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"脳出血当事者”に囚われない生き方~病人役割から離れた場所へ~

2018年の3月3日、25歳の誕生日前日に脳出血を発症して以降、心の底に泥濘のように溜まった感情がある。

羨望と言うには複雑すぎる怒りに近い感情で、サマセット・モームの『月と六ペンス』に登場する主人公ストリックランドが現実と理想の狭間で苦しんだ時に感じたような何かだ。

脳出血発症後の半年間は両親から精神的サポートと物理的サポートを受けながらリハビリを受け、何不自由ない生活を送っていた。

そして「車いす生活を覚悟してください」と言われていた私は両親の献身的なサポートと優秀な医療従事者の努力によって、運よく装具もサポーターも、杖も使わず日常生活を送れるようになった。

女性として家庭を守りながら働く将来を考え、復職後に1人暮らしを再開して間もなく、意外なことに脳出血当事者の中でもある種の格差があることに気が付いた。

それは性別によるものだったり、金銭的な余裕によるものだったり、家族のサポートの手厚さだったりさまざまだった。

平野啓一郎さんのことば

Twitterで流れてくる脳出血当事者の発信や脳出血当事者・障がい者が取り上げられたメディアのコンテンツには共通点があった。生活者に「○○なのに凄い」と思わせる傾向があることだ。

つまり、発信している本人やメディアに取り上げられる方は自分を「脳出血当事者」または「障がい者」として評価し、評価される傾向にある。

私はこの傾向に危うさを感じていた。

平野啓一郎さんが提唱する「分人主義」では「一人の人間の中には、いくつもの人格(分人)があり、その複数の人格の集合体が一人の人間である」と考えられている。

その中で人は病に罹るとその割合が「病人」に傾きやすいと言われている。

危うさを感じた理由は脳出血当事者が病人役割に傾いてしまうのは生活の不自由さ故だけではなく、他者から評価される快楽ゆえなのかもしれない…。と考えたからだった。

"脳出血当事者"を肩書きにすればするほど見えてくる格差

私は脳出血を発症して以降、急性期・回復期リハビリ病院で撮影した動画は一切Web上に公開していない。

なぜなら多くの脳出血当事者が50代~80代(ほとんどの年代で男性の割合が大きい)なので、20代女性の恢復度合いを記録したコンテンツは「相手(=多くの脳出血当事者)のためになりにくい」と考えたからだった。

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マーケティングの仕事をしていると自分が発信するコンテンツは「自分のため」より「相手のため」にあって欲しいと考えるようになる。

私は自分が発するコンテンツはあくまで「知識系・課題解決系」にとどめるように心がけ、脳出血当事者が恢復度合いについて発信するコンテンツを受け取る側に回った。

すると、次第に淀んだ感情が自分の内にあることに気が付く。

一般的に脳出血・脳梗塞の発症好発年齢は50~80代なので、身体機能の恢復について発信する脳出血当事者はすでに家庭があり、傍で支えてくれる家族がいることが多い。またキャリアもひと段落した方も一定数いる。

その中でこれからキャリアを築こうとする若年の女性、さらに1人暮らしである自分は私生活でもキャリアでも、金銭面でも状況が異なる。

「脳出血当事者」という病人役割を肩書にしても人生を歩める余裕がある人たちを目の当たりにすればするほど苦しくなっていった。

そうして私はTwitterやメディアに溢れる「奇跡の恢復」系の情報を避けるようになった。

なぜ、障がいを乗り越えるのか?

このように私は職業柄、また分人の幅を狭めたくない故にただの「左手脚が不自由な20代OL」として3年間を生きてきた。

時に「奇跡の恢復」系の情報を見て「私も女性としての役割なんて考えずに治療に専念したかった」と自己憐憫に陥ったり、脳出血当事者としての承認欲求を満たせないことに苛立ったりした。

また家事をこなしながら「もし、家庭をもつことになったら倍以上の家事があるのか…」と重くなった左手脚のマッサージをしながら落ち込むこともあった。

そしてただの「左手脚が不自由な20代OL」として孤独に障がいを乗り越えることに限界を感じ始めた頃、こう考えることがあった。

――辛いのは障がいを乗り越える自分をまだ他者と比べているからではないか?

――病人役割に支配されているのではないか?

思い返せば他の脳出血当事者と自分を比較するようになるまでは、仕事や資格勉強など自分がすべきことに目を向ける時間が多く、誰かと自分を比べて落胆することなんてなかった。

「障がい受容」や「業務改善」のために神経心理学や高次脳機能について勉強してきたけれど、他の脳出血当事者の頑張りに後押しされて脳出血当事者として評価されたい願望もあったのかもしれない。

――そもそも脳出血で倒れた2018年時点の私は、何のために障がいを乗り越えたのか

思い返せば私はあの時、猛烈に仕事がしたかった。脳出血当事者として認めて欲しかったのではなかった。一人のメディア担当者として、プロフェッショナルになりたかった。

過去の私は自分のために障がいを乗り越えていた。そして脳出血当事者としての評価なんて考えず、病人役割としての分人はたまに顔を出す程度だった。

きっと私が幸せになるためには、脳出血当事者として評価されるためではなく自分の人生を豊かにするためにに障がいを乗り越える決心が今一度必要なのだと思う。

病人役割以外の分人を探す旅

20代女性の脳出血当事者としてさまざまな格差にこれからも苦しむことは避けれないけれど、まずはTwitterを操作する手を止めて少しでも脳出血当事者以外の分人に向き合おうと思う。

高次脳機能や神経心理学の勉強に加えて、Web解析士の資格取得に邁進するのも悪くないかもしれない。

インプットの幅を広げていけば自然と病人役割の割合が小さくなる気がしている。

今後目指したい、分人の割合

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脳出血当事者の読者さんへ

恢復度合いや生活環境は人それぞれです!ともに自分の人生を精一杯生きましょう!

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