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sanpo精神探究録#8 『超時空の認識』

今回のテーマは超時空の認識ということで話していこうと思います。

これまで、現象を超えた精神世界の存在について話していましたが、実際に意識をその領域に持っていく際には、時間感覚や空間感覚の主観的な変化が変性意識の現れとして起こってきます。この時間や空間の非日常的な知覚を手掛かりに感覚を探っていくことで、精神探究の始まり方の指標や体験の言語化の1つの形式になるのでは無いかと考えているので、これらについて話していこうと思います。


日常においての時間や空間とは何でしょうか。それは現象の感覚や知覚といった脳による言語想起イメージを構築する場を成り立たせている規定として常時作用し続ける基本概念です。人間の視覚や聴覚などの感覚器官から得られた情報はそれ単体では現れとしての知覚を有しているわけではなく、それらの情報を時間と空間の規定が存在する場に投影することで記憶可能な形式に変換しそれ対し論理的な判断を加えることで意味の付随する現れとしての知覚を在るものとして感じているということです。
このようにして時間や空間の場の中の知覚と判断が、我々の日常と呼ぶ世界を作り出しています。しかし、変性意識状態にある時の精神的な知覚の現れは、日常とリンクしてはいるが、場の規定が日常とは大きく異なる場合が多いです。というよりも、精神の広大さの前で、日常的な時間や空間による規定は、作用の起こる場のほんの1パターンにしか過ぎないという事になります。拡張された意識状態ではこのような異なる場の作用を記憶可能であるか、ということや、論理的な意味の付随が可能であるかなどという事に関係なく純粋な体験として知覚するという事になります。つまり、これらの体験を日常的な形式化された言語想起による現れとして表現することは必ず時間や空間の場の規定が必要ではあるが、純粋な非言語体験ではむしろこの規定に囚われていると精神の探求領域が狭まるということになります。そこで、まずは時間や空間の規定に囚われない状態へどのように持っていくのかという事について考えていきます。


まず、時間の解放について考えます。時間とは論理化、意味化可能な知覚の異なる両状態を関連付けるための規定です。現れと現れの間に意味的な繋がりを持たせることで世界の在り様を成り立たせています。現象世界に生きている私たちの個我はこの意味を作りながらそこで生活しているというある種の幻想の中にいるというわけですが、この幻想から離れることで時間の解放を試みます。つまり無意識に現象の間の繋がりを持たせてしまっているそれを、感じないことで固定された時間進行から離れるという事です。その手法としては、夢を見ている時の認識に近く、非実在の存在も見ているような、または記憶や想像の中にしかないものを見るような、イメージの世界がリアリティーを伴うような状態にあるとき、脳のドーパミン受容体が作動し、その現れに論理形式を挟まない純粋な現れとしてそれらを知覚します。この状態がさらに進むと映像的なリアリティーすら消え、極めて内面的な非実在でありながら存在を感じる段階に進み、時間による変遷やそれに付随するものの確かさの指標に関係ない永遠不滅の存在が立ち現れます。この時の知覚がまさに時間を含まない知覚であり、意味による解釈は出来ないが、言語化以前のより真実味を帯びた、場合によっては恐ろしく神聖な現れとしての体験を得ます。このように、時間を排除することでそれ以上説明不要な純然としてそこにある知覚が変性意識状態の神秘体験として語られています。現象での言語想起イメージでは、何か高次の存在であったり、精霊や神として表現されてきました。


次に空間の解放について考えていきます。空間とは視覚化可能であるという事に限定すれば縦・横・奥行きの3次元の軸の取りうる値の範囲ですが、視覚化可能であるという条件を外せば最小単位の中に折りたたまれた次元の軸が存在します。これを感覚的に応用します。空間は視覚の現象化の規定であるが、この視覚現象の境界を融解させることで固定単位から離れ、最小単位に包含される最大構造あるいは、最大単位を包含する最小構造といったような、単位の入れ子構造を認識します。この現象は脳のセロトニン受容体の作動により視覚変化として現れます。このような入れ子構造の認識下での移動は通常の空間移動とは異なり、軸の値の変動による移動ではなく、異なる単位軸の共時的認識の組み合わせの変化から生じる移動になります。つまりはある単位とそれを包含するあるいはされる単位の両方を同時に見ていて、無限の入れ子構造のどの単位と単位の間をフォーカスするかというような、レイヤーが重なった絵を見るようにして移動していくという事になります。このような視点移動で見ることで、現実とは法則の異なる様々な世界を超越的な空間認識から同時に複数観測するという事になります。量子もつれやワームホールなどの非局所の見えない相関はこの超空間認識から産まれているとも言えます。これが作用した現象の言語想起イメージでは異なる色や形などの知覚がそれぞれ分離された別物としての認識を持ちながら、一つ上の情報空間でそれらが統合された一つの形象としても認識します。この認識の変性意識状態下の体験として語られる例としては、臨死体験者が語るトンネルのイメージであったり三途の川のように、あの世とこの世の境界とその橋渡しのように表現されることもあります。


と、このように時間や空間の開放を説明してみましたが、要するに、時間の開放によって不変の真実を、空間の開放によって異なる事象同士の繋がりを認識するという事になります。このようにして時間や空間から解放された超越的感覚を得ることで、非言語であり純然で本質的な現れを通常の視覚化の範囲を大きく超えた拡がりをもつイメージの中でそれを体験することができるという事です。これらがより本質的な体験であると言える理由は、日常の時空感覚場で起こる言語想起イメージはその殆どがそれ自体入出力情報の展開したコンテキストの流れと相関している幾何学的遺伝子パターンに従属した動きを自己占有感を錯覚した自我に寄るものであるが、これに対し、場の規定に縛られない超越的時空感覚からは確定の根本の幾何学が超空間の世界フォーカス移動に寄って変形します。これはつまり移動された先で超時空の非言語で見る幾何学パターンが遺伝子を介してそのまま現象世界の言語想起イメージが確定しているということであり、これが本質性を有します。この本質性は、あらゆる現象内の局所実在的真理が超時空の精神的な1なる絶対真理と同等のものであるという再帰するフラクタル構造認識の元に言語解釈のすることで、我々の存在への問いに対する解答になり得ます

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