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自分を”アカ分け”すると自己肯定感も分割される

アカ分けという言葉を使っているけど、呼び名とか人格の使い分けと言ってもいいかもしれない。

私には本名がある。
職場では本名+先生と呼ばれている。
このnoteでの名前がある。
趣味で持っているお絵かきアカウントでの名前がある。


そのどれもを結構しっかり分けