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血笑百合の咲く夜に(下)

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まえがき、および上編はこちらからどうぞ

#8 GEHENA

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「で、鹿子も真麻ちんもさぁ、なんでズブ濡れなん? そーいうプレイ?」
 再会してからの第一声と共に、蒔絵はニヤニヤしながら鹿子を見上げた。鹿子は眉を潜めて、小さな嘆息と共に蒔絵を見返す。
「アンタ達こそ泥塗れじゃない。連絡通路で相撲でも取ってきたワケ?」
「しょーがないじゃん、なんか地上からの衝撃があって、そんで元から脆くなってた通路の壁が崩れて近くを通ってた用水路か何かから水が流れ込んで危うく水没する所をハリウッド映画の如く駆け抜けて突破してきたんだから! しかも! 群がるヒュージの攻撃を! かわしながら! まじヤバかった」
「あー、なるほどね……」
 心あたりのある鹿子は、目の前の蒔絵から目をそらす。
 だが、蒔絵の後ろには千鳥も、花霞も、蜜葉も、しっかりと自分の足で立ってそこにいる。誰一人、欠けてはいない。
「……真麻さん。アレと、戦ったの?」
 蜜葉が、神妙な面持ちで訪ねた。真麻は頷き、肩を竦めた。
「そうね。こっちも、『まじヤバかった』わ」
「よく無事で……」
「でも、追ってくるかも知れないわね。搦手を使って目の前から逃げたから」
「いや……大丈夫。もう、日が昇る」
「どゆこと?」鹿子が尋ねる。
「アルファギガントは夜しか活動しない」
「でかい吸血鬼もいたモンだな」と、花霞。
「あれは夜目が効くから、人間に対して有利な状態で戦いたいのかも」
「では、時間の有る内に“銀の弾丸”を探しませんと」
「千鳥……? いや、待って。皆、まさかアレを」
 蜜葉が、微かに狼狽えて仲間の顔を見渡した。
「本気なの……? アレは、葉玄女学園を……ガーデンを一つ潰したヒュージだよ。それを……」
「やるわ。必要とあれば」
 真麻が、言い放った。強く、強く。
 蜜葉は、その言葉に硬直し、二、三度大きく瞬きした。
 それから何かに気づき、再び口を開く。
「そうか……君達は……いや、君達も」
 常識的な判断ではない。だが、そも今この時、葉玄女学園にリリィが戻ってきたこと自体、狂気の沙汰なのだ。
 ならば、貫き通すのみ。
「今のは、忘れて欲しい……今の、失言は」
「はっ、それより最初の目的を果たしちまおうぜ」
 言葉と裏腹、花霞は蜜葉の背を、そっと撫ぜた。
 蜜葉はほんの少し表情を柔らげ、話を先に進める。
「蒔絵、光月さんのビーコンが発信された、詳しい位置は判る?」
「……うん。この先の、三号棟エリアから」
「三号棟……工廠科の校舎だ」
「他に生存者は居られないのでしょうか? 観た感じ……」
 千鳥は、ぽっかりと穴が空いて、白み始めた夜空が見える天井を仰いだ。
「誰一人も、この学校の方を見かけませんが」
 今いるのは連絡通路通路から直に繋がる一号棟中央校舎だが、建物の至る所に亀裂や穴が生じており、ここで熾烈な戦闘が繰り広げられたことを物語っていた。
「いんや……居るぜ。人間かは知らんが」
 首を傾げた千鳥に対し、花霞は手を耳に当て、三号棟の方に頭を向けた。
 それに倣う様に、他の面々も耳を澄まし、静寂に意識を集中する。
 ――ズン、と、微かな振動が、遠くの方から伝わってきた。
「まずい」「ちょ、一人で行くんじゃないわよ!」
 慌てて駆け出した蜜葉の背中に鹿子が叫んだが、引き止めることはできず、やむなく後を追う。
 崩れかけた中央校舎を後に、六人は工廠科三号棟へと向かった。
 中庭を挟んで一号棟と向い合せになった三号棟の入り口は、分厚い防護シャッターのど真ん中を突き破られ大穴が開けられていた。
「くっそ、遅かったか!?」
「いや、諦めるもんか」
 唸る花霞を尻目に、蜜葉はクリアリングもせずに突っ込んでいく。
 既にCHARMを起動させたその背中がどんどんと小さくなるのを見て、千鳥は小さく息をついて一旦、足を止めた。
「蒔絵さん、皆さんの護衛をお願い致します」
「ほえ、どゆこと?」
 首を傾げる蒔絵。千鳥は、落ち着き、淡々と答える。
「私一人なら、追いつけますから」
 そう言うと、千鳥は雷光の様な疾さで駆け出し、蜜葉を追ってしまう。
 蒔絵は一度スピードを落とし、残る三人の顔を見渡した。
「えっと、カスミンはヒュージを食べないとマギが発現しないでしょ、真麻ちんはフェイズトランセンデンス使ってまだ本調子じゃなくてぇ……」
 そこで、鹿子と目が合う。
 鹿子はさっと目をそらしながら、マギクリスタルがバッキバキに破損したレグルスを蒔絵に見せた。
「……え。ええええええええええええ。壊しちゃったの!?」
「しょうがないでしょ! これ一本でアルファギガントの熱線防いだんだから、むしろ褒めてよ!」
「うわ、逆ギレ」
「あーあ。お前、CHARMなくしてどうすんだよ。どっかのガーデンみたいに応援でもするのか?」
「うっさい! とにかく蜜葉は一人にできないんだから、追いかけるわよ!」
 半笑いの花霞に煽られ、鹿子は顔を真っ赤にして走り出す。
 やれやれという言葉を飲み込んで蒔絵と花霞が続き、最後に真麻が、笑いを噛み殺す様に肩を震わせながら、その背を追った。

 ◆

(決して褒められる行動ではないにせよ、これを責めるのは酷なのでしょうね)
 ひとり蜜葉を追った千鳥は、心中呟く。
 彼女のレアスキル『縮地』の力を持ってすれば、相手がどんなリリィとて追いつけないという事はまず有り得ない。しかし千鳥は目前の蜜葉を、まずは好きに走らせた。
 駆けながら、全神経を研ぎ澄まして周囲を警戒する。出会い頭に致命傷を受けることだけは避けたいが、蜜葉は明らかに目的地を定めて移動している。そこまでたどり着けば……
(……と、思いましたが)
 反射的に、千鳥は手を伸ばし、前を行く蜜葉を掴んだ。
「――――ッ!」
 がくんと揺れた蜜葉の体がバランスを崩す前に、凄まじい速度で、しかし柔らかに、千鳥は彼女の体を支え静止させた。
「千鳥……!」
 抗議の言葉を発しかける蜜葉……対して千鳥は、これもまた、ふわりと……相手の唇に、自らの指を当てて制す。
「来ます」
 蜜葉の、持て余した熱が瞬時に散るのが解る。それだけの冷静さは、まだ、ある。
 次の瞬間には、視界を埋め尽くすほど巨大な影が、二人に飛びかかった。
『GIAAAAAAAAA!』
 獅子の様な姿の、そのヒュージにとっては奇襲のつもりだったのだろう。だが、千鳥は一切動じることはなく、地を這う様な低姿勢でヒュージの真下に潜り込み、すれ違いながらCHARMの刃を立てて腹を一文字に斬り裂いた。
『GYYYYYY…………!』
 すかさず蜜葉は、悲鳴を上げたヒュージの口に拳銃型CHARMを突っ込み、ただ一撃、発砲。
 ズドン、と重い音が響き、閃光がヒュージの口から溢れる。怪物が蹌踉めいて死に体を晒すと、次いで千鳥がその側面に踏み込み、流れるような動きで首を斬り落とした。
 ドサリ、と倒れ込んでヒュージが静止し、辺りには蜜葉の荒い息だけが響く。
「はぁっ……はぁっ……」
 肩を激しく上下させながら、千鳥を見つめる蜜葉。
 千鳥は悠然と自らの刀型CHARMを一振りし、血を払う。
「……ごめん」
「お気になさらず」
 独断専行については、咎めようともしなかった。
 それでもバツの悪そうな顔をする蜜葉に、千鳥は一言だけ呟く。
「大切なのですね。このガーデンと、ご学友が」
「当たり前だよ」
 蜜葉の回答に、千鳥はほんの僅かに瞳を揺らし、目を細めた。それを気取られぬように屈み込み、今倒したばかりのヒュージの体を検める。
「このヒュージは元より手負いでした。その傷も、まだ新しい……」
「誰かと、戦っていた。いや、これは……光月さんだ」
「確信があるのですね?」
「昨日の晩、ここに残ったのは……あの人、たった一人だから」
「一人で、このガーデンの防衛を? それは、些か……」
 首を傾げながら……千鳥は考え込み、そしていくつかの可能性に思い当たる。そのどれもが、不穏なもので……
「ちょっと、蜜葉! 千鳥さん! 生きてる!? 今、ヤバイ音がしてたけど……!」
 遠くから、鹿子たちの駆ける足音が聞こえてくる。
 蜜葉は何度か深く息を吸い込んでから、努めて穏やかな――少なくともそう見て取れる――声色で、千鳥に言った。
「……そうするしかなかったんだ。一番辛くて、重要な役目を、引き受けてくれたんだ……光月さんは」
 追いついてきた鹿子達も、蜜葉を強く咎めはしなかった。今は、光月の安否の方が優先されたからだ。
 千鳥もまた、直ぐにそちらに意識を向けたが……
「……当たり前、ですか」
 彼女はただ一言、誰にも聞き取れぬ小さな声で、寂しげに呟いた。

 扉を開けた瞬間、横合いから青白く輝く剣先が、鹿子の喉元へと突きつけられた。
「……」
「落ち着きなさいよ」
 鹿子は憮然として、CHARMを握り自らを歓迎するリリィに、視線を移す。
「アタシ達がヒュージに見える?」
「…………」
 見つめた少女は、ふわふわと少し癖のある長い赤毛の間から、鋭い瞳を覗かせる。
 目が合えば全身を貫く様な殺気が鹿子を襲うが、しかしそれも一瞬の事。
「ああ~……こりゃぁ、失礼。生憎ちょっと……立て込んでてさぁ」
 少女は、急に緊張をほどくと、一瞬前までの鋭さが嘘の様な軽い語調と共に、手にしたCHARMを下げた。
 花霞と同じ、ティルフィング……その型違いのR型だ。だが、表面は花霞のそれとは比べ物にならないほど丁寧に研磨されている。相当の切れ味だろうし、ここまで手を入れられるということは、持ち主の技量も推して知るべきであろう。
「光月さん!」
 鹿子の脇から首を出した蜜葉が飛び出し、赤毛の少女に駆け寄った。
「蜜葉。よく……よく、戻ってきたね……」
 光月、と呼ばれたその少女は、一度目を丸く見開いた後、感極まった笑みで蜜葉の肩を抱いた。
「光月さん。あれから……」
「うん。この階から上だけは、どうにか護り通したさ。『まだ、望みがある』」
「……ボク達も、やるべきことはやってきたよ……ちゃんと、やり遂げた。でも、皆は……」
「うん」
「ボクは……ボクは、運良く彼女達に会って、助けられて」
「判ってる。判るさ、あんたの顔を見れば」
「……ボク一人だけが」
「うん。よく帰ってきた」
 光月が、蜜葉の手を握り返す。蜜葉は俯き、肩を震わせ、そしてグッと唇を噛んで涙を堪えた。
 それから光月は、六人の一番後ろに立っている真麻を見た。
 まるで、最初から彼女がそこにいることを、判っていたかの様に。
 その視線に応えて、真麻はゆっくりと光月に歩み寄る。
「かわいい後輩を助けてくれてありがとう……本当に来てくれるとはね。嬉しいよ、真麻」
「勿論よ。紅坂にあって、葉玄と蒼芭は互いを支え高め合った、双子星の姉妹校。そして私は……まだ、蒼芭のハマーウィッチなんですもの」
「学び舎は混沌に堕ちるとも、か。筋金入りだね」
「ええ。お互いに」
 そう言って二人は、酷く寂しげに微笑んだ。
「アンタが……?」鹿子が問い、光月は応える。
「鍔木光月だ、どうぞよろしく。そして……我が学び舎、葉玄女学園にようこそ」
 そう言って、仰々しく両手を広げてみせる光月。
 背はすらりと高く、きれいな赤毛にくっきりとした目鼻立ちで……何より綺麗に笑う人だと、こんな状況にあって鹿子は、そう感じた。その彼女が纏う制服は、しかしあちこちが擦り切れ、その下には、大小無数の傷が覗く。
 過去には音に聞こえた葉玄女学園の姿はそこになく、彼女達はその最後の残り火なのだと……鹿子は、唇を噛んだ。

