります。冒頭にご紹介した100年もののアラベスク絨毯もご覧頂けますので、ぜひ足をお運びください!
きっとこれまでよりも深い視点で絨毯をお楽しみ頂けことでしょう。

参考文献/参照サイト
・著作:(2018)「絨毯で辿るシルクロード」
・著作:(2005)「絨毯のある暮らし」
・webサイト「TURKISH Air&Travel」




執筆者/学芸員 尾崎美幸(三方舎)
《略歴》
新潟国際情報大学卒
京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)通信教育学部卒
写真家として活動
2007年 東京自由が丘のギャラリーにて「この素晴らしき世界展」出品
2012年 個展 よりそい 新潟西区
2018年 個展 ギャラリーHaRu 高知市
2019年 個展 ギャラリー喫茶556 四万十町
アートギャラリーのらごや(新潟市北区)
T-Base-Life(新潟市中央区) など様々なギャラリーでの展示多数
その他
・新潟市西区自治協議会 
写真家の活動とは別に執筆活動や地域づくりの活動に多数参加。
地域紹介を目的とした冊子「まちめぐり」に撮影で参加。
NPOにて執筆活動
2019年より新たに活動の場を広げるべく三方舎入社販売やギャラリーのキュレーターを主な仕事とする。

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