社会距離拡大戦略

社会的距離って、なんだっけ?

「社会距離拡大戦略」。まるでSF小説におけるディストピアの世界で用いられているような、おぞましさを感じさせる響きの言葉である。気になる人は[ソーシャルディスタンス]と入力して、グーグル検索してみてほしい。このヤバい戦略は、ウィキペディア曰く、以下の内容を指す。

「感染症の拡散を停止または減速させることを目的とした、医薬品を使わない感染抑制のための手段である。それは、人と人との間に物理的な距離を取ることによって人が互いに密接な接触を行う機会を減少させる方策のこと。」

手段であって、目的ではない。世の中では、いたるところで「手段の目的化」という事象が頻発しているが、このヤバい戦略が目的化しないことを祈っている。もう一つ、この定義において着目したいのは、以下のポイントである。

人と人との間に物理的な距離を取ることによって

拡大するかどうか考える前に「社会的距離」という言葉を、もう一度確認させてほしいのだ。ただ、これは少し調べてみると、あまりふさわしくない言葉の使い方、つまり誰かのおっちょこちょいに依るものだと推測できた。

およそ100年前の話です。シカゴ大学のロバート・E・パークは、「人種的態度および人種的関係の研究に適用される社会的距離の概念」という論文の中で、「個人的および社会的関係を一般的に特徴付ける理解と親密さの程度と等級」として社会的距離(social distance)の概念を考案しました(Park 1925)。つまり、社会的グループの間の親しさを、距離というメタファーで表そうとしたのです。
(https://buildersbox.corp-sansan.com/entry/2020/04/24/110000)

実際、WHOは「ソーシャルディスタンス」ではなく、「フィジカルディスタンス」という言葉を推奨しているようだ。

ここは、改めて注意が必要なポイントだと思う。なぜなら、物理的距離を広げることは、社会的距離(社会への親密さ)を拡大する方向になりやすいからだ。ここを一緒にしてしまうと、気づかぬ間に、社会から孤立する人、参加できなくなっていく人が増えていくことになる。

「物理的距離を広げながら、社会的距離(社会への親密さ)をどう広げないようにするか?」という矛盾をどう解くかを考えないといけないのに、この矛盾をそもそも無かったことにしてしまうのはマズイ。

とはいえ、こんなことは、たぶん国民の3分の1くらいの人が、おおよそ近いことを感じたり、考えたことだろうから、まあこれくらいで。僕が本当に話をしたいのは、先日行った回転ずしでの出来事なのだ。(前置きが長くなった。)

回転ずし屋での距離の取り方

最寄り駅の近くの小さな回転ずし屋がある。僕は緊張しいタイプなので、そわそわしながら席についた。まずは、流れてくるお皿をいくつか取って、場に馴染んでいくことから始める。そろそろ良いだろうかというタイミングになって、店員への注文をスタートする。(店員に声をかけるのも、正直少し気を使ってしまう。わかるだろうか、この気持ち)

だが「すみません」の「す」のところで、踏みとどまった。ちょっと待てよ。目の前には、流れている寿司たち。ここはマスクをしながら、小さめの声で注文するのが、ニューノーマルな時代の回転ずしの頼み方ではなかろうか。

ということで、僕は「あんきも」を注文した。返事は返ってこなかったけれど、鋭い眼光でこちらをにらんできたので、注文完了と捉えて大丈夫だろう。そう。これがニューノーマルな返事の仕方なのだろう。

数分待っていると、店員が「あんきも」とボソッと口にした。思わず、僕の耳がぴくッと反応する。ただ、店員の様子を観察しても、自分はおろか誰かに手渡す素振りはない。おかしいな。辺りを見回していると、今まさに「あんきも」一皿が自分の目の前を通過していくではないか。

店員はどうやら、声をかける数秒前、僕の席の手間の位置で、「あんきも」一皿を回転する流れのなかに流し込んでいたようだ。そしておそらく、そのタイミングで、僕にアイコンタクトも送っていたのだろう。にも関わらず、僕が気づかない様子だったので、仕方なく遅れて声に出したようだ。

これも仕方がない。距離を取ることは必須事項なのだから。もし気づかずに、遠くへ行ってしまったとしても、仕方がない。距離が近づくよりはまだましなのだ。

しばらくして、40代くらいだろうか、仕事帰りのおじさんが、僕の隣の席に座った。彼はビールだけ注文すると、驚いたことに、僕と彼の席の間にある醤油さしを、自分の目の前に引き寄せた。

「この醤油さしは、自分だけのものだ。お前は手を伸ばしても届かないだろう。」と宣言しているかのようだ。彼にとっては、お寿司を取ることよりも、醤油さしを手元に引き寄せ、僕と醤油さしの距離を遠ざけることが何よりも優先事項だったのだろう。

もちろん、僕には「すみません、醤油さし、貸してもらっていいですか」と言うことはできるのだが、なんだか距離の取り合いをすることが面倒で、お会計することにした。別に寿司屋に来て、そんな面倒な、心理戦繰り広げたくないのだよ。

距離をはかることのストレス

ダラダラ書いてしまったが、「距離」という概念は、いま変化しているし、取扱注意であるということが言いたかった。

昔、恋愛テクニックのなかに、付かず離れずが良いみたいな、相手との距離をはかるコツ的なものがあったような気がするが、日々の生活のなかでそんなことを気にする機会が増えたら、ストレス以外の何物でもない。

人との距離を気にしがちなコロナ禍においては、距離をはかるストレスを感じることなく、自然と必要な物理的な距離を保てる…そんな店舗設計・サービス設計が大事なのではないかな。


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♪ 感覚ピエロ「感染源」

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