 ◆

 光月が立てこもっていたのは、三号棟二階の武器庫。生き残ったリリィ達の本拠地として使われていた様で、CHARMや食料、通信機といった重要物資がこれでもかと運び込まれていた。
 鹿子達はそこでそれぞれの怪我を手当すると共に、形ばかりの休息を取った。
「こんなおもてなししか出来なくって悪いね。想定より早く中央校舎が半壊しちゃって、大したものは持ち出せなかったんだ」
 光月は、治療を受けた代わりとばかりに、飲み物や菓子を差し出して鹿子達に振る舞った。お茶が入れられればよかったんだけど、と苦笑しつつ。
(ちょっと高級なやつだ……女子力高い)
 パステルカラーと小さなリボンで彩られた、可愛らしい包装の菓子を見て、鹿子は心中で呟く。それは、ここで戦っていたのがうら若き少女たちであったという、ほんの小さな証明のようにも思えて。
「ねぇ、電気は来てないの? ガーデンだったら、非常用の発電施設とか持ってない?」
 蒔絵が、勝手に機材をいじくり回しながら問う。小脇に抱えたタブレット端末は、バッテリー残量が赤く表示されていた。
 光月は苦笑いしてから、口を開く。
「発電機を回すと、ヒュージ共が寄ってきちゃうんだよ。本当の緊急時しか、使えないね」
「発電機に? あんまり聞いたこと無えが」と、花霞。
「アルファギガントが指示を出してるのさ。発電機が重要な施設って、解ってるみたいで」
「……それだけの戦略的優位を得ながら、しかし一息にこの校舎を壊滅させようとはしていない。ということは……嬲り殺しを望んでいる?」
 千鳥は、カーテンの隙間から窓の外を除きつつ、口を挟んだ。幸いなのかは判らないが、ヒュージの姿は一切ない。
「賢いヒュージだから、紅坂のリリィの気質を学習されてしまったのかもしれないわね。まずは私達の心に敗北を刻まなければ、紅坂全体を完全には陥落できない、と」
 真麻の言葉に、鹿子は小さく唸り、腕を組んだ。
「でも、葉玄は勝つつもりで戦ってんたんでしょ。どういう作戦だったのか……そろそろ教えてよ」
「そうね。でも、その前に……光月、蜜葉……一つ、確認させて」
 真麻はそっと手を上げて、答えようとした蜜葉を制した。鹿子も今は、真麻の言葉を素直に聞き入れる。
「スズ……欄堂さんは、葉玄にはもう何も残っていないと言い切ったわ。でも、実際には蜜葉や、貴女が居て、まだ戦っていた……そして蜜葉は、まだやることがある、とも」
 やにわ、光月の表情に影が落ちる。同時に場の空気が何倍にも重くなった。
「残らない筈だった。あの人にとっては……あんたなら、その意味が判ると思うけどね、真麻」
「同じ事を、欄堂さんも言ったわ」
 真麻はひと呼吸の間を作ってから、意を決したように口を開く。
「『GEHENA』……」
「ああ」
 苦い顔で肯定する光月。真麻と蜜葉は目を伏せた。
「今になってやっと判ったよ。一年前あんたが……蒼芭女子が、なんであそこまで頑なにガーデンを守ろうとしたのか」
「……」
「根無し草の集まりなんて呼ばれた時代から、先輩達が血反吐吐いて積み上げたモノを、必死で護った結果がコレだ。そりゃぁ、意地にもなるもんさね」
「GEHENAって……対ヒュージ技術の研究のためなら、本当に何でもやる機関じゃない。そんな連中が助けに来て、どうしてこんな有様なのよ」
 鹿子が、問う。問うてから、自分の浅慮に気づき、そして顔を青くする。
 助けに来る……?
「……ちょっと、まさか」
「大前提……リスクの観点から、このガーデンを守る意義はもう存在しないんだ。でも悪いことに、紅坂のリリィってのはみーんな、ガーデン愛の強すぎる頑固娘ばっかりだ。どんな代償を払ってでも母校を守ることに固執するし、それがウチらの強さでもある。“奴ら”はそこに付け込んで来た」
 光月の語り口は、淡々としていた。感情を抑え込んでいるのは明らかで、しかし傍らの蜜葉にはそれができず、わなわなと震えていた。
「最後の攻勢が始まる前の睨み合いの最中に、GEHENAの連中が来て言ったのさ。葉玄女学園のリリィのうち、生き残った半分をGEHENAへ差し出すなら、ガーデンを守ってやる……って」
 その言葉を聞いた誰もが、言葉を失った。
 対ヒュージ研究機関GEHENA。そこに所属したリリィが、どんな存在となるのか……リリィとなった者は皆、遅かれ早かれ噂を耳にする。
 噂の殆どは大げさに脚色されてはいるが……ただ一つ、彼女達の間で共有される、確かなキーワードがあった。
 即ち……『人体実験』。
「一年前、葉玄と姉妹校だった私のガーデン、蒼芭女子高等学校は全く同じ決断を迫られた。あの時も彼らは、ご丁寧に中央校舎以外の全ての建物がヒュージの手に落ちてから、その包囲網を鮮やかに掻い潜って私達に接触したわ」
 暫し続いた重い沈黙を、真麻が静かに崩す。鹿子は傍らでその言葉を聞きながら、胸のざわつく感覚を覚える。まただ。また……
「だから私にも判る、光月。貴女達、葉玄女子が……彼らに、なんて答えたのか」
「ははっ……何年ぶりかに怒鳴っちゃったよ。でも、後は見ての通り」
「……けれど、貴女達は諦めなかった。一年前の私達と、同じ様に……」
「『不屈』が校訓で、さ」
 光月は……少なくとも表面上は、飄々とした笑顔を崩さなかった。
 おそらく彼女は、死ぬ間際までそのままでいるだろう。それしか、知らないのだ……眼の前の困難を、乗り越える術を。
「……最後に残った何十人かで、賭けに出ることにした。罠を仕掛けて、敵を誘い込もう……って。アルファギガントの周りが手薄になる時間を、僅かにでも作れれば、例え一時でもアイツと相まみえる事ができる」
 光月が語るのは、絶望的な可能性だ。例えば、砂漠に落ちた一本の針を探すかのような。
 しかし勝つことを諦めない、最後まで諦められないが故に、そうする事しかできない……それは、正しく、妄執で……
「何よ、それ……そんなのって」
 鹿子は唯一人、怒りに打ち震えながら、言葉を絞り出した。
 骨の軋みが聞こえてきそうなほどに強く拳を握りしめ、煮え立った思考の中からかろうじて、言葉を探す。
「蒼芭も、葉玄も、全てを注ぎ込んで戦ってきたんじゃない。こんなに大きな犠牲を払って……なのに、防衛隊も、GEHENAも。こんな、使い捨てみたいな扱い……ッ」
「そうは言うがね、一年生。実際、もう守れねぇって判ってるものを意固地に守ろうとしたのは、事実だ。なら、想定された代償ってヤツじゃないのか」
 口を挟んだ花霞を、鹿子は般若の様な形相で睨みつけた。「おーこわ」と、花霞はそっぽを向いてしまう。
「……花霞の言っていることは、少なくとも“彼ら”にとってはその通りだわ。とても、悲しいことだけれど」
 真麻の言葉に、光月は続く。
「まー、判っててやったのは確かさ。でも、言われたらムカついちゃうなーって思ってる事を予想通りぶつけられたら、余計ハラが立つっしょ?」
「……まぁ、違いねぇ。あたいも、見に覚えが無い訳じゃない」
 頷いた花霞の脇で、蜜葉は面持ち暗く俯いている。花霞はそれに気づくと、僅かに身じろぎした。
「アタシは……アタシは」
「納得できない?」
 真麻が、鹿子の肩にそっと手を触れる。
 鹿子は、少し迷って、頷く。
 まるで幼子をあやすかのような……その様を見て、光月は頬を緩めた。
「私も……私達も、納得していないわ。だからこそ、ここに来たのよ。不条理だと、愚かしい選択だと判っていても尚、示したい意思があるから」
 そう言うと真麻は、鹿子の手を握った。優しく手のひらを重ね、指を絡めて。
 鹿子は唇を噛み締め……ぎゅっと、その手を握り返す。
「……うん。私は……私達は、その為に来たんだ。やろう」
「そだね。やろう」真っ先に蒔絵が、同調する。
「はい。そう、致しましょう」と、千鳥。
「あたいは最初っからそのつもりだったぜ」花霞が、へらりと笑う。
「ボクだって、もう腹は決まったよ。やる。やってやるんだ」蜜葉は、意を決したように口を開いた。
「いいね。当然、あたしも『やる』。私達が夢見て描いた未来のために。ねえ、真麻?」
 光月が、真麻へ視線を送る。
 真麻は、あの、仄暗い微笑みを浮かべ……


#9 シュッツエンゲル

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 それから、一時間ほど経って。
 アルファギガントの特性から、決戦は日没以降と定めた七人は校舎内に散らばり、それぞれが決戦の準備を進めていた。

「あー。こりゃまた派手にぶっ壊したねぇ。こんなに景気よくマギクリスタルが砕けるのは、中々ないよ……珍しい種類の過負荷が掛かったかな」
 鹿子から差し出されたレグルスを見て、光月はどこか楽しそうに笑った。
 対する鹿子は、居心地が悪そうに、また彼女にしては珍しく、光月の表情を伺う。
「あなたは葉玄で一番のアーセナルだって、蜜葉が言ってたからさ……」
「はっはー、あの子も持ち上げるねぃ。ま、事実だケド」
「どう、かな。直せそう?」
「勿論」
「うぇぇ、光月さんそれホント? 接続基盤がこんなにグチャグチャになってるのに? しかも一品物だから仕様書も何もないんだよ? ちなみにマキエはどうやったら修理できるかカイモク見当もつきませんっ!」
 蒔絵が割って入り、鹿子の代わりに詰め寄った。興味深々らしい。
 若干呆れ顔の鹿子を尻目に、光月は得意げに胸を張り、自分のこめかみを指さした。
「仕様書ぉ? んなモン、頭の中に入ってるさ」
「え?」「どういうこと?」一年生二人は、首をかしげる。
「どういうって、一つしかないっしょ? これはあたしが作ったんだよ」
「えええ、そんなご都合主義な」
 マキエが口をあんぐりと開けた。流石に光月も、苦笑いする。
「言うねえ、キミ……いや、でもさ、本当なんだ。レグルスに、ポラリス、そしてラスタバン。姉妹校の友好の証として、あたしが作って蒼芭女子に送ったんだよ」
「真麻のポラリスも?」
 今度は鹿子が、身を乗り出す。思い出すのはレグルスが、真麻から受け取った時には既に傷だらけだったこと。
「そう。もとは三点セットだった訳だね。レグルスはぶっちゃければ既存のガワにクリスタルを埋め込んだだけの代物で、旧い技術しか使ってないけど信頼性じゃ一番さ。構造が単純なぶん、修理もしやすいしね」
「じゃあ……」
「決戦までには直しとくよ。まーかして」
 光月の言葉に、鹿子は露骨なまでの安堵を浮かべた。蒔絵に横顔を見つめられていることに気づくと、慌てて背筋を伸ばし、
「頼むわ。それがないと、アタシは……」
「いいよいいよ、出世払いにしとく。これ、真麻から貰ったんだって?」
 光月が問うと鹿子は頷く。
「そう。あいつがこれをね」
「あの。レグルスの前の持ち主は……」
「まー……説明する必要はないかな。や、あたしの口からは、って意味だけど」
「……うん。なら、アタシも、訊くのはやめる」
 なんとなく想像していた回答に、鹿子はすんなりと納得する。
 光月は、鹿子の頭にぽんと手を置いて、そのまま撫でくりまわした。
「きちんと直してあげるから、使いこなせるように努力してよね。あたしが手掛けたって以上に……真麻がこれを託したって意味は、それなりに大きいからさ」
 その言葉に鹿子は、素直に、首を縦に振る。
 横の蒔絵は二人の様子を伺い、少し迷ってから、意を決して口を開く。
「ね、ね、マキエも手伝わせてくれないかな、光月さん。マキエ、CHARMのことちゃんと勉強したいんだ」
 蒔絵は爛々と目を輝かせ、光月に請う。その瞳を見て、光月は少しだけ間を作って答えた。
「…………そうか、戦うアーセナル希望ってわけね。じゃあ、お願いしようかな」
「やった!」
「レグルス、ちょっと手ぇ加えてあるね。キミがやったの?」
「うん。鹿子が使いやすいように、ちょっとこう、基盤をちょちょいと」
「ちょちょいと、ね、無茶な弄り方してくれるわー」
 心なしか光月も嬉しそうにやりとりするのを尻目に、鹿子は邪魔をせぬようその場を離れる。
 気づけば、他の四人の姿はない。校舎の中で比較的安全な場所を予め伝えられていたことを思い出し……鹿子も、少し歩くことにした。

 ◆

「お、ちゃんと残ってたな。本当に貰っちまって良いのか?」
 むき出しのコンクリートで囲われたその部屋を覗き込むと、花霞は嬉々とした表情を浮かべ、背後についてきていた蜜葉を振り返った。
「うん。誰にも使われないまま放棄されるよりは、ずっと良いと思う」
 蜜葉はそう言うと、花霞に先立って部屋に足を踏み入れる。
「拳銃弾はこっち。九ミリパラベラムで良かったよね……少しならショットシェルも、銃とセットであるけど」
「いんや、ピストルでいい。こんな状況じゃ、長物は却って邪魔になるかもしれねーかんな」
 他のあらゆる建物から距離を置いて設けられた小屋のようなその部屋は、銃弾や火薬を保管しておくための弾薬庫だった。リリィが本来、銃の使用を想定しないとはいえ、何らかの理由でCHARMが使用不能となった場合、あるいは防衛隊との連携が必要となった場合に備えて、僅かながら実銃の弾が備蓄してある……と、蜜葉は語った。
「それに、手に馴染んだ道具の方が、咄嗟の状況じゃ頼りになるだろ」
「同感だ」
 葉玄女学園に至るまでの道のりで、花霞は手持ちの銃弾を全て撃ち尽くしてしまっていた。そもそもそれは彼女のレアスキル、キルストリークを発動させるための『繋ぎ』の武器であり、弾数をさほど用意していないのだという。
「……花霞は凄いね。普通の銃でヒュージと戦うなんて」
「今更じゃないかね? それしか方法がないなら、誰でもそうすると思うけどな。お前さんだって、同意してくれたじゃないか」
 蜜葉の称賛を受けて、花霞はごく自然体でそう答えた。
「でもさ。怖くないの? 最初の射撃で倒せなければ、死ぬんだよ」
「それも、CHARMだろうが銃だろうが大して変わらない。難しく考えすぎてると思うぜ」
「CHARMで戦うより、圧倒的に不利なのは間違いないよ。マギを発動してなければ、ボク達は普通の女子高生で、一度でも攻撃を受ければ致命傷になる。度胸だけじゃない、それで今まで生き抜いてきたキミの勝負強さに……感心したのかも、ボクは」
「お前がそれを言うかァ? CHARMの二丁拳銃で百発百中できるのが、勝負強さじゃなかったら何なんだよ」
「照準器で狙えば、普通に当たるじゃないか。肝心なのはそこじゃないよ」
「天才かよ」
 キョトンとする蜜葉に対して、花霞はおおげさに溜息をついてみせた。
「ボクの『円環の御手』は、二つのCHARMを同時に使えるようにするレアスキルだけど……ボク個人の解釈で説明すれば、それだけじゃないんだ。体に二つ分の感覚が生まれるっていうか……集中力も器用さも二倍になるっていうか」
「悪い、よくわからん」
 花霞が苦笑すると、密葉も頬を緩ませ、
「だよね、ごめん。でも、つまり、その。ボクが言いたいのは……『円環の御手』が魂の強さまで、二倍にしてくれる訳じゃない。まして、射撃を当てられるから勝負強いだなんて、間違っても……って」
「自分は弱いって言いたいのかい」
「葉玄女学園のリリィとして、不屈を通す……想い続けて、戦ったけど。全然、足りなかった。さっきだって……足を、引っ張って。
 どれだけ想い願っても、そんなものは、ただそれだけじゃ意味がなかったんだ。ボク達には」
 蜜葉は、何かの感触を反芻するかのように、幾度か手を握っては開いた。優しく、そして名残惜しそうに。
 その手から零れ落ち、死神に攫われた命……花霞とてそれに気づけぬほど、ましてや自分から触れるほど粗忽ではない。
「……なぁ、ガンスリンガー。あたいに射撃を教えてくれよ」
「え?」
 唐突に切り出したその言葉に、密葉はうつむかせていた顔を上げた。
「あたいはよぅ、実のところ銃の事なんてネットで調べただけで、大して知らないんだ。誰も教えちゃぁくれなかったし、そのうち自分から周りを避ける様になったし。でも……そんな意地じゃぁ何にもならねーって、あたいもこの紅坂に来て、今更ながら思ったんだ」
「……」
 沈黙する密葉。花霞は、次第に言葉のキレが悪くなる。
「あー……あたいも言いたいことがブレたかも。なんつーか、その、な」
「……ふっ。わかるよ。言わなくても、大丈夫」
「ホントか? テキトーに言ってないか?」
「適当じゃないよ。うん。教える。ボクが知ってることは、これが終わったら、全部」
 密葉は指で鉄砲を作り、撃つ仕草をしてみせた。未だ寂しげではあっても、確かに、明るく変わった笑顔で。
 そして……ぽそり、と最後に付け足す。
「力と覚悟が必要なんだ、ボク達には。何を失おうと最後には、前に進む為の……」

 一方、千鳥は一人、花霞と蜜葉が足を踏み入れた弾薬庫と同じ階、同じ廊下の、僅かに離れた部屋にいた。
 わざわざ床を板張りにした上で広く空間を設けたそこは、武道場だ。リリィ達が、CHARMの扱いよりも更に初歩の、戦いの基礎と心構えを学ぶ場として作られたのだろう。もう二度と稽古が行われることは無いであろう空間の最奥には、葉玄の校章と共に『破邪顕正』の書が収められた額縁が掲げられている。
 その道場のちょうど中央に正座して、千鳥は黙して目を閉じていた。床にうっすらと積もり始めていた埃が舞い上がり、纏う袴につくことも厭わず、ただじっと、動かない。
 瞑想……ではない。決戦にはまだ時間があり、剣気を研ぐには早すぎる。今はまだ、その前段階……気持ちの整理をつけ、余分な思考を削ぐ為の。
 考えていたのは、先程の蜜葉とのやりとりだ。
『大切なのですね。このガーデンと、ご学友が』
『当たり前だよ』
 あのときの蜜葉が持っていた、焦燥。それは彼女の言う通り、在って当然の感情なのだろう。
 まして、ガーデンを核とした魂の結束を以て自分たちの強さとする、葉玄女学園のリリィならば。
(わたくしとは、違う……)
 羨むのではないし、自分を卑下するのでもない。ただ、自分は持ち得ないものを彼女たちは持っていて、それが自分とは違う性質の、紛うことなき強さとなっている事実。
 言葉にすることはできても……感覚として理解はできない。
 この、宇目山千鳥という少女には。

