バティックを通して伝えたい「哲学」がある−BIN houseの想い –
◇プロローグ・伝統を残す戦い
2009年、インドネシアの伝統布「バティック」が世界遺産に認定された。
2〜3世紀に中国で生まれたと伝わる布を染める技法「ろうけつ染」はゆっくりと時間をかけて世界に広まり、16〜17世紀にはインドネシアとインドで隆盛し主にヨーロッパで重宝された。
インドネシアでは王族の正装として使われたが次第に庶民も広まり、国を代表する産業となった。
しかしその産業にも機械化が浸透し、伝統技術はじわじわと衰退の様相を見せるようになった。そこに危機感を持ったのが、ジョセフィーヌ・W・コマラ氏である。
元々布に対して強い興味があったコマラ氏は、伝統的な布と現代的な布を様々に比較してみたところ多くの業者が廃業していたり、伝統布に見られる独創的な織りや染めが失われつつあることに気づいた。
「この流れをこれ以上進めてはいけない」
この想いで、彼女は紡ぎ手と織り手のチームをつくり伝統技術の保存に乗り出した。1970年代の終わりの話だ。
そこからおよそ6年の歳月を経て、1986年にコマラ氏はジャカルタに販売店をオープンした。店の名前は「BIN house」。コマラ氏のニックネーム「おビン」から付けた。
その翌年には日本で展示会を開催し、国際テキスタイルデザインコンテストにおいて先染め紬織の手織りイカットで一位を獲得した。
そもそも、なぜそのスピードで日本での活動が始まったのか?
1970年代に日本の数多くの日本の繊維産業が進出した。これにより現地で雇用された人も多くいただろう。その繋がりがまず推測される。
また、インドネシアの独立は日本の統治があってこそだったとの考えが現地の人には根付いているらしく、日本人は親しみを持って受け入れられている。(このお話はBIN houseの日本支社を運営している菊池さんから伺った。)
そういう関係が両国にあったからこそ、インドネシアの伝統文化がすぐに日本にやってきたのだろう。
コマラ氏の「気付きと情熱」が自国の伝統文化保存の動きを生み、国を動かし、世界に認められるようになった。
彼女の存在がなければ、伝統技術が世界遺産に認定されることはもっと遅くになっていたか、最悪の事態を想定すれば潰えていたであろう。
◇BIN houseの活動
コマラ氏の情熱から始まったBIN houseは、現在ではジャカルタに本店をもちジャワ島内各所に工房と支店、日本と欧米の各国に支店があり、BIN houseのバティックは世界中で愛されている。
制作はもちろん、BIN houseの活動の原点となった「伝統技術の保存」についても力を入れており、2021年の時点では10代から年配の幅広い年齢層の職人を2300人ほど雇用している。
伝統技術の後継者不足が問題の日本の視点からすると、なぜこんなにも若い人がバティックの職人として入ることができるのかと不思議に思うが、この動きにもコマラ氏の考えがあった。
若いバティックの職人には
①親がバティックの職人
②身内にバティック職人がおらず全くの未経験だが興味がある
という2通りのタイプがある。
①の場合はそのまま子どももそのまま職人となる。
コマラ氏は②の場合の子に対してまず体験してもらい、その子が続けたいようならそのまま雇用するというシステムをつくった。
note「バティック その①」でも紹介した通り、バティックの工房は精神修行に例えられるほど忍耐を必要とする環境だ。まず職人の体験をしてもらうことで、若い人でも入りやすい環境をつくっている。
少し余談になるが、コマラ氏はスタッフたちにIT技術も学ばせている。しかも30年ほど前からだ。
3年ごとに発表されているOECD(経済開発協力機構)が発表している援助受取国・地域リストに記載された国にインドネシアが該当することを思うと、30年前ほど前から、世界の最新技術を若い人に学ばせる環境をつくったコマラ氏の先見の明に驚かされる。
インドネシアの工房で自然な形で技術の継承が行われている一方、コマラ氏はテキスタイルのセミナーやシンポジウムなどの国際フォーラムに参加し、技術を含めバティックの素晴らしさを世界に伝えている。
BIN houseはコマラ氏の推進力を軸に、幅広い年齢層の職人によってその活動が支えられている。
◇BIN houseと日本を繋いだ日本人
今回のバティック展でBIN houseのバティックを届けてくれたのが、青森でBIN house Japanを運営する菊池牧子さんだ。
元々デザイナー志望だった菊池さんは高校卒業後に上京しアパレルのプレスの職に就いた。30代前半に感じた違和感のままに、当時勤めていた会社を飛び出しフランスへ2年間留学した。
その後帰国したが、それがちょうどバブルが弾けた1990年半ばだった。バブル期のように「なんでも職がある」というわけではない時代。
さてどうしようかと考えていた時に、運命の出会いがあった。
