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「快慶仏のお寺」圓常寺 井伊家ゆかりの寺社巡り 第十三番

彦根城から南西へ約1km。住宅街の中に圓常寺はあります。
私が幼い頃、祖父母が圓常寺の近所に住んでいたので、遊びに行く道すがらの様子を今も覚えています。母がこぐ自転車の後ろに乗っていた私も、半世紀を経た今、いいお年頃になりました(笑)。

辺りの景色は変わりましたが、路地の道幅などは子供の頃そのままです。
懐かしい記憶をたどりながら、圓常寺さんへ向かいます。

圓常寺 山門
山門にあった町名の変遷を示すプレート。
この町名から祖母を「丸の木のおばあちゃん」と呼んでいました。

町名プレートを見て、しばし思い出に浸った後、境内へお邪魔しました。お寺の方が本堂などを、丁寧に案内して下さいました。
(本堂内は撮影禁止)


本堂

開基 井伊直孝公

圓常寺は「井伊年譜」によると、1612年建立との記録があるようです。
二代彦根藩主 井伊直孝公が開基となり、直孝自身が立派な武将になることが出来たのは母君(養賢院)のお陰であるとして、その母君を祀る為に建立されました。

江戸時代を通じて、歴代藩主から多大な庇護を受け、また有力藩士の菩提寺として信仰を集めました。
現在の本堂は江戸時代に二度の火災後、豊郷町四十九院から移築されたと伝えられ、約270年経過しています。

快慶作 阿弥陀如来像

ご本尊は、鎌倉時代に活躍した快慶作の阿弥陀如来像で、国の重要文化財に指定されています。仏像の左足柄外側に「巧匠 法眼快慶」と朱で陰刻されています。
お寺の創立よりも古い仏像で、伝来については詳らかでないようです。
江戸時代の火災時にも、お寺の方が必死でご本尊を守られたのでしょうね。

智照観世音菩薩

井伊直孝公の母君が、信仰されていた観音様が伝えられています。
勇猛で賢い武将になるようにと祈願されていたようです。(秘仏)

観音様の隣には、大小幾つかの仏像が安置されていました。
昔、圓常寺周辺には百石から三百石の武士が住んでいたようですが、維新後に多くの旧藩士が彦根を離れました。
それらの藩士から、お寺に託された仏さまです。
家の格により仏像の大きさも異なったようで、興味深いお話でした。

庭園と旧外堀

本堂から書院を通って、お庭を拝見しました。
手入れの行き届いた広い庭園です。「ドウダンツツジの紅葉が見事ですよ」と、お寺の方が教えて下さいました。

お庭の奥の斜面は高くなっており、旧外堀の土塁の名残りがあります。
かつては圓常寺の前の外堀を船が往来し、琵琶湖から町人町へと物資を運んでいたようです。

現在外堀は埋め立てられ、昭和新道となりました。
今も細い水路が残り、往時が偲ばれます。

御朱印

かわいい根付も頂きました。

「長き世の やみ路に迷うひともなし 
智慧の光を照らす限りは」圓常寺御詠歌

圓常寺さんは、彦根の歴史がぎゅっと詰まったお寺だと感じました。

「井伊家ゆかりの寺社巡り」はここまでです。
「ひこにゃんのイラスト入り御朱印帳」に惹かれて始めたのですが、彦根のあちこちを巡る、いいきっかけになりました。
よく知っているつもりの寺社も、拝観してみると「知らなかった」と思うことが多々ありました。

寺社巡りが面白くなってきました。
御朱印帳の余白ページもまだまだあります。
今後も湖東・湖北の寺社巡りを続けたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

memo

住所 彦根市城町二丁目4-62
拝観料 200円
拝観時間 9:00~17:00