 ……ぎし。

 背後で、板張りの床が軋んだ。音の軽さと空気の揺れ方で、千鳥は振り返る前にその人物を特定することができる。
「鹿子さん」
「……あ。ごめん。邪魔しちゃった」
「いいえ。そんなことはありませんよ」
 立ち上がり、淡々と、千鳥は答えた。鹿子は、少し居づらそうに身じろぎしてから、言葉を選ぶ様に口を開いた。
「……良い道場、だよね。割とお金かかってるし」
「ええ。その上で、大切に使い込まれています」
「葉玄ってさ、昔ながらの武道が盛んだったんだ。居合道が特に有名でさ」
「まぁ、珍しい」
「千鳥さんは? 剣道とかは得意そうだけど……居合って、やるの?」
 問われ、千鳥は首を横に振る。
「ヒュージ相手に、相まみえてから抜刀するのでは遅すぎましたから」
「なるほどね……て、え、刀でヒュージと戦ったことあるの?」
 気づき、戸惑う鹿子に対し千鳥はごく平然、
「今はもう、やめました」
「や、やってたんだ……」
 唖然とする鹿子を見て、ふと古い記憶が頭にちらつくと、千鳥はくすりと苦笑いした。
「自分にリリィの資質があることは知っていましたが、しかしCHARMという強い武器を持てば、却って心は弱くなると思ったのです。私の求める、尚武の道を極める為には、遠回りだと」
「勝負の、道……」若干の齟齬がある気もしたが、千鳥は続けた。
「ですが、当時知り合った花霞さんに、叱責を頂きまして。『あたいの立場で考えてみやがれ』と……それで、些か考えを改めました」
 千鳥は話しながら、道場の隅に置かれていた木刀を拾い両手で握りしめた。
 鹿子はそれを聞きながら、ゆっくりと道場の中央に歩み出る。
「貴女も……初めてお会いしたときには、CHARMの無いままに戦おうとしていらっしゃいましたね、鹿子さん」
「うん」
「刀も、銃もなく」
「アタシは、っていうか、普通のリリィはどっちも使いこなせないから」
 木刀を持ったままに千鳥も鹿子の眼前に歩み出れば、必然、相対する構図となる。
 ほんの一拍、間を作ってから、千鳥は問うた。
「なぜ、そこまで?」
「え。それ、訊いちゃう? 千鳥さんは判ってくれてるって、勝手に思ってたんだけど」
「買い被りです。わたくし、人心の機微には鈍感で」
 千鳥はゆっくり、ゆっくりと、回り込むようにしながら少しずつ、相手との距離を詰める。
 すると鹿子は、千鳥の踏み込みの間合いからきっかり半歩ぶん外の距離を保ちながら、後ろに下がった。
「……昔からそうなんだけどさ、追い詰められるとカッとなるタチなのよ。イライラしてくるっていうか」
「それで、絶対に勝てない相手に立ち向かったと?」
 微かな高揚……自分自身の感情に少し驚きながら、千鳥はとうとう、木刀を正眼に構えた。
 鹿子は半身になり、左手を突き出して、にぃっと歯を剥き出す。
「そういうふうにタカくくって強気に出られるのが、一番我慢ならないのよねェ」
「成程」
 互いに足を止めた瞬間、場の空気が張り詰めた。
 今や、千鳥を見つめる鹿子の目はまるで、野良犬のよう。
 鹿子の言葉に、嘘偽りは微塵も感じられなかった。もしも千鳥が踏み込めば、鹿子は全身に全霊を宿して反撃し、千鳥を打ち伏せようとするだろう……勝てるか勝てないか等とは、考えることさえもせず。
 静寂。
 両者睨み合い、一歩も動かぬまま、ちょうど一分が過ぎる。
「……やはり、まだよく解りません」
 そこで、千鳥は殺気を緩め、構えを解いた。
 鹿子も、あっさりとそれに倣う。
「ま、他人の事だしね。解んない方が普通じゃない?」
 あわや木刀相手に素手でやり合う状況に居たとは思えない程、鹿子の語調は軽かった。
 意図が通じていたというよりは、見透かされていたのかもしれない。だとしても、千鳥は眼の前の少女にかすかな好奇心を抱いていて……それは、彼女にとって極めて珍しいことでもあった。
「そうでしょうか」
「そんなモンよ」
 鹿子は二、三度躊躇ってから……改めて言葉を、続ける。
「……解らなくて当たり前だから、解ることも、解ろうとするだけでも、もしそういう相手がいたのなら、それは幸運だってこと」
「……」
 それは、今の立合にも言えることなのでしょうか。
 千鳥が問うか問うまいかを逡巡する間に、鹿子は踵を返してしまった。
「アタシ、そろそろ行くわ。邪魔しちゃってごめんね」
「いいえ。ためになるお話を、聞かせていただきました」
 千鳥は、年下の少女に対して恭しく頭を下げた。
 鹿子は戸惑いながらも、それに応え向き直り、きちんと答礼した。
「……ねぇ、真麻がどこにいるか判る?」
「屋上への階段に向かわれましたよ」
 彼女が、あなたの『そういう相手』なのですね。その言葉は、口から出さず胸に秘めた。
 今、それを言うのは……つまるところの、野暮というものでしかないだろう。
 

(……あのままやりあったら、一〇〇パー死んでた。命拾いしたわよ、ねぇ、カノコ)
 階段を登りながら、鹿子は先程の千鳥との立合を振り返る。
 相まみえた瞬間、少なくともCHARMなしの状態では万に一つも勝ち目などないと直感した。剣道三倍段とは俗に言うが、そんなレベルに至る以前の、絶対的な強さの差がそこにはあった。
 しかし同時に、千鳥が自分を試している事も、鹿子は一目で見抜いていた。
 あそこで、千鳥が言うところの『勝負の道』に対する真摯さを、その愚直さを、鹿子が僅かにでも欠いたなら、千鳥は自分を殺すか、流石にそこまでではなくとも容赦なく叩きのめした筈だ。それたけの覚悟……いや、狂気が、彼女にはあった。
 その上で、千鳥が自分に何を求めているかを、悟ったからこそ……鹿子は、それに応えたのだ。あれほどの強者でさえ、なにか……鹿子では理解し得ない何かに、迷っている。その答えを、欠片でさえ自分がもっているとしたら……触れてみたいと、思った。
 そんなふうに振り返りながら、屋上の扉を開ける……鹿子にとっての『そういう相手』は、ただ一人、そこに佇んで遠くを見ていた。
 高いところから周囲を観察していたのかもしれないし、千鳥のように気持ちの整理をしていたのかもしれない。
 どういう声を掛けるべきかと迷いかけたが、それで先程のように気づかれたらカッコ悪い。鹿子は踏み出し、真麻の隣に並んだ。
「レグルスは、直して貰えた?」
 先に、真麻が口を開いた。まるで、先程の光月とのやり取りを聞いていたかの様に。
「決戦までには、って言ってた。光月さん、凄腕みたいね」
「蜜葉の言う通り、彼女はガーデンいちのアーセナルだったし、結束の中心でもあった。信頼できる子よ」
「あの人から聞いたけど……元々は、三点セットなんだって? レグルスと、アンタのポラリスと、それから……」
「ラスタバン。全部、双子星のガーデンが心の拠り所にしてた星々の中から選り抜いた名前よ」
「そう、それ。最後の一つは、どこに行ったのよ?」
 鹿子の問に、真麻の視線が、ふっと遠くを見つめる。
「……言いたくないなら、別にいいけど」
「いいえ。そんなことはないわ」
 真麻は、鹿子に向き直り笑みを見せた。
「ラスタバンは、欄堂さんが持っているの。覚えてる?」
「欄堂て……あの、駐屯地にいた?」
「そう。彼女と、私は……………………光月と、親友だったの。その縁で」
「……この、レグルスの、前の持ち主は」
 思い切って、鹿子は尋ねた。
 地雷を踏むかもしれないが、それでもどうせなら知った上で背負いたいと、鹿子はそう思っていた。
「……レグルスは、欄堂さんのシュッツエンゲルだった人が使っていたのよ」
「シュッツエンゲル……」
 それは、リリィとリリィを結びつける絆の、一つの呼び名だ。一組の上級生と下級生が契りを結び、公私に渡って心を通わせて、次代のリリィを育ていく……その中で、上級生は『シュッツエンゲル(守護天使)』、下級生は『シルト(守られし者)』と呼ばれ、時として命と同列にさえ語られる、リリィ同士の最も重く密接な繋がりとなるのだ。
「その人は……」
「リリィの役目を退いたの。蒼芭女子が陥落する、何ヶ月か前の事よ」
 神妙な面持ちをする鹿子に、真麻は優しく、しかし寂しく、笑う。
「でも、きっともう、会えないわね。二度と」
「……そう」
 篭手型のCHARMであるレグルスは、射撃モードへの変形機構を持たない、いわゆる第一世代型だ。その上に武器の形すらしていないともなれば、その攻撃力は元来、あらゆるCHARMと比較しても明らかに低いものである。それでも、レグルスに刻まれた傷は古いものと新しいものとが混じっており、以前の持ち主には長年使い込まれていたのだろうと、鹿子は自信を持って推察できる。
 ならば、どのようなリリィが、いかなる想いを込めてこのレグルスを使っていたのか……
「ねぇ真麻、なんでアタシだったの?」
 代わりに口にした、問い。
 このレグルスを託すのが、あるいは、真麻が、そうまでして欲するリリィが……そこまでは、言わずとも伝わるだろう。
 ヒュージに丸腰で挑もうとしたあの日の鹿子の様に、躓き、燻るリリィは、決して鹿子だけではない。Y女学院にも、他のガーデンにも、数はともかく必ず存在しているのだ。それなのに……
 問われてから、真麻は鹿子と視線をあわせたが、すぐに再び遠くを見つめてしまう。
 僅かな時間考え込んだ真麻は、それから穏やかに答えた。
「……狂っていると、言われたのよ」
「え?」
「『貴女は狂ってしまった』と、欄堂さんから。一年前、蒼芭女子の校舎が陥落し、閉校処分が決まった時にね」
「……蒼芭の話は私も、病院のベッドで聞かされたわ。でも、なんで」
「残ったリリィに与えられた選択肢はいくつかあった。飛び級扱いで卒業しフリーのリリィとなるか、他のガーデンに転入するか、それともGEHENAに行くか。私以外の全てのリリィは、その何れかを選んだの」
「アンタは……」
「そこにあった全ての道を拒み、私は……蒼芭に、籍を残した。私が愛した、あの学び舎のリリィとして戦い続ける事を、選んだ」
「そんなことできるの?」
 真麻は、ふふっと口元を釣り上げた。
「だって、渡された書類そのものには『生徒の選択に委ねる』としか書かれていなかったんですもの」
「じゃあそれって屁理屈じゃない……」
「未練があったの。あの学び舎か……あるいは、それを守れなかった事実そのものに」
 未練。そこまで聞かされ、鹿子はこの回り道の会話の終着を見出す。
「私と……同じ、って?」
「同じとは言わない。けれど、似ているとは思わない? 為すべき事の一から十まで全て判っていながら、現実は指の隙間から溢れ落ちていった……」
「だから、アタシにこのレグルスを」
 結論を急いだ鹿子に……真麻は、にこりと笑い、しかし、否定した。
「いいえ。それは少し違う」
「なんなのよ、もう。ワケ解んない」
「ふふ、貴女は本当に、かわいいわね」
「ちょっ、バカにしないで」
「していないわ、誓って、違う。褒めているのよ」
 真麻は肩を震わせ、むくれる鹿子の髪をそっと撫ぜた。
「今のは会話は、唯のヒント。答えはもう少しだけ待って。この戦いを、終えるまで」
 そうはできない可能性など微塵も考えていないかのように、真麻は自然と言い切った。
 鹿子は仏頂面で、自分より頭半分ほど背の高い真麻の顔をしばし睨んだ後、
「もったいぶられるのにも、もういい加減焦れてきたからね。最後には、納得の行く答えを貰うわよ」
 そういうと、真麻は頷き、その場を後にしながら答えた。
「勿論。だって私……認めて貰いたいんだもの」
「認める?」
「貴女の……『お姉様』ってね」


#10 技量未熟

画像4

『じゃあ、いい? 電源入れるよ』
「オーケぃ、やっちゃって。最終フェーズ開始だ」
 小型無線機の向こうから、蒔絵の声が聞こえると、光月は意気揚々と返答した。
 あれから日没まで各々が準備を行い、今再び、葉玄女学園の周囲には夜の帳が降りてきている。
 蒔絵以外の六人は全員が再び二階の武器庫に集まり、来るその時を待つだけの状態となっていた。
『ほいな。んでは、スイッチ・オン!』
 瞬間、鹿子達の居る三号棟に、まばゆく明かりが灯った。発電機が作動すると共にすべての電源が復旧し、武器庫に運び込まれていたパソコンや無線機も、自動で起動し始める。
「これがアルファギガントへの挑戦状になる。奴はあたしたちの意思をへし折る為に、ここら一帯のヒュージ総てを引き連れてここへ来る。もう引き返せないよ、命知らずども」
 光月が、どこか楽しげに言った。
「望む所でしょ」
 鹿子は鼻を鳴らして、腰に手を当てる。
 その時、再起動した大型無線機がガリガリというノイズを立てた。光月がボタンとダイヤルを二、三度操作すると、それははっきりとした人間の、少女の音声となる。
『……聞こえているなら、応答してください。繰り返します……司令部から葉玄……ネットワークが再びオンラインになったのを、こちらから確認しました……まだ誰かがいて、聞こえているなら……』
「おスズさんの声だ」光月が呟く。
「おスズ?」
 首をかしげた鹿子に、真麻が、
「欄堂さんの事よ。欄堂鈴」
「真麻、あんたが出るかい?」
 光月が気遣うような視線を送ると、真麻は珍しく、どうしようか迷っている素振りを見せた。
 それを見た鹿子は溜息をついて、一歩歩み出る。
「私が話す」
「きみが? んー、まー、いいか」
 と、光月はマイクを鹿子に渡す。
「ガツンと言ってやってよ」
 仲間たちの視線を受けながら、鹿子は一度息を深く吸い込み、マイクの通話ボタンを押した。
「こちら葉玄女学園。どうぞ」
『……ッ』
 無線機の向こうの息遣いと、現場のどよめきが、マイク越しに伝わってくるかのようだった。
 無理もない。
「そっちに話す事が無いなら切るわよ」
『待って。貴方は……まさか、昨日の』
「そ。今日の朝、葉玄に到達したわ。アタシら五人の他に、葉玄のリリィは鍔木光月、初辻蜜葉の二名が生存、他は……行方不明、ね」
『……』
 受話器の向こうで、欄堂は絶句した。恐らくは言葉を選んでいるであろう間があったが、鹿子は相手の発言を待たなかった。
「こうやってまた通信できてるのは、発電機を再起動したから。この意味は、説明する必要ないわよね?」
『やめなさい、今すぐに』
「なんでよ。死ぬから? 確実に? 元は蒼芭女子のリリィだった割に、ずいぶん穏やかなこと言うじゃない」
『……真麻から、聞いたのね』
「そ。GEHENAのことも、真麻や光月から聞いた」
 鹿子は喋りながら、だんだんと自分の頭に血が登っていくのを感じていた。
 仲間たちの顔を見てみると、みな鹿子に視線を向けていたが、その表情は皆一様に、状況に不釣り合いなほど落ち着いていて……それだけでは鹿子は、紡ぐべき言葉が自然と頭に浮かび上がるような気がした。
「アンタやアンタの上にいるエラい人達から見れば、アタシ達がやってることはバカの極みなんでしょうね。助かる筈の命を捨てて、もう何かを守るのですらない戦いに、躍起になって」
 何が、自分達をそうさせるのか。
 今更『彼ら』に理解してもらおうなんて、微塵も思わない。
 でも……
「もう、どうでもいいのよ、ンなことは。アタシらは……アタシらは…………誰がなんと言おうと、戦えるし、戦うの。そのせいで傷つこうと、地べた這おうと、罵られようと嘲られようと、自分の意志で、自分の力で、戦うの」
『本当に……本当に、あなた達は……』
 欄堂の声は微かに震え、鹿子は手にしたマイクをぎりぎりと握りしめる。
「だから……だから、そこで指ィ咥えて黙って見てな。アンタ達が見放した『技量未熟』のリリィ達が、好き勝手暴れ回るのをさ」
『……地獄が待ってるわよ。例え、貴方達が生きて帰ったとしても』
「望む所よ」
 鹿子は、通信を切る。
 振り返るのは、少しだけ緊張した。しかし、そんなものは杞憂だと、すぐに判る。
「……」
 真麻が一歩出て、そっと鹿子の手を握った。黙したまま、言葉にさえできない感情を、噛み締めて。
「アタシ、ヒドい事言ったかも」
 鹿子が囁くと、真麻は、静かに首を振った。
「酷いのは私。本当は自分でやらなければならない事を、貴女に」
「……アンタにもそういうこと、あるんだ」
 鹿子は、冗談めかしていった。
 それから、仲間たちを見る。
 蒔絵も、花霞も、千鳥も、蜜葉も、光月も。
 絶対に勝てない敵を相手にするという事実にも関わらず、そこにいる誰もが、笑っていた。
「始めるわよ。叩き潰してやるんだ」
 窓の外から、ヒュージの鳴き声が聞こえた。
 最初は一つだったそれは、一つ、また一つと増えて、すぐに怪物たちの合唱めいた不協和音へと変わり、紅坂の空を揺るがせる。
 そして、空に浮かび上がる巨大な、あまりにも巨大すぎる影。それが最後の時なのだと、その場の誰もが、語らずとも理解していた。