「当時、BIN houseが銀座の店舗の販売員を募集してたんですが、知人の紹介でその面接を受けることにしました。『ここは自分に合うな』と思えるひらめきがあったんですよね。英語は全然話せなかったのですが日本の店舗で働くので大丈夫だと思いました。」
何よりも菊池さんが惹かれたのが、BIN houseの姿勢だった。
「実は販売経験がなかったんです。面接でもそれはお伝えしました。その時に返ってきたのが、『私たち(BIN house)がやりたいのは、ものを売ることではなく、バティックを通して哲学を伝えること』というものでした。アパレルのプレスの経験もありますし、伝えること・分かち合うことはできる!と思い、飛び込みました。」
全国各地のデパートでの展示販売が事業の一つとしてあったことから、1994年にBIN house Japanを株式会社にし、現在に至るまで菊池さんは一人でBIN house Japanを運営しながら大勢の協力者とともに活動を続けている。
BIN houseはそれぞれの国で自由に展示方法や販売スタイルが認められており、新しい発想をどんどん試すことができた。
例えば、作家さんとコラボした展示である。
作家活動をしている販売員のパートさんがいたときは、その作品とコラボの展示をした。お互いの知名度を上げる相乗効果を生んだ上、バティックの使用方法や展示方法の可能性を広げた。
また、接客方法は1対多数ではなく「1対1」を基本としていたので、お客様や関わる人たちをきちんと知ることができ、販売の枠を越えた「人と人」としてのつながりを作ることができた。
「バティックという美しい手仕事を通して、人と人がしっかりとつながっていけることに感動しました。この感動をもっと多くの人に届けて、心を平和にしてほしいと願っています。」
と菊池さんは力強く言葉にした。
◇バティックを通してBIN houseが伝えたいこと
菊池さんがBIN house Japanとして活動しようと決めた哲学について、動画TEDにてコマラ氏はこう語っている。
「(略)それぞれの文化には独自のものがあり、その独自のものに戻るべきだと思います。誰も所有できません。(※この「誰」はおそらく「国」「地域」のニュアンス)
全ての国には独自の文化と精神があります。全ての国が彼らの文化に戻るべきだと思います。その国でしかできないことが雇用を生み出し、新たな学びを与えてくれます。」
コマラ氏の語る、インドネシアにおける独自のものがバティックであり、バティックによってインドネシアには雇用が生まれ、昔と変わらずにそのもの自体が深く根付いている。
自国の伝統文化・技術と繋がり継承していくことは、自分の生まれ育つ国のルーツを感覚として体の芯に落とし込むことだ。
その感覚そのものが自分自身を愛することであり、その愛が穏やかな心をつくり、外の世界と繋がって平和な世界をつくっていく。
物を売って儲けたいからではない。
穏やかに平和な気持ちで暮らして欲しいから、手仕事の1枚の布を手にして欲しい。バティックはきっと、それを可能にする。
個人的に、この哲学が当社のGOSHIMA絨毯や家具に込めるコンセプトに重なり強く共感した。
私たちも、絨毯やダイニングテーブル・チェアなどの暮らしの道具を通して、人と人のつながり(絆といっても良い)であったり希望ある未来を届けたいと願っているからだ。
手仕事は、物以上の深い価値を使い手に必ず与えてくれる。
◇エピローグ・本物は生き残り未来をつくる
世界遺産になるほどの美しい布は、当然のように真似をする業者が後を絶たない。
菊池さんの身近でもコピーされ、憤りを感じた経験がある。
しかしその業者は数年ともたなかった。
結局のところ、模倣品は説得力をもたず遅かれ早かれいつか必ず消える。
本物の価値を深く理解し、次世代へ継承していくことが今を生きる私たちの役割であるように思う。
4日から始まる「NIIGATA くらしめぐり Vol.2-愛でる暮らしのつくり方-」で、バティックを通して「物以上の価値」を感じて頂ければ幸いである。
執筆者/学芸員 尾崎美幸(三方舎)
《略歴》
新潟国際情報大学卒
京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)通信教育学部卒
写真家として活動
2007年 東京自由が丘のギャラリーにて「この素晴らしき世界展」出品
2012年 個展 よりそい 新潟西区
2018年 個展 ギャラリーHaRu 高知市
2019年 個展 ギャラリー喫茶556 四万十町
アートギャラリーのらごや(新潟市北区)
T-Base-Life(新潟市中央区) など様々なギャラリーでの展示多数
その他
・新潟市西区自治協議会
写真家の活動とは別に執筆活動や地域づくりの活動に多数参加。
地域紹介を目的とした冊子「まちめぐり」に撮影で参加。
NPOにて執筆活動
2019年より新たに活動の場を広げるべく三方舎入社販売やギャラリーのキュレーターを主な仕事とする。