 葉玄女学園。
 そこは紅坂と呼ばれる地域一帯の中でも最も若いガーデンであり、華やかなる名門の誉れには程遠く、時には中央で合格できないリリィの為の『滑り止めガーデン』と揶揄されることさえあった。
 しかしながら、紅坂のガーデンが例外なくそうであったように、在校生達は死さえ厭わぬ信念によって結束し、ヒュージとの絶望的な戦いを、一時は拮抗させるまでに成長していった。
 掲げた校訓はたったの二文字、即ち『不屈』。葉玄のリリィは決して、絶対に諦めない。いかなる逆境にあって、いかなる犠牲を払おうと、葉玄女学園は抗うことを止めず、紅坂の戦線を、街を、人々を護り続けた。
 そしてその歴史は、今日、終わる。
 校舎は度重なるヒュージの攻撃によって半壊し、残ったリリィは僅かに、二名。
 非常電源の通った照明が煌々と夜空を照らすと、発電機の音に引かれたヒュージの大軍が、今や最後の砦たる校舎三号棟に迫った。
 異形の群れを率いるは、山より高き巨人アルファギガント。
 その咆哮は大気を震わせ、三号棟の窓ガラスに亀裂を入れる程であった。一歩、また一歩と足を踏み出し近づいてくるのが、地震となって伝わってくる……

 鹿子達七人は、発電機を起動する前に策を立てていた。
 昨夜の晩、生き残った葉玄のリリィ達が、最後の力を注いで仕掛けた『罠』に賭けると。
 リスクを承知の上で鹿子達は戦力を分け、それぞれの持ち場を定めた。
『こちら花霞。配置についたぜ』
『千鳥、西玄関に到着いたしました』
『裏門、蜜葉配置完了』
 携帯無線機から、次々と報告が聞こえてくる。三号棟に三つ存在する入り口は、花霞、千鳥、蜜葉が守る手筈だった。
『マキエも起動準備完了したよ。あとは、タイミングよくボタンを押すだけ!』
 最も重要な役目を任されたのは蒔絵だ。不完全といえども、最適な手段を見通す能力『ファンタズム』を持つ蒔絵がそれを担うべきだと真麻が言い、蒔絵もそれに応えたのだ。
『……みんな、絶対無理しないでね。ここは、すぐ退いてもいいところだから』
 無線機ごしの蒔絵の声は、いつになく不安げだ。無理もない、迫るヒュージ達は一つのガーデンを壊滅させたほどの大軍で……それぞれの入口を、たった一人のリリィが守った所でどれほど持つか。
 しかし無線機越しの彼女達とて歴戦だ。
『いいから、お前はそこで落ち着いて構えてろよ。信じてるからな』
 珍しく花霞がそんなことを口にすると、蒔絵は……嬉しそうに『うん。まかせて』とだけ返す。
『こちら光月。管理コンソールから起爆装置の全ライン四十七本がアクティブなのを確認できた。やっぱり奴ら、この機械の概念までは理解できなかったみたいね……計算上は、一〇〇パーセントの威力が期待できるよ』
 光月の声だ。彼女は武器庫に合流し、蒔絵と装置を護衛することになっている。
 一通りの会話を聞いて……真麻と鹿子は、互いの顔を見合わせた。
 二人がいるのは、三号棟の屋上。
 空中戦に長ける真麻は空からのヒュージを迎撃し、鹿子がその直掩を行う予定だ。
『真麻ちん、鹿子……そっちは?』 
 一言もしゃべらない二人に、蒔絵が神妙な声を送ってくる。
 再び二人はアイコンタクトを取ると、鹿子が携帯無線機の通話ボタンを押した。
「アタシと真麻も、屋上についたわ。ここからだと、ヒュージの群れがよく見える」
『どんな感じだ?』問うたのは花霞。
「どこに視線をやってもヒュージしか映らないわよ。目を瞑っても当たるってヤツね」
 誇張ではない。フェンスさえ破損した屋上の縁からは、ヒュージ達が様子を伺うように、しかし確実に、全方位から三号棟へ向けて前進してきているのが見える。
 北の空からは、飛行型のヒュージの群れが、今や黒い霞の様な光景となって迫っていた。
 昨晩と同じで空に雲は無く、月の明かりは煌々と、また全灯となったガーデンの照明も相まって、全ての敵は否応なく鹿子や真麻の目に入ってくる。
 何よりも、アルファギガントだ。それはヒュージの群れの少し後ろから、しかしヒュージの群れよりも遥かに大きな存在感を放ちながら、一歩ずつ歩を進めてきている。
『手はず通り、オモテの3人が地下壕への階段に入った時点でスイッチ押すから。それまで頑張って』
 光月がそう言ったのと同時、ガーデンの塀の向こう側で、何かがキラリと光った。そこから、一筋の赤い光……熱線が放たれ、三号棟の壁に直撃する。
「始まった!」
 鹿子が身を乗り出して叫ぶ。スモール級とミドル級の群れがフェンスを乗り越え、あっという間に三号棟の三つの玄関に迫るのが見える。
「鹿子。上よ」
 真麻が、鹿子の頭上わずか三十センチ程の高さで、ポラリスをフルスイングした。いつの間にか肉薄していたスモール級ヒュージが、遥か彼方へと吹き飛ばされていく。
「おっと、失礼」
「油断しないでね。本命が来るまではノーミスで繋ぎたいわ」
 鹿子と真麻は互いに背中合わせになりながら、上空を埋め尽くす飛行型のヒュージ群に相対する。
 本命……アルファギガントの姿は見え続けているが、そのあまりの巨大さ故に距離感はよくわからない。
 何せ4階建ての校舎の屋上にいて、なお頭をもたげて見上げなければ相手の頭部を確認する事はできない……だが恐らく、アルファギガントはまだ校庭には踏み入っていないはずだ。
 その時、階下で一際大きなヒュージの叫び声が聞こえた。それから、銃声、爆音。
『交戦開始!』
 鹿子が握った携帯無線機から、誰かからの通信が入ると、それっきり無線機は、誰の声も伝えなくなってしまった。
 同時に、鹿子と真麻にも、無数の飛行ヒュージが殺到する。
「真麻!」
「鹿子!」
 鹿子は両手を、円を描くように動かし、ガードシェードの障壁を展開する。
 ……カンペキ。
 光月が手直ししたレグルスは、そんな感想こそふさわしかった。最高の反応。最高の効果。
 二人の全方位を守るように現れた半球型の障壁は、カラスの様なヒュージ達の突撃をみな悉く弾き返す。
 攻撃が途切れた瞬間、鹿子はほんの僅かな時間だけ、ガードシェードの障壁を解く。
 すると背後の真麻が、ポラリスを射撃モードにした上で、隙だらけのヒュージ達を次々と撃ち落とすのだ。
 倒しきれないヒュージ達が再び突撃する頃には、鹿子もまたガードシェードを展開し直している。
 以心伝心の連携。示し合わせてすら、いないのに。
 相手の意図がまるで自分のそれであるかの様な、蠱惑的な一体感が、そこにはあった。
「いいコンビになってきたと思わない?」
 真麻が問う。
 鹿子は、感じた想いを、心から素直に、真麻へとぶつける。
「……ぜんッぜん、足りない。こんなモンじゃない。まだまだ、アタシ達は! 上に! 行ける!」
 真麻は、きっと笑っている。もう、見なくても判る。
 なぜならば……他ならぬ鹿子が、そうなのだから。

 同時刻、地上は、東玄関前。
「最初にスモール級が来てくれてりゃ、倒し易いから御の字だったんだけどなァ」
 そう呟いた井原花霞の眼の前には、象の様な四足の、ラージ級ヒュージが迫っていた。ミサイルだろうが大砲だろうが、もはや通常兵器は通用しない相手である。
 レアスキル“キルストリーク”の特性上、最初に拳銃一丁で何かしらのヒュージを倒す必要のある花霞にとっては、最悪の出だしだ。
「まぁ、慣れっこさね」
 起動していないティルフィングをずるずると引きずりながら、しかし花霞は威風堂々、ラージ級ヒュージに向かっていく。
 リリィになってからこちら、自分の期待通りに事が運んだ記憶なんて、ろくにない。
 そも、落ちこぼれから脱却しようと決意してガーデンに入った素行不良娘に、神様はまず皮肉めいた贈り物を寄越したのだから。
 だが、そのおかげで花霞は、一つの答えを得た。
 いつだって、配られたカードで勝たねばならないのだ……それは彼女の抱いた、リリィとしての信念でもある。
「来いよ、化けモン共ッ!」
 ラージ級の目から、熱線。当たれば黒焼きだが、花霞は左、右の連続サイドステップで狙いをそらす。紙一重……背中まで伸ばした髪が、たぶん何センチか焼け落ちた。
 だが、何度も病院送りになり、何度も説教を垂らされながら、何度も練習してきたのだ。『これくらいは』避けられる。
 動きの鈍いラージ級の脇を全力疾走し、駆け抜ける。狙うのは、その背後に続くスモール級の群れ。
 狙いは自分達だと悟った虫型のスモール級ヒュージ達が、キチキチと警戒音を鳴らす。
(「まだだっ、まだ遠い!」)
 齢十六歳のこの少女は、走りながら拳銃を撃って命中させるのがいかに難しいかを知っている。
 スモール級ヒュージは一斉に花霞へ群がり、出し抜かれたラージ級ヒュージもまた、背後から押しつぶそうと反転する。
 いつもこの一瞬が、最も難しく、恐ろしく……そして一番、胸躍る。
 群れの先頭となって向かい来るスモール級ヒュージの一体に、花霞は冷静に銃口を向け立ち止まった。後ろからは、ラージ級ヒュージの足音がドシンドシンと響く。
『GISYAAAAAAAA!!』 
 ドン。
 その爪が花霞の喉元を切り裂くほんの二、三秒秒前、手にした拳銃の放つ弾丸が、ヒュージの頭部を撃ち抜いた。
 クリティカルヒット。いつもこうは行かない、そんなチャンスを、花霞は間違いなくモノにする。
 その骸を掴み、キルストリークによって自らのマギへと変換し、振り返りながらティルフィングを起動して、背後のラージ級ヒュージを斬りつける。
 一連の動作は、ほぼ一瞬の出来事。
「どうだっ……ぐぇ」
 しかしながら、ラージ級ヒュージへの攻撃は浅く、突進によって手痛く反撃されてしまう。
 花霞の体は大きく吹き飛ばされ、後に続いたヒュージの群れの中へと突っ込んだ。
「あー、あー、そうだな…………そうこなくっちゃァな」
 餌に群がる池の鯉の様に集まってくるヒュージを押しのけながら、花霞は立ち上がる。
 期待通りに事が運ぶなんてない。そう……
「配られたカードで勝つんだ。あたいの、あたい自身のために」
 ヒュージに埋もれて見えなくなる花霞は、しかし、ふてぶてしく笑みを浮かべていた。

 今、この瞬間、たった一人で戦う事。その意味を、初辻密葉は考える。
 愛する母校が再興する事は、もう二度と無いだろう。導き手は死に絶え、校舎は灰燼に帰す。今やたった二人の生徒だけが残ったそれは、もはやガーデンではなくなる。
 それでも自分は葉玄のリリィであると、死ぬまで言い張るのだろう。例え、自分が最後の一人になったとしても。
『GYYYYYYYYYYYY!』
 密葉の守る裏門前に、スモール級、ミドル級、ラージ級の入り混じったヒュージの群れが現れた瞬間、密葉は両手に握るトリグラフを腰だめに構えて、能う限りの速度で連射を始めた。
 一見すれば闇雲に乱射している様に見えるその一発一発は、しかし百発百中、ヒュージの集団を溶かすかの如く、骸の山を築く。
 距離を詰められれば死ぬ。たった一人で戦っているのだから。
 しかし、誤射を気にする必要は無い。たった一人で戦っているのだから。
「八恵……ボクは、ボクは」
 あなたは、生きて。どうか、笑顔で。
 その言葉を遺した親友……最も信頼を寄せた戦友も、もう居ない。ここには密葉の他に誰も居ない。今この時だけは、他の誰も、頼れない。
 しかし。
「ボクは……最後まで。最期まで、葉玄のリリィで居るから……!」
 密葉はもはや、恐れては居なかった。
 否、厳密には……自分が自分でなくなること、葉玄のリリィでなくなることへの恐怖、それだけがある。
「いつか黄泉路にキミを追う。その時に、キミに笑って出会える様に」
 ボクは葉玄のリリィであり続ける。
 呪文の様に、祈りの様に、その言葉を唱えながら、密葉の両手は機械のごとくCHARMを繰ってマギの光弾を放ち、群がるヒュージを片端から仕留めていく。
 密葉の『円環の御手』は二つのCHARMを同時に起動する能力であり、このレアスキルを持つものは必然、単独でも高い戦闘力を発揮する。
 しかしながら、それを考慮に入れたとしても今の密葉が放つ射撃は、絶技と表現する他なかった。
 弾幕を形成する光弾は、ただ一発の例外もなく、全てがヒュージの顔面を、その装甲のもっとも脆弱な一点を、貫いていく。
 文字通り超人的なその技量こそが、皮肉にも、密葉を葉玄女学園最後の二人にまで生き残らせたのだ。
「……?」
 積み上がるヒュージの屍が小さな壁を築いたあたりで、一度攻撃が止んだ。
 そしてすぐに、その壁を崩して、甲虫の様な姿のミドル級ヒュージが一体、現れる。
『GISYASYASYA…………』
「何が来ようと……同じだ!」
 迷わず密葉は、撃つ。しかし、最も脆いであろう目玉を狙ったその一発は、直撃にも関わらず弾かれてしまう。
「……訂正。ボクが甘かったな」
 もう何発か撃ち込むが、貫通しない。その間に、分散したスモール級のヒュージが横から回り込み、距離を詰めてくる。
 槌と鉄床。成程、古典的な戦術に出たというわけだ。
 慌てるでもなく……密葉は右足を僅かに引いて、左手のトリグラフを前に、その少し後ろに右手のトリグラフが来る様に、構えた。
「小さな目玉を狙ってコレをやるのは、『ちょっと』難しいんだけど」
 それから、両手のトリグラフを、同時に発砲した。
 ドン、という破裂音。
 放たれた二つの光弾は、甲虫型ヒュージの右目に同時に、全く同じ位置に命中し……今度は、その表面を貫通した。
『GYYッ!?』
 次の瞬間、ヒュージの体は風船の様に破裂し、跡形もなく消し飛ぶ。
 ほんの僅かな時間差で着弾した二発目の光弾が、完全同質である一発目の光弾に融合・加圧する事でマギを共振させ、貫徹力を二乗する……密葉自身が“ダブルポイント”と呼ぶ、彼女の切り札である。
 それは着弾のタイミングが一瞬たりとも早過ぎたり、遅過ぎたりすれば成功しない……密葉が微かな安堵で息をつこうとした矢先、
『GISYASYA……』
 仕留めたばかりの甲虫型ヒュージよりさらに大きな甲虫ヒュージが、三体連なって現れる。後ろには、数えるのも面倒な程のヒュージを引き連れて。
「一つ覚えじゃないか。全く、興が冷める事をするなよ……」
 その光景を見た密葉は、一つ小さな溜息をつき……そして、達観したように、笑った。
「……やっと、楽しくなッて来たのにさ」
 今、この瞬間、たった一人で戦う事の意味を考える。
 これは……証明なんだ。
 こんなに弱虫なボクは、本当に葉玄のリリィだったのか?
 キミの命と引き換えに生きるのに、相応しいリリィだったのか?
 そして……彼女たちと肩を並べるのに、相応しいリリィなのか?
 きっとこんな戦いは、一生に二度とない。
 今ここにただ一人、ボクは、ボクを証明するためだけにここにいる。
 やっと気づいたんだ……最高じゃないか。ねぇ、八恵?

「……認めましょう。この宇目山千鳥、些かながら驚いております」
 体のあちこちから響く激痛を堪え、千鳥は蜃気楼の如くゆらりと立ち上がり、再び刀型CHARMを構えた。
 交戦を始めてから、どれほどの時間が経ったのかは、既にその感覚がない。無数のスモール級ヒュージによって既に四方八方は塞がれ、何体かは西玄関からの侵入を許してしまっている。
 そしてそのヒュージ……腕の長い、不気味な人型のミドル級が現れたとき、千鳥は僅かに背筋のざわめく感覚を持った。
『GYYYY……』
 縮地による先手必勝の一撃……そう確信して踏み込んだ矢先、ヒュージの豪腕が、千鳥の体を強かに打ち据えた。
 十数メートルは地面を転げながら千鳥は、相手が自分についてこれるだけのスピードを持っているのだと、悟る。
 驚異的な反射神経や動体視力のなす技か、或いは、予知能力の類を持つか……
 そのいずれにせよ浮かび上がるのは、一つの結論。
「わたくしより疾い相手」
 自らの最大の強点を否定する敵を前に、しかし千鳥は……恍惚と、口元を吊り上げる。
 この為に、真麻の誘いを受けた。
 この為に、この紅坂へとやって来た。
 そうしなければならなかった。
 そうしなければ……わたくしは……
「推して、参ります」
 初手よりも更に速く、正眼からの突きを放つ。
 しかし、相対する腕長のヒュージは、千鳥の間合いの外から正確に、彼女の顔面を捉えた。相打ちさえ恐れず踏み込んだ千鳥の体は、受け身も取れぬまま地に叩きつけられてしまう。壊れた人形のように、手足があらぬ方向へ曲がった。
「くぅっ……」
 どこかの骨か筋がやられたかもしれないが、痛みでよくわからない。悶絶しながら、必死で、体を起こす。
『YYYYYY……』
 腕長は、昆虫の複眼のような輝く瞳で、千鳥を見ていた。
 表情は読めない。
 だが、その敵意、その殺意は、ひしひしと伝わってくる。
 次で最後だ。あの一撃を再び受ければ、もう立ち上がれまい。
 当たらざるも、届かざるも、死。
 全身が沸き立つように神経が昂ぶり、命の危機を報せる。
 ……だが、
「怖れ無し……」
 千鳥は、静かだった。CHARMを上段に構え……ゆっくりと弧を描くように、体の脇を通して下段に降ろす。
 必然、腕長はその動きを目で追った。
 やがて千鳥のCHARMは時計の針が円を描くようにして、再び上段に戻っていく。
 その刀身が、校舎を囲む照明の光を反射し、強く輝きを放った。
 ……きらりと、閃き一つ。
 次の刹那には、腕長のヒュージはその身体を真っ二つに裂かれ、絶命していた。
『GYYYY……Y……?』
 何が起こったか、理解さえできなかったはずだ。
 崩折れるヒュージの背後へ文字通り瞬間移動した千鳥は、汗と血と泥に塗れた顔で、呼吸を荒げている。
「はぁっ……ぁッ……ぐ」
 神域の疾さを化現するレアスキル“縮地”の極み……即ち、ワームホールの生成と共に斬撃を繰り出す、これぞ奥義“円月”。
 刃の疾きは光を超えて時を歪め、後にはただ、斬ったという事実だけが残る。
 狂おしく求め続け、しかし一度も届き得なかった境地が、ほんの微かに観えて……
「私も、まだ甘い……」
 消耗から意識が遠のき、くらりと体の軸が崩れそうになる。そこまで自身を追い詰めなければ、到底この境地には至れなかったのだ。
 ああ、こんな所で倒れる訳にはいかないのに……
『……千鳥! おい、千鳥ッ!』
(……!)
 懐の無線機から聞こえた、がなり声。かろうじて千鳥は現し世に意識を留めて足を踏ん張り、ふらつく体に均衡を取り戻す。
『おい、返事しろ! 生きてるのか!? 死んだなら死んだってちゃんと言えよコラ!』
 珍しく本気で焦った声色。それで胸が熱くなるのが、千鳥にとっては新鮮で、不思議な事でもあった。
「花霞さん。千鳥は生きておりますよ……少し、熱中し過ぎました」
『アホ! とっくにリミットは過ぎたぞ! はよ戻って来い!』
「ええ。面目ございません」
 迫る後続のヒュージを一瞥し、瞬間、千鳥は姿を消すかの如く早駆けし、校舎の中へと戻る。
 残されたヒュージ達は束の間の勝利に咆哮し、邪魔者の消えた西玄関へとなだれ込んで行った。


#11 ノインベルト

画像5

 思い出の詰まった校舎が、揺らぎ、軋み、悲鳴を上げる。
 幾筋もの熱線が校舎を焼くのと共に、ヒュージの群れは建物の一階に侵入し、二階に上がってくるのは時間の問題だ。すでに最期の時が、近づいていた。
 武器庫に残った蒔絵と光月の二人は、眼の前のノートPCに表示された画面の表示を見守りながら、じっとその時を待つ。絶対に逃してはならない、その瞬間を。
『こちら花霞! 密葉も千鳥も一緒に、地下に逃げ込んだ! いつでもやって良いぞ!』
「りょーかい。ヒュージは?」
 レシーバー越しの声に対して蒔絵が問うと、何かを殴りつける様な鈍い音が数回、スピーカーから響いた。
『何匹かは一緒にシェルターに入っちまった。長くは持たん!』
「それも、りょーかい!」
 蒔絵が光月の顔を見やると、彼女は静かに頷いた。
 さすがは葉玄の三年生、おちついていらっしゃる。
 鹿子と真麻も既に屋上を放棄して、この武器庫への後退を始めている。
 二人が部屋に入れば……あとは、ボタンひとつだ。
 しかし唐突に降って湧く、一つの疑問。
「ねえ、光月さん」
「なに?」
 光月がこちらに顔を向けると、ふわふわの赤毛が微かに揺れる。
「本当にうまく行くかな。葉玄女学園のみんながやったことを、疑うんじゃないんだケド、さ」
「はは。まー、口に出してみるとバカみたいな作戦だよね。判ってる」
 同性ですら綺麗だと感じる魅力的な笑顔で、光月は言う。
 そしてふと、その笑顔が消え、真剣な表情。
「一つ教えてあげるよ、蒔絵。こんなの上手く行きゃぁしない。行く訳がない。紅坂じゃぁ、いつだって、そうだった。こういう戦いが、期待した通りに転がるなんて有り得ないんだ」
「え。でも」
「そう。『でも』これは、あたし達が賭けられる唯一の可能性。例え思い通りに行かなくたって、状況は動くはずだ。この絶望的なピンチの、何かがが必ず変わる。そこを、突破口に変えなきゃいけない」
「……!」
 そう語る光月の顔つきは、凡そ年頃の少女とは思えない、達観と覚悟の入り混じった戦士のそれであった。
 多くを学び、そして失った、歴戦の。
「こいつぁ難しいよ、蒔絵。難しくて、キツい。犠牲を払うって判ってても、あたし達は行き止まりの道を選んで、自分で壁をぶち破るしかないんだ」
「うん」
 きっと、この人はずっとそうしてきたのだ。紅坂の、葉玄女学園の背負う戦いを、幾度も切り抜け、ときには敗れて屈辱と悲しみを忍びながら。
 ……でもね、光月さん。
「マキエもね、そうだったんだ。『見えた』答えが、実は間違いで、取り返しの付かないことが起きて、でも誰のせいにもできなくて。それでも、マキエはまだ、リリィで居ることを選んだ。選び続けてきた」
 光月が、はっとして蒔絵を見やった。
 蒔絵はそれ以上は語らず、にこりと笑う。
「だからマキエはまた戦えるし、もう負けない。それは……」
 言わずとも伝わるはずだ。
 蒔絵にはもう『見えて』いる。それがファンタズムの生み出す未来の幻視なのか、それとも彼女自身の魂が見出す希望なのか、どちらだろうと関係ない。
 ……廊下から、いくつもの足音が聞こえる。人間の足音は二つ。追ってくるヒュージのそれは、数を判断しきれない。
 武器庫の扉は開放してある。『彼女達』が飛び込んでくれば、すぐに扉を締める筈だ。それが、合図になる。
「鹿子! ハリーアップ! もうスイッチ押しちゃうよ!」
 蒔絵は叫んだ。余計なお世話だろうが、なんとなく声が聞きたかった。必死で逃げてる最中には、さぞ迷惑な事だろう。
「言われなくても! 判ってる! わよッ!」
 最初に鹿子が、すぐ後ろに真麻が、武器庫に飛び込んでくる。
 入口をくぐった瞬間、二人は振り向き、叩きつける様に扉を閉めた。
「蒔絵!」真麻が、叫んだ。
「大丈夫。タイミングはカンペキだよ。なんたってマキエが押すんだから」
 蒔絵は、運命のスイッチに手を掛ける。
 最後に力を込めるその直前、傍らに居た光月が、蒔絵に手を添えた。
「一緒にいいかな? 皆に託された役目だからさ」
 ただ、黙って頷く。
 そして二人は、ボタンを押した。
 瞬間、視界は、白く染まる。衝撃に意識が揺らぎ、何もかもが認識できなくなっていく……

「……!」
 葉玄女学園に急行するティルトローター機の中で、欄堂鈴はその光景を見た。
 ヒュージたちの大攻勢を受けて、今まさに陥落せんとする葉玄女学園の校舎が……突如、巨大な光とともに爆炎を上げたのだ。
 ガーデンの敷地とその周囲で連鎖的な大爆発が起こり、遥か数十キロ離れた機上からでさえ、眩い閃光に視界は埋め尽くされていく。
『何だアレは……欄堂、何が起こってるか、見えるか』
 コクピットの機長が、ヘッドセットを通して鈴に言った。
 ガーデンを卒業したとはいえ、鈴は未だ現役のリリィだ。そして彼女のレアスキル『天の秤目』がもたらす異常視力は、この距離と光量にも関わらず、今起きている事態を正確に掌握することができる。
「あの子達……自分から葉玄を吹き飛ばしてます。恐らくは……零号爆弾で」
『何だと』
 それは、通常兵器の通用するミドル級までのヒュージを殲滅する為に開発された、大量破壊兵器の名だ。
 圧倒的な数的不利を有する紅坂の戦局を覆す目的で量産されたその兵器は、しかし守るべき市街地への影響が大き過ぎるという理由で、配備直前まで来て計画が凍結されてしまった。
 そこから生じた零号爆弾のデッドストックがその後どの様に処分されたか、情報が出てこないのは不自然と当時から思っていたが……
『ハマーウィッチ達は、ヒュージを道連れに自爆したのか?』
「まさか」
 鈴は、確信を持って否定した。真麻も、光月も、そんな結末を選ぶことは絶対にあり得ない。
 何よりも……超人的なまでに強化された鈴の視力は、『それ』をはっきりと見ていたのだ。
 爆炎の中で輝いた人影……リリィが、CHARMを起動する姿を。
「彼女達は戦う気です。いいえ、恐らくは……勝つつもりでいる。だからこそ、緩慢に閉ざされていく退路を自ら閉ざし、敵への進路を拓いた。この爆発は、その為の手段でしかありません」
 葉玄女学園は昨晩まで救難ビーコンを発していたにも関わらず、しかし多くのリリィはガーデンの外に打って出ていた。それは恐らく、この準備のためだったのだろう。
 これで状況は変わった……もとより風前の灯火だった葉玄女学園の陥落は完全なる現実となり、やがてヒュージの大群は勢いに乗って、前線を南へと押し下げる……彼女達が、敗れるならば。
  爆炎の向こうには今、あの巨人が居る。本来ならば、こんな前線にまで現れることは絶対に無かったであろう絶望の権化が、今、そこにいる。
 彼女たちの行動がアレを、誘い出したのだ。一切の甘えも楽観も存在しない、正真正銘の殺意のもとに。
「本当に……変わらないのね。貴女は。貴女達は……」
 鈴は、拳を握りしめて涙を堪えた。もう自分に、その資格はないから。
 もしも、防衛隊が、あるいはどこかしらのガーデンが増援のレギオンを出せていたのなら……そんな想像を今更巡らせる、自分が愚かしくさえ感じられた。
『……どうする欄堂、介入するか? 機関のオーダーからは逸れるが、俺はアンタの判断に従えと指示を受けている』
 機長は、対応を迷っている様子で、鈴に問うた。
 鈴は、一度答えを返そうとして……言葉に詰まり、そして震えながら、改めて返答する。
「駄目。私達は手を出さない。それをやれば、全てが……いいえ、そう、危険が大きぎるから」
『了解、あんたに任せる。それなら予定通り、高度を保って上空待機するぞ』
 鈴は唇を噛んだ。これでいい。これしかないのだと、自分に言い聞かせた。
 自分はもう、紅坂のリリィではないのだと。
「真麻……」
 かつて溺愛した、シルトであった少女の名を呼ぶ。あの子は、いつまでも、あの子のままだ。私とは違って。
 爆発は収まり、立ち込める砂煙は、夜風に攫われてすぐに晴れていく。
 そして、その絶望が、姿を現す……

 葉玄女学園のリリィ達がその生命と引き換えに設置した零号爆弾は、起爆と共に最大限の効果を発揮し、ガーデンの敷地とその周囲一帯に殺到したヒュージ達を直撃した。
 爆発の瞬間、鹿子はガードシェードを展開し、共にいた真麻、蒔絵、光月の三人を守った。
 耳をつんざく轟音と、爆風、そして閃光。
 ……それから、静寂。
 周囲の物体がすべて動かなくなったのを確認してから、鹿子は障壁の展開を解除し、瓦礫を押しのけてその上に立った。
 地下のシェルターに逃げ込んでいた花霞、千鳥、蜜葉も、程なくして這い上がり、合流する。
「や、焼け野原じゃない……一体、どんだけの数を仕掛けたのよ……」
 鹿子が思わず呟くほどの、恐るべきはその威力。
 五分か、十分か、それほどの長い時間をかけてガードシェードが受け続けた衝撃は、ヒュージの攻撃にさえ全く劣らないほどのものだった。
 もうもうと立ち込める煙のせいでその効果ははっきりとわからないが、通常兵器がもたらす破壊としては威力も、範囲も、間違いなくその限界に到達するものであった筈だ。
「どうさ……これが、あの子達の命と引き換えた……葉玄女学園の、最期の足掻き……!」
 光月は目を見開き、煙の晴れるその向こう側に目を凝らした。
 少なくとも、すぐ側にヒュージの姿は見えない。通常兵器でダメージを与えられない、ラージやギガント級でさえも。
 しかし、その理由は、すぐに彼女達の知るところとなる。
「あ……」
 愕然と、鹿子はその光景を見つめた。いや、その場にいたリリィの、全員がだ。
 土煙が晴れ、瓦礫が積み重なるその遥か先に現れたのは、アルファギガントの巨大な影と、整然と並ぶラージ級ヒュージ達。それも、一体や二体ではない。
 一体一体が見上げるほどもあるラージ級ヒュージは、まるで突撃命令を待つ騎馬隊のように横隊を作って並び立ち、ゆっくり、ゆっくりと鹿子達に向かって歩を進めていた。
 その後ろに立つアルファギガントは、動く事すらなく悠然とそこに佇んでいる……まるで、自分が手を下す必要は無いとでも言わんばかりに。
 それは、悪夢であり絶望。覆ることのない、絶対の戦力差。
「……は。たった七人相手に密集陣形たぁ、ご丁寧なこった。冷めちまうぜ、こんなの」
 花霞が、言った。俯き、微かに肩を震わせる。
「見えているラージ級ヒュージだけで、十体は居ます。爆弾ごときでは傷つけられないと承知はしていましたが、これは些か」
 千鳥は毅然としてCHARMを構える。声に抑揚は薄く、まるで冷たい雪の様。
「けれど……これで、いい。こうでなくては、いけなかった」
 真麻が言った。誰もが彼女の表情を伺ったが、魔女じみた鍔広帽子を深く被った彼女の感情は、読み取ることが困難だ。
 唯一、最も背の低い鹿子だけが……辛うじて、真麻の仄暗く輝く瞳と視線を絡める事ができる。ぞくりと、背中に電流が走った。
「……真麻」
「奴は誘いに乗ったわ。自分の手で葉玄女学園を叩き潰し、紅坂で戦う人々の心を折るという、甘美な誘惑に」
 真麻は、今やすべてが消し飛んで月明かりだけに照らされた、瓦礫だらけの戦場の、その先を指さした。
「今、奴はその姿を私達の眼の前に晒し、残る邪魔者は『たったあれだけ』。今なら、届くわ。最後の一手が」
「銀の弾丸。用意は、できてるよ……アルファギガントに対応するために、結界範囲を一〇〇〇メートルまで広げた特殊仕様だ。泣いても笑っても一発きり、こいつに、あたしたちの全部を賭ける」
 光月が、『それ』を取り出し、掲げる。葉玄女学園の校名が印字されたそれは、かすかに血で汚れていた。
「うん。行こう、あのデカブツに思い知らせてやるんだ! 用意はいい、カスミン?」
 蒔絵が花霞の肩を叩く。花霞は、珍しく微かに戸惑うが、しかし確かに頷いた。
「おう……ま、マジでやるんだな」
「貴女が鍵よ、花霞。貴女の力が、私達が勝つ鍵になる」
 真麻が、花霞の目を正面から見つめた。
「信じてるわ、ね?」
「ああ……任せろ。任せて、くれ」
 そういう花霞の声は、ほんの微かに上ずっている。傍らの蜜葉がそっと、花霞の背を撫ぜた。
「なら始めよう。花霞、マギスフィアを、起動させて」
 マギスフィア。そう呼ばれた球体を光月から手渡されると、花霞は手のひらの中でぎゅっと握りしめた。何かを言おうか迷い掛けて、その迷いを振り払うかのように、口を開く。
「待て。ひとつだけ、先に、言っておきたいんだ」
「どうしたの」と、蜜葉が寄り添う。
「あたいは……あたいは、ノインベルト戦術をやったことがない。訓練でも、ただの一度も、だ」
 意を決して、絞り出すように紡がれた、花霞の言葉。
 レギオン九人分のマギを一点に集中し、ギガント級ヒュージの持つマギ耐性を無効化し、撃滅する……それが、ノインベルト戦術。そして花霞の握るマギスフィアこそは、仲間達のマギを篭めて放つ為の『銀の弾丸』であった。
 リリィであれば本来、例外無くその技術を修得している筈の。
「やるからには、失敗はしない。必ず成功させる。でも、でも」
 花霞は、ひと呼吸だけ深く間をおいて……
「正直に言う……すごく、不安だ。失敗するんじゃないかって」
 それは、誰にも、ガーデンにさえ頼る事なく成長し続けてきた彼女が見せる、精一杯の弱み。
 花霞を囲む六人は……顔を見合わせた。
 そこから、千鳥が一歩を踏み出し、花霞に歩み寄る。
「花霞さん。わたくしのレアスキルは、覚えておいでですか」
「……縮地」
「そう、この世の理さえ越える、神速の動作。故にわたくしは、マギスフィアがどんな軌道で飛んだとしても、それを拾い上げることができる自負があります。今この時は、わたくしを信じてどんな弾でも放って下さい」
「千鳥、お前……」
 花霞は揺れる瞳を、二、三度瞬かせた。
「必ず、例え命に替えても、役目を果たします。貴女と、ともに」
 袴を纏う異様のリリィは、たおやかに、にこりと微笑んで見せる。
「ボクだって、正確さが身上だ。ノインベルトなら絶対につなぐって、覚悟をしてるよ。キミ一人には、背負わせない」
 蜜葉が、花霞を肘でつつき、ウィンクした。
「カスミン、怖くたって迷ったって、どーせやるしかないんだからさ。時間がもったいないよ!」
 蒔絵に至っては、後ろから飛びついてくる。
 つられて、花霞も、頬を緩めた。
「……そこまで言わせちゃぁ、もう弱音は吐けないわな」
 そう言って花霞は、マギスフィアを自らの持つティルフィングに装填した。
「いくぞ、いいな」
 誰もが、頷く。花霞は、ティルフィングの引き金を引いた。
 瞬間、ティルフィングの刀身に、淡く輝くハンドボール大の光球が化現する。
「うおっ……!」
 キルストリークによって溜め込んだ花霞のマギが、マギスフィアを激しく振動させる。
 いまは宙に浮いているが、油断すれば今にも、あらぬ方向へと跳ねて行ってしまいそうだ。
「こ、こんなに揺れるもんなのか」と、花霞。
 真麻が、いいえ、と首を振る。
「貴女は『特別』。キルストリークは何体ものヒュージを触媒にする特性上、生成されるマギの波長が不安定かつ不規則に変化するのよ。それこそが、鍵」
 そも、ギガント級ヒュージが強敵たる所以は、マギを介した同一のリリィの攻撃に、ごく短時間で高い耐性を持つことにある。それを打破する為に、リリィ九人分の波長が異なるマギを一つのマギスフィアへと集中させ叩き込むのが、すなわちノインベルト戦術。
 今の鹿子達は九人に満たず、本来はギガント級ヒュージに有効となるマギの波長パターンを揃えることができない……だが、花霞が居れば話は別だ。
「貴女のレアスキルは、自分自身でマギを生成できない代わりに、理論上無限量のマギを体内に蓄積できる。それに伴い、マギの波長もまた、無限のパターンが構成される……」
「足りない二人分は、花霞が二回多くマギスフィアに触れば補える、って計算ね」
「そういうこと。私達全員でカバーすれば、決して不可能ではないわ」
 真麻の解説を聞いて、鹿子は鼻を鳴らし、一歩前に歩み出る。
「アタシが壁になる。ついてきて」
「鹿子……大丈夫か?」花霞が心配そうに、鹿子とヒュージ達を見比べた。
「大丈夫な訳ないじゃん。でも、やらないなんてあり得ない。でしょ?」
 鹿子は花霞に背を向けたまま、答えた。その目はまっすぐに、敵を、ヒュージを、アルファギガントを見据えている。
「援護は、私が。あなたにはバディが必要でしょう、鹿子」と、真麻。
「遅れないでよ」
「あら、誰に言っているのかしら」
 そう言って鹿子は先陣を切り駆け出し、真麻はその頭上を、ポラリスで飛び越えていく。
 その背を見送り、花霞は意を決した様に、ティルフィングの柄を握りしめた。
「では、はじめましょう。わたく達も」
 千鳥が動くと、花霞が、続き、やがて全員が……前に、進み始めた。
 同時に、眼前に並んだラージ級ヒュージ達が熱線を放射し、鹿子達を襲う。
『GYYYYAAAA!』
「遅い……!」
 先陣を切る真麻が真っ先に狙われるが、彼女はポラリスを飛翔モードに変形させ、バレルロールで熱線を鮮やかに躱して見せた。着地とともに再びポラリスを変形、シューティングモードで砲撃し、ヒュージ達の攻撃を阻む。
 熱線のいくつかは鹿子にも向けられたが、鹿子は僅かたりとも速度を緩めぬまま、ガードシェードを発動した。
「くおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」
 一歩進むごとに力強く障壁を押し出して熱線を弾き、鹿子はぐいぐいと前線を押し上げていった。
「花霞! まずは、ボクに!」「ああ!」
 そのすぐ後ろを進む蜜葉が手を上げ、マギスフィアを抱えて危うげな足取りで駆けている花霞へ合図する。
 ノインベルト戦術では、さながらラクロスやラグビーの様に、リリィ一人ひとりがマギスフィアをラリーしながら、標的のヒュージに接近する必要がある。その間にマギスフィアが落とされるか、或いは強い衝撃を受ければ、込められたマギは消失し二度と戻らない……戦いながらラリーを繋ぐ、それこそがノインベルト戦術において最も難しく、技量以上に連携力を求める所以である。
 花霞はティルフィングを振るい、マギスフィアを蜜葉へと放ろうとした。しかし、
「ああっ、くそ!」
 不規則に振れる光の球は、花霞の手を離れる直前、制御しきれずにあらぬ方向へと跳んでしまう。
 それを拾ったのは、あらかじめ蜜葉の反対側から回り込んだ光月だった。
「そりゃ!」
 自身のティルフィングR型を突き出し、マギスフィアをダイビングキャッチした後、華麗なスライディングで着地。
 花霞は、大きくため息をつく。
「わ、悪い!」
「謝らないの! 次行くよ!」
 光月は花霞に近づき、受け取りやすい様にゆるい軌道でマギスフィアをパスする。花霞はなんとかそれを受け取り、今度こそ蜜葉の方を見た。
 瞬間、アルファギガントの咆哮が夜空に響く。
『ZIIIIGYAAAA!!!!』
 巨大な口を大きく開き、その奥が熱線の予兆である真紅の輝きを放つ。あまりのエネルギーに、大地は愚か空気までも振動するのが、この距離でも伝わってくる。
 花霞は躊躇仕掛けたが、
「大丈夫、こっちへ!」
「……頼む!」
 蜜葉の言葉を信じ、花霞は今度こそ、蜜葉へとマギスフィアをパスした。
『GYYYYAAAAAAAOOOOOO!!!!』
 アルファギガントの熱線が、マギスフィア諸共に蜜葉を襲う。
「蜜葉!」
「単純なんだよっ!」
 蜜葉はマギスフィアとは全く逆方向に、大きく跳躍して熱線を躱す。そして空中にありながら、自身のトリグラフでマギスフィアに狙いを定め……引き金を引いた。
 トリグラフから放たれた光弾は、マギスフィアの下側をほんの僅かに掠めて弾き、その軌道の先を再び花霞へと変える。
「拾って、花霞!」
「了解ッ!」
 自分へと戻ってきたマギスフィアを、花霞は再び受け止める。
 これで、三回。最後は……
「花霞さん」
 いつの間にか、千鳥は花霞のごく近い位置に並走していた。上体を全く揺らすことなく駆けながら、ささやく様に呼びかけてくる。
「思いっきり、遠くへ投げてください。なるべく、アルファギガントに近づける様に」
「大丈夫か。あたい、たぶん大暴投するぞ」
「あら。わたくしに取れない球を、投げられるのですか?」
「てーめえ、この」
 言葉とは裏腹、思わず花霞は笑いを溢す。誰かと一緒で良かったと、初めて、素直にそう想った。
「後悔すンなよサムライ女ァッ!」
 花霞が振りかぶってマギスフィアを放るのと同時に、千鳥は消えた。凄まじい速度の踏み込みに、ただ地面の土が爆ぜる様に跳ねる光景だけが、肉眼に映る。
「…………!」
 千鳥は空中のマギスフィアを一瞥し、『まだ十分な』時間があることを確認すると、縮地によって全力で加速した。
 自身のCHARMを突き出しながら、最も近いヒュージに、一直線に突撃する。
 ――――ドォォォォォォン、と。耳をつんざく衝撃音と共に発生したソニックブームが、周囲のラージ級ヒュージ達を弾き飛ばし、その隊列に穴を開ける。
 それを確認した上で、千鳥は進路を反転して引き返し、空中のマギスフィアをキャッチした。この間、僅か三秒にも満たない。
「千鳥さん! パス!」
 背後から蒔絵の声が聞こえ、応じようと振り向いた、その瞬間だった。
『GYYYYOOOOOOOOOOOOO!』
 ほんの一瞬だけ注意が逸れた、たったそれだけが命取りだった。気づいたときにはアルファギガントの口蓋から真っ赤な光が漏れ出し、次いで極太の熱線が千鳥へと放たれる。
「不覚……」
 縮地の発動さえ間に合わず、千鳥は己の未熟を悟った。
 代償は死と覚悟するより僅かに先んじ、迫る熱線と千鳥の前に割り込む人影が一つ。
「……!」
 鹿子だった。虹色の障壁が展開され、熱線を遮る。
「ぐあああああっ!」
 激痛に顔を歪めながら、鹿子は腰を落として踏ん張り、熱線を真っ向から防いだ。修理したばかりのレグルスが、再び軋みんだ音を立てる。
「鹿子さん……!」
「私はっ! いいから! 早くッ、マギスフィアをッ!」
「……はい!」
 千鳥はマギスフィアを、蒔絵に繋ぐ。
 同時に、アルファギガントの周囲のヒュージ達が一斉に、鹿子に対して熱線を放つ。
 鹿子はとっさにガードシェードを限界まで拡大し、自分を含む七人全員を障壁の範囲に収めた。
「うあぁぁぁぁぁぁッ!」
「鹿子ッ!」
 マギスフィアを受け取った蒔絵が、思わず叫ぶ。
 恐るべき事に、鹿子はアルファギガントを含むヒュージの大群の熱線を、たった一人で受け止めていた。もちろん代償なしにできる所業ではない。
 七人を守る障壁は今にも壊れそうなほどに色彩を失って明滅を繰り返し、マギクリスタルはジキジキと不気味な低い唸りを上げている。あまりの負荷に鹿子の体は、電流が流れたかのようにガクガクと痙攣していた。
 しかし、ヒュージ達の熱線は、容赦なく、そして代わる代わる絶え間なく、鹿子達に降り注いだ。障壁の外に出れば即座に黒焦げにされるであろうその攻撃によって、七人は完全に足を止められてしまった。
「ぐぁぁぁぁっ、あっ、がっ…………!」
 激痛故に、もはや鹿子自身は何かを考える事ができない。
 ただ、仲間を守る、守り続けるという、その意識だけが彼女の障壁を維持していた。
「鹿子……もうやめて、鹿子」
 背後から、蒔絵が何かを囁いたのが聞こえた。
 鹿子は、聴く耳を持たず、自分が展開しているガードシェードの障壁に意識を集中した。
「もう、やめて。このままじゃ、鹿子……死んじゃうよ」
「やか、ましいっ……!」
「っ!」
 そう答えを絞り出した鹿子の目は、真っ赤に血走り、瞳孔は広く開いている。
 それはもはや、正気を失っている様にさえ見えて……蒔絵は思わず、震える鹿子の体に、同じように震える自分の手で、触れようとした。
 それを制するように、そっと立ちふさがる人影。
「……真麻ちん。お願い。このままじゃ、駄目だよ」
「いいえ。蒔絵、それこそ、いけない。絶対に」
「でも」
 蒔絵は、出会ってから実に初めて、真麻を睨みつけた。真麻もまた、一切視線をそらすことなく、蒔絵の瞳を見つめる。
「駄目。今、鹿子がガードシェードをとけば、全てが終わる。私達の、紅坂の戦いが、容赦なくここで途切れてしまう」
「だからって……これじゃ、鹿子が!」
「信じて」
 真麻は振り返って鹿子の背をみると、表情を歪めた。それから、再び仲間たちに向き直る。
「光月……もう一度だけ、『エンプレス』を」
「!」
 その言葉に、光月はびくりと体を震わせる。だが、狼狽えはほんの一瞬のこと。
「…………ああ、覚悟は、してたさ」
「本当は、もっと引きつけたかったけど。でも、これがきっと最後のチャンス」
「ふっ……ほんと、筋金入りだよ、あんた」
 そう笑う、光月の声は、震える涙声で。
「ごめんなさい」
「違う。私も、わかってるよ。私だ。私が、やらなきゃいけないんだ。だから皆は、私を最後まで残してくれた」
「いいえ、貴女ではない……みんなで、やるのよ。そのための、貴女の力」
「ああ」
 光月は、戸惑う他のリリィ達……花霞、蜜葉、千鳥、蒔絵の顔を、一人づつ見据えた。
 ここに至って、問答をしている暇はない。皆、一様に、光月と真麻の、次の言葉を待っている。
「ここから先は、本当に出たとこ勝負だ。誰かが……やられるかも、しれない。でも、目的は、唯一つ。みんな、いいね」
 それは、仲間にというよりは、光月が自分自身に言い聞かせているかの様だった。
 なにか、決意を固めるかのような。
「他の『ザコ』は一切構わないで。ただ、アルファギガントを倒すことだけ、それだけを考えて」
「へっ……御託は良いからよぅ、やろうぜ。あたいは、いつでもいい」
「光月さん。ボクは……ボク達は、いつでも貴女を信じてる。だから」
「わたくしも、覚悟は決めております。終わりにしましょう」
「蒔絵……それで、いいかしら?」
 問われ、蒔絵は、鹿子と真麻を交互にみやり……
「……うん。マキエも、信じる。もう、一度だけ……」
「いい子ね」
 蒔絵の頬にこぼれた涙一筋を、真麻は拭ってやった。
 そして、
「光月」「ああ!」
 光月は力強く答えると、自身のティルフィングRの切っ先を、思い切り地面に突き刺し、高らかに叫んだ。
「よく見ときな。残されたのはたったの二人でも、それでもあたしは、葉玄の『エンプレス』……女帝と言われたこのあたしの、これが、最後の切り札だ!」
 光月の握るティルフィングが、眩く閃光を放つ。光は瞬く間に巨大な範囲に広がっていき、鹿子のガードシェードを超え、ついにはアルファギガントを含む周囲のヒュージ達をも包み込んだ。


#12 血笑百合

画像6

「――!」
 その変化を、一番最初に感じたのは、最も危機的な状況に置かれていた鹿子だった。
 突然ガードシェードがその強度を増し、アルファギガント達の熱線を軽々と弾き返したのだ。今にも白く染まりかけていた意識は鮮明さを取り戻し、体は一晩眠り通したかの様に軽くなる。
 一体自分の何処に、こんな力が残されて居たというのか……
 そして次の瞬間、鹿子の頭の中に飛び込んでくるのは、走馬灯の様な無数の『ヴィジョン』。
 
『アンタのせいよ。ファンタズムだなんて言うけど、ただの欠陥品じゃない!』
『あなたは、生きて。どうか、笑顔で』
『千鳥。この出来損ないめが』
『あたいは……出来損ないじゃねぇ……うぅ、見てろよ、くそっ……うっ、ううっ……』
『押し返すわよ。片っ端から叩き潰してやる』
『そうやって死に導いたのね。貴女を慕い従った、誰も彼もを』
『鈴お姉様……裏切ったのね、私を』
『あたしのせいだ。ぜんぶ、ぜんぶ、あたしの……ごめん。ごめんね、みんな。ごめんなさい。ごめんなさい……っ!』
『もはや、許せとは申しません。さようなら、お父様』
『いやだ……絶対に、絶対に嫌だ! キミを、置いていける訳ないだろっ!』
『あなたは狂ってしまった。これ以上、何をどうしようっていうの、真麻』
『もう無理だよ、一度後退しよう! このままじゃ皆死んじゃう!』
『違う……マキエの、マキエのせいじゃない! こんな、こんなの』

 …………。
 加速する思考の中で、鹿子は奇妙に澄んだ意識を保ち、何が正しいかを直感する。
 溢れる記憶の濁流は、無意味ではないにせよ、しかしあくまでもノイズだ。
 意識して拾うべきは、たった一つの情報。それは、過去ではなく、未来。
 そして今の鹿子は、本能的に選び取ることができる。正しい、たった一つだけの未来を。
 そう、これは……
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 力が、制御しきれないほどのマギが、体の底から湧き上がり、溢れ出す。
 鹿子の障壁は、虹色の光彩を取り戻すと、ヒュージ達の熱線を押し返す様に拡大し、やがて消滅させてしまう。
「なんだ、こりゃ。何が、起こったんだ……!?」
 花霞が、かすかにうろたえる。
 最も潜在的なマギに乏しい彼女のティルフィングでさえ、供給されるマギを貯めきれずに外部に光の粒子を溢れさせている。
 無理もない。彼女は、体験したことが無いのだ。この感覚を。
「ファンタズムよ。明らかに、制御されてないけど」
 鹿子は、障壁を解除し、振り返る事なく告げた。
 それは、望む結果を得るために最適な手段を見出し、テレパスによって仲間に伝達する、幻視のレアスキル。
 その持ち主である蒔絵は、愕然として自分の力がもたらした結果を、受け止めている。
「マキエは……マキエは……」
「落ち着いて、マギが過剰供給されて、リリィとしての力が暴走してるの。抗おうとしないで、流れに乗って」
 光月は、そっと蒔絵の肩を抱くと、歌う様な声色でささやきかけた。
「私にだって、あるのさ。キミみたいにね。それを、使っただけ」
 いたずらっぽく笑うと、ふわふわの赤毛が揺れる。
「うん……見えたよ。マキエにも」
 蒔絵は、呆然と、眼前のヒュージ達を見つめた。
 アルファギガントを始めとするヒュージ達は、先程までと比べて明らかに動きを鈍らせ、ゆらゆらと体を揺らしている。
 それと対象的に、自分達の体には湧き上がる様に満たされていくマギ。
 そこから導き出される答えは、蒔絵がファンタズムの中で幻視したヴィジョンとも一致する。
「『カリスマ』……それが、光月さんのレアスキル」
 蒔絵が呟くと、光月は頷いた。
 味方を高揚し、士気を上げる……文面にすれば一見地味なそのレアスキルの本分は、周囲のヒュージのマギを反転させて自己のものとし、更に周囲の仲間に分け与えることにある。
 数多の大型ヒュージに囲まれて放ったそれは、おそらくは発揮しうる最大限の効果を、彼女達に与えている筈だ。
「しかし、これは……」
 千鳥が、震える手で自らのCHARMを握りしめる。
 光月の放ったカリスマの効果は、一般に語られるそれの次元を、遥かに超えていた。
 千鳥も、蒔絵も、鹿子も……その場に居るリリィの全員が感じたのは、高揚などという穏やかなものではない。
 何者にも負ける気がしない。何事も失敗する気がしない。何もかもを討ち伏せて、奪うことができる。
 魂を支配する衝動は、士気というよりは暴力性で……もはや『狂奔』ともいうべき感情だった。
「より強力に、極端に作用する、これがエンプレスと呼ばれた……光月さんの、カリスマ。負けるはずだった戦いを、何度も覆してきた……」
 そう語る蜜葉の表情は、決して明るくはない。むしろ、何か恐ろしい記憶を読む様な、重苦しさがある。
「そう、その代償に、生き延びる事ができたはずの仲間たちを……たくさん、死なせてきた」
 光月は目を伏せ、自嘲した。
 その場の誰もが、言葉の意味を理解できる。
 なぜならば、本来自分に自分に備わっている、人としてのタガが外されている事さえも、今ははっきりと自覚できるから。
 ヒュージを倒す。倒さねばならない。全て殺す、全て奪う。ふつふつと湧き上がる殺意が、視界を赤黒く狭めていく。
「これを使ったからには、気をつけてなんて言わないよ。どうなってもいい……死んでも、勝つんだ。この戦いは、そういう、戦いなんだ。だから」
 光月の声は、いまにも泣き出しそうな程に震えていた。
 いままで数多のリリィを勝利と死に導いたその言葉を、今この瞬間、友にぶつけなければならない自分自身が、呪わしくて。
 だが。
「言われなくても、そのつもりよ」
 鹿子は、一歩。強く前に、足を踏み出す。
 もとより鹿子には、自負があった。例え敗れる運命にあれども最後まで人々を護るリリィたらんという、頑なで、妄執めいた自負。
 なぜ、あれほどまで自分が固執したのか。なぜ、諦めずにまた紅坂に、ヒュージとの戦いの場に、戻ってきたのか。
 いまならば、それがわかる。
「蒔絵……マギスフィア、受け取るわ」
 振り返り、鹿子は手を差し出す。蒔絵は満面の笑みを浮かべ、かろうじて持ち続けていた光の球を、鹿子へ差し出した。
 振動するマギスフィアを、鹿子は直接ぐっと握り込み、それから、アルファギガントを見上げる。
 カリスマによってマギを反転させられたヒュージ達は、何が起こったのかわかっていないのであろう、ほんの僅かな時間ながらも怯み、右往左往している。
 刺すなら、今しかない。
「準備はいい?」
 真麻が、並び立つ。鹿子は、何か気の利いたことを言おうとしたが、それすら無粋だと気づいてやめた。
 彼女の顔を覗く。あの、仄暗い微笑みを、一度見ておきたくて。
『行きましょう』
 二人同時に、同じ台詞が溢れる。鹿子は、にぃっと笑うと、全力で、真上に跳躍した。
 直後、真麻はポラリスを箒型に変形させて飛翔し、空中の鹿子を引っ掴んでから高く、遥か空高く上昇していく。
「わたくし達は、奴らの注意を引きつけましょう」
「おうよ」
 あっという間に小さくなっていく二人を見送ると、次いで千鳥と花霞が、動く。未だ健在なラージ級ヒュージの大群に、一切の躊躇なく切り込んでいった。
『GYYYYYYSYAAAAAA!』
 アルファギガントが、吼えた。統制を取り戻した周囲のラージ級ヒュージ達と共に、空を仰いでその大口を開く。
「うわ、もしかして、マキエ達の狙いバレバレ?」
「あれは、特別賢いから……」
 蒔絵と蜜葉は、それぞれ自身のCHARMを構えて、一番近いヒュージの顔面を狙って射撃を放つ。
「一体でも多く、真麻達から狙いを逸して! 一発が当たるか、当たらないかの勝負だよ!」
 光月は跳躍し、ティルフィングR型でラージ級ヒュージの一体の膝を深々と切り裂いた。着地と同時に、次の敵を狙って駆けていく。
 その光景を見下ろしながら、鹿子と真麻はポラリスに乗ったまま、ひたすら上昇を続けた。
 光月のレアスキルによって大きくその力が強化された状態とはいえ、地上の五人は長くは持つまい。
 それでも、確実に決めるためには、真麻達も十分な高度を取る必要があった。
「……真麻。私、解っちゃったのよね」
 真麻にしがみつきながら、鹿子は彼女の耳元に囁いた。
 真麻は、ぴくりと体を震わせてから、いつもどおりの態度で答える。
「さっきの、ファンタズムで?」
「うん。なんで、レグルスを託すのがアタシだったのか……あの中に、あった」
 あのとき、見えた、無数のビジョン。それは、本人さえ気づかなかった、真実と過去を暴いた。
「そういうのが、フェアかどうかは、わからないけど」
「いいの。どちらでも、気にしないわ」
「お礼、言わなきゃいけないと思う。私、アンタに」
「お互い様よ」
「そ……それなら、良いんだけどさ」
 そこでポラリスが上昇をやめ、短い噴射を繰り返しながら、その場に滞空する。
 今や鹿子と真麻は、アルファギガントの頭よりも更に遥か高くに位置している。
 眼下では、豆粒の様になったラージ級ヒュージ達が、地上の五人を取り囲み、押しつぶす様に動いている。
「ずっと、この瞬間を待っていた。負けられない戦いに何度も負けて、失ってはならないものをいくつも失って、それでも諦めることは、できなかった」
 呪文を唱えるように、真麻は滔々と呟く。
 鹿子は、黙って真麻に身を預け、彼女の言葉を聞いた。
「全ては、この時のために。あの巨人を倒して……紅坂を……」
「違うでしょ、真麻」
 言い淀んだ真麻を、鹿子は制した。
「そうじゃない。アタシたちは……そうじゃない、でしょ」
「……そうね。そうだったわ。貴女はもう、知っているのね」
 鹿子は、真麻の手を握り、マギスフィアを直接手渡した。それが、合図とでも言うように。
「やるわよ」「うん」
 そして真麻は、レアスキル・フェイズトランセンデンスを解き放った。
 ほんのひととき約束された、無限の力。
 それを使って真麻は、ポラリスを噴射させ……地上へ向かって、一直線に急降下する。
「…………ぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおッ!」
 一条の光となって空から降り注ぐそれは、地上で戦う五人のリリィにとっては流星のように見えた。
 アルファギガントもまた、気づいているはずだ……奴は、一瞬たりとも目をそらさずに真麻と鹿子を見ていた。
 巨人は空を仰いだまま口を開き、熱線を放とうとする。
 他のヒュージ達も、また。
「させるかっ、くそ……!」
 地上の花霞はアルファギガントを狙って射撃しようとしたが、その瞬間、背後から放たれた熱線に飲み込まれてしまう。
 他の四人も、それぞれがラージ級を一体二体ひきつけるので精一杯だ。
『GYYYYYYAOOOOOOOOOOOOOOOO!』
 最初にラージ級ヒュージ達が、十数本の熱線を。
 それから、その全てを束ねたよりも更に巨大な熱線を、アルファギガントが放った。
 全ては、降り注ぐ一つの光……真麻と、鹿子へ。
「鹿子!」
「任せてっ!」
 真麻に抱えられながら、鹿子は空中でガードシェードを展開した。
 二人を包んだ虹色の障壁は、空中に火花の様な光の飛沫を上げながら、ヒュージの熱線を弾いた。
「うおおおおおおおおおおおッ!」
 雄叫びを上げ、鹿子は強く、強く腕を突き出す。レグルスが不気味に振動し、それ以上に自分自身の体が軋むのを感じる。
 だが、それだけだった。
 怪物の殺意は、二人には一切届くことはなかった。。
 途切れることの無い熱線を浴びながら、しかし鹿子に守られた真麻は、ポラリスは……瞬く間にアルファギガントへ肉薄する。
「獲った……!」
 決定的なその瞬間、鹿子はガードシェードを解除し、真麻を突き放す。
 熱線の中を突き進みながら真麻は、全く動じることなくポラリスを一瞬で戦鎚へと変形させ……そして、全身全霊、体に宿る全てのマギをただ一点に込めて、マギスフィアと共に怨敵へと振り下ろした。

 ------!

  ◆
 
 …………最初に、閃光があった。それから、轟音と衝撃。
 膨大なエネルギーが爆発し、マギの光を散らす。
 全ての光景は白く染まり、ほんの一時、その場の誰もが意識を奪われた。
 爆風が吹き荒び、やがてそれは、長い時間をかけてほんの少しずつ弱まって、最後には収束する。
「……どうだ…………どうなった!?」
 戦場で、最初にそれを確認したのは、光月だった。
 鉛の様に重い体を跳ね上げて、アルファギガントが居たはずの方向を見る。
 もうもうと立ち込める、砂煙が晴れ……
「……あ…………ぁあああ……!」
 巨人はまだ、そこに居た。
 決して、無傷ではない……ノインベルト戦術と共にフェイズトランセンデンスを発現した真麻の一撃によって、銀色の表皮には亀裂が生じ、右腕からは骨格らしき赤黒い芯がむき出しになっている。
 だが、しかし、アルファギガントは未だ健在。ノインベルト戦術を持ってしても、真麻を持ってしても、討つに至らず……
 生き残ったヒュージ達は咆号を挙げ、光月は愕然と、その様を見つめた。
「……鹿子と真麻は!?」
 花霞が漸く立ち上がり、周囲を見渡す。
 千鳥も、蒔絵も、蜜葉も……無事ではあるものの、すでに戦いの傷は深く、もはや余力があるとは言い難かった。
「あれを……」
 千鳥が、アルファギガントの足元を指さした。誰もが、そこに目を凝らす。
 そこには……鹿子が、ただ一人立っていた。ゆっくり、ふらふらと体を揺らしているが、しかし、確かに二本の足で立っている。
 そしてその足元には、倒れたまま動かない、真麻も。
「鹿子っ!」
 花霞が叫ぶが、返事は無い。
 駆け寄ろうとした矢先、蒔絵がその腕をつかみ、制止した。
「なんで止めるッ!?」
「待って……見えたの。マキエには、見えたから、だから」
「……っ」
 瞬間、アルファギガントが突如動き出し、耳障りな叫びをを上げる。
『GYYYYYY! GYYYYYYYYYYYYYYYY!』
 長く、何度も、ひたすらに叫び続ける。
 マギによって身体を守られたリリィでさえ鼓膜に痛みを感じる轟音が、周囲に響き渡った。
「怒ってるんだ……初めて、ここまで傷つけられて」
 耳を押さえ込みながら蜜葉は悟る。アルファギガントのこんな叫びは、彼女をしても聞いたことはない。
 こんな、怨念が込められた叫びは……
「…………」
 しかし……鹿子は、その絶叫の中にあって尚、そこから一歩も動かなかった。
 それどころか、限界まで顔を上に向け、アルファギガントの顔を……その目を、にらみつける。
 その拍子に、つう、と一筋……鼻血が垂れて、口元を伝った。鹿子はそれをレグルスの親指で拭い、自らが纏うY女学院の制服のスカートの端に、お構いなしに擦りつけた。
 アルファギガントは叫びを止め、醜く歪んだ馬の様な顔を、鹿子に向け返す。
 あまりの身長差から、ほとんど垂直に等しい角度で、少女と怪物は睨み合う。
「痛かった? 痛かったでしょうね。あれがアンタを殺せる、唯一の手段だったんだから」
 鹿子は、どちらかといえば呟くような、小さな声で言った。言葉が通じるかも、この声が聞こえているかも、どうでもよかった。
「判るわよ。アタシ達が鬱陶しくてしょうがないでしょ? 『こんなヤツらをブチ殺すのは簡単で、あとはどうやって嬲り殺してやろう、どうやって泣かしてやろう』って、そう思ってるんでしょ?」
 異形の巨人は、何も、答えない。代わりに、傷ついた右腕を頭上に振りかざす。
 鹿子は、それでも、微動だにしない。
「『自分が勝てない訳がない』『自分が負ける訳がない』『コイツらが、これ以上何かできる筈がない』。勝手に結論出して、終わらせたつもりになってる。ムカつくわ。マジ、ムカつく」
 傷だらけだが、意識ははっきりとしていた。消耗はあるが、それでも身体が重いとは感じない。
 鹿子は、アルファギガントの動きを、澄んだ思考で注視する。
 できるはずがない、誰もがそう思うだろう。それが、そう思わせるこの状況こそが、耐え難いほどに、鹿子の感情を苛立たせた。
 一度だけ鹿子は、足元に転がり虫の息となっている真麻を見た。纏わりつく邪魔くさい恐怖を、捩じ伏せるために。
 ……もう、全て解っている。この人は、最初から必要な事を全部知っていて、アタシをここに導いてくれた。
 だから、最後にアタシが応えるんだ。この人が命を掛けて、アタシにくれたモノに。
「来い、デカブツ。ブッ殺してやる」
 自分の何倍大きいかも測れない怪物に、鹿子は言い放った。
 そして、怪物は……拳というにはあまりにも巨大すぎるその肉塊を、鹿子に振り下ろした。
『GAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』
「ぐぅぅぅぅぅぅぅッ!」
 鹿子は、頭上で腕を交差し……生身で、肉塊を受け止めた。
 絶大な質量に、鹿子の足が膝近くまで地中に沈みこむ。
 しかし、鹿子は受け止めたのだ。レアスキルさえ使うことなく、CHARMと、マギの加護に鎧われた自らの身体だけで、この巨人の一撃を。
 そこに至って漸く、鹿子はガードシェードの障壁を、展開する……今まさに自分と接触しているアルファギガントの拳、その、内部に。
「く、ら、え……! これが、あたしの……ッ!」
 障壁を展開するガードシェードは、あくまでも防御をその本質とするレアスキルである。
 だが、他のあらゆるリリィがそうであるように、鹿子もまた自分自身の能力を日々研鑽する中で、奥の手とも言える応用法を見出していた。
 物体の内部に障壁を展開することで、対象を内側から破壊する……拳術に云う所の寸勁にも似たそれは、至近距離かつ相手を完全に捉えた状態でのみ効果を発揮できる、鹿子の切り札中の切り札であった。
『ZIGYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!』
 圧縮されたマギは暴走し、アルファギガントの右腕を、まるで水風船の様に破裂させた。
 ノインベルト戦術と真麻のフェイズトランセンデンスによる一撃で損傷していたそれは、ある程度の耐性を得ても尚、鹿子の攻撃に耐えきることができない。
「……が、あぁッ!」
 同時に鹿子の両腕にも、ヒビ割れの様な無数の裂傷が走る。障壁にかかる負荷が、痛みとなって返ってきたのだ。
 怪物の血と肉が空から降り注ぎ、鹿子の身体は真っ赤に染まる。
 鹿子は、右手を失った痛みに暴れ狂うアルファギガントを見上げると……狂おしく、満面の笑みを浮かべた。
「ざッまァっ……ざまあ見ろ……ッ!」
 アルファギガントと、鹿子の視線が交錯した。
 巨人の目には、明らかな動揺があった。紅坂のヒュージを統べる王として君臨し、数多のガーデンとリリィを蹂躙してきた絶対的強者が、生まれて初めて死の危険に晒された、その恐怖が。
『GUUUUUUUURUAAAAAAAAAA!!』
『ううおおおおおおおおおおおおああああああああッ!』
 アルファギガントは、それまで発したことのない声で鳴く。
 鹿子もまた、その怪物から一瞬たりとも目を逸らさぬまま、獣のような声で吼え返した。
 そこに齢十五の乙女の声色などは微塵もなく、ただ本能だけを剥き出しに、あらん限りの、純然たる怒りを込めて。
『GUUUU…………RRRRRR……』
 アルファギガントは、その場で唸り、たたらを踏むと…………やがて踵を返し、鹿子達に対して背を向けた。
 失った片腕から濁流の様な赤黒い血を流しながら、遠くへ、遠くへと、歩き去っていく。
 すると、生き残っていた他のヒュージ達もまた、アルファギガントの背を追うかの様に、列を乱しながら消えて……逃げていった。
 リリィ達の誰にも、追いかける余力など残っては居なかった。
 鹿子も、仲間たちも皆、ただ呆然と、その光景を見守った。


 どれほどの、時間が経ったか……
「う……ううっ……」
 ……最初に、蜜葉がその場に崩折れ、声を殺して泣き始めた。敵は、逃げた……その事実を、理解して。
 そこに、光月が寄り添って、背を撫でる。
「よく頑張った。あんたは間違いなく、葉玄の誇りだよ」
「…………違う。違うよ」
 蜜葉は、震えながら光月を見つめる。必死に嗚咽をこらえ、呼吸を整え、言った。
「葉玄の誇りはいつだって、貴女だ。最後にはやっぱり、貴女が背負ってくれた。貴女が、いちばんつらいはずなのに」
「あたしは……悪い女さ。いつだって、みんなを焚きつけるだけで……あー、そんなに泣くなよ。あたしだって泣きたくなっちゃうじゃん」
 光月は、上ずった声で蜜葉を抱いた。遠ざかるヒュージと、灰燼となった学び舎とを見つめながら。
「ねぇ、葉玄女学園は、これから……」
 蒔絵は、光月と蜜葉には聞こえない様に配慮しながら、千鳥と花霞の顔を交互に見た。
 二人は、僅かな時間、互いの顔を見合わせてから……
「それは、光月さんと蜜葉さん次第でしょう」
「……ま、少なくとも二人は助けられたんだ。何かやるだろよ、あの二人なら」
「ん……」
 蒔絵は、少しだけ釈然としない表情しながらも、二人の言葉に頷く。
「アルファギガントを退け、助けを求めた友の生命を繋ぎ止めた。わたくし達に為せるだけの事は為しました。それだけでも、救いがあると想って良いのでは」
「おん? サムライ娘にしちゃ偉く優しいセリフじゃないか」
 発言を花霞に誂われ、千鳥は「あら」と目を丸くする。
「……そういえば、私一つ、お伝えしていない事がありまして。ノインベルト戦術を始める時、わたくし『どんな弾でも放って下さい』と申したでしょう、花霞さんに」
「……それが、なんだよ」「あ」
 花霞が、口元を引きつらせる。蒔絵は逆に、心当たりがあるらしく目を輝かせた。
「実は、わたくしも初めてだったんです。ノインベルト戦術は」
「それ、マキエもでーす。てへ」
「……」
 花霞は、その前後の会話を反芻しながら、沈黙する。
 いたずらっぽく笑う二人の顔を見比べて、それから、少しずつあんぐりと口を開いていき……そして、真っ赤になった顔を押さえ込んで、叫んだ。
「やられたぜ、くそ」

 ……アルファギガントの足音だけが、未だ遠く微かに響く頃になって……漸く鹿子は、倒れたままの真麻の隣に、ぺたりと座り込んだ。
「……勝ったわね?」
 掠れる声で、真麻はそう絞り出す。
「勝ってない。逃しちゃったもん」
 鹿子は、むすりとした表情で答える。答えてから、真麻の顔をみて、ぎょっとする。
 真麻は、満足げに笑いながら……泣いていた。ぼろぼろと、零れ落ちる涙を隠しもせずに。
「勝ったわよ。誰がなんと言おうと、私達の勝ち。そうでしょう、鹿子?」
 ……鹿子は、頷くことも、首を横にふることもしなかった。
 代わりに、言わなければならないのに言えずにいた言葉を、絞り出す。
「これで、去年の借りは返したわよ」
「……!」
 真麻の目が微かに見開いた。
「あの後どうやって助かったのかなんて、ぶっちゃけ覚えてなかったんだけどさ。でも、確かにあの時、誰かがハマーウィッチって、言ってたのは、思い出して」
 それは、鹿子が『燃えカス』となるきっかけとなった、一年前の紅坂での最後の出撃のこと。
 ガードシェードが破れ、鹿子とその仲間、そして守るべき人々は、わずか一瞬で壊滅に陥った。
 絶対に死ぬと覚悟した程の攻撃だったし、事実、死を免れたのはたったの二人。それが、鹿子と、鹿子に守られていた傷だらけの真麻だった。
 ヒュージの熱線を先頭で受けて意識を失った鹿子を引きずり、真麻はあの包囲を突破し、防衛隊の拠点まで逃げ延びたのだ。自身も致命傷を負い、死の淵に立ちながら、しかし最後に残った僅かな生命を燃やして。
「『ハマーウィッチが生きてた。二名だ、ハマーウィッチと、支援のリリィの二名が生きて帰った』……って。防衛隊の人だったかな、たしか」
「みんな驚いてたわ。私達は、誰ひとり助からないと思われてたから」
「なんで黙ってたのよ」
 鹿子の問いに、真麻は少しだけ考えて、
「……驚かせようと思ったの、貴女を」
「趣味悪ぅっ」
 思わず、吹き出す。真麻も、地面に横たわったまま、くすりと笑う。
「本当よ。あれから、貴女を探して、もう一度出会えた時……貴女、酷い顔してたから」
「あー、そうね。そうかも。不貞腐れてたのは、まあ」
「飢えた野良犬みたいな顔してたわよ」
「ちょっと、やめてよ」
 肩を震わせて……鹿子は笑いが収まると、少しだけ真麻に寄り添った。
「でも、アンタがもう一度、拾い上げてくれた。この場所に来るために」
「一緒に来たかったのよ。貴女となら、来れると想った。それから、あの子達とも」
 私が、もっと強かったなら。
 ただそれだけを、鹿子は想っていた。私がもっと強かったなら、きっと何もかもが違って、ずっとリリィで居られたのだと。
 だが、鹿子はやっと、理解した。まやかしだ。とんだ、幻をみていたのだ。
 本当は、もっと単純で、純粋な欲求……。
 真麻だ。真麻が、それを教えてくれた。
「ねえ、鹿子。辛いことが沢山あったけど、それでも私は『ここ』が諦められなかったの。誰も彼もが平等で、本当の自分をさらけ出して、運命にまっすぐに向き合うことができる、『ここ』が好きなのよ」
「……紅坂が?」
 鹿子は、敢えて訊ねてみる。真麻は、やっぱり首を横に振った。
「もう、わかっているでしょう?」
「うん。もう、わかる。だって、私も同じだもん」
 真麻が身を捩り、鹿子の手を握った。鹿子は、その手を強く握り返す。
「あのさ。今更、言うのもちょっとカッコ悪いけど」
「……?」
「その……えー」
「なあに、鹿子?」
 口ごもる鹿子の言葉を、真麻は優しく促した。まるで、決まりきった答えを待つかのように。
 鹿子は、さんざん口ごもった挙げ句に、漸くその言葉を紡ぎ出す。
「まだ、間に合うかな。アンタの…………あなたのこと。『お姉様』って、そう、呼ぶの」
 真麻は……ただ、微笑みだけを返した。あの、深く、仄暗く、そして穏やかな微笑みを。
 

『なんてこった……あいつら、アルファギガントを……!』
 機内無線越しに機長が半ば叫び声を上げる。
 一方の欄堂鈴は、小さくため息をつく。
 彼女も機長と同じ様に、その戦いの一部始終を、飛行するティルトローター機の機内から見届けていた。
 にもかかわらず、鈴の表情は、冷たく、険しい。
「……私が間違っていたと。狂っているのは私だと。あくまでもそう言うのね、真麻。貴女は、それを証明した……」
 アルファギガントは、退けられた。
 いずれは戻ってくるにせよ、紅坂の防衛隊やリリィ達が態勢を整える為には、十分な時間があるだろう。
 何よりも重大なのは、人々が共有する大前提が、覆った事だ。
 変えられるはずがないと誰もが疑わなかった運命が、彼女達の手によって、捻じ曲げられた。
 ならば、私達の何かが、変わるはずだ。避けられない、変化が起こる。
 それは、彼女達にとて、同じこと……
『欄堂。拘束するなら今がチャンスじゃないのか、どうする』
 機長が、言った。鈴は自身の不愉快を悟られぬよう、努めて平坦な表情を作る。
 振り返れば、そこには完全武装した男達が十数人に加え、数名のリリィまでもが、ずっと命令を待ったまま待機している。
 みな、一つの目的を持ってこの機への搭乗を命じられた者たちだった……即ち、『調査対象になりうるリリィ集団の確保』。
 全ては、研究機関GEHENAのオーダーだった。奴らはいつでも素材となるリリィを、あらゆる手段で探していた。
「……」
 鈴は、答えを留保するかのように、地上にいる真麻達七人のリリィの様子を見た。
 彼女達はアルファギガントとの戦いで疲弊している。今ならば、容易く目的を達することができる、それ自体は間違いないだろう。
 だが……
「今、動けば、確実に誰かは死ぬ。それは……何一つ、私達の世界を良くすることはない……」
『欄堂、よく聞こえない。もう一度頼む』
「なんでもありません」
 鈴の目には、はっきりと見える。
 地上から、彼女達はこちらを見上げている。ヒュージと、そして自身の血に赤く染められた彼女達が、なおも笑って、こちらを見ている。
「……!」
 ふと、真麻と目があった。異常視力をもたらす『天の秤目』に、見間違いはありえない。
(……さよなら)
 真麻の唇の動きが、そう、告げる。
 鈴は押し黙ったまま……彼女に倣い、言葉にならない言葉を、唇に刻んだ。
(行きなさい、真麻。今は、想うままに)
 そして七人は、鈴に背を向けて……やがて、夜の闇へと、消えていった。


<血笑百合の咲く夜に 了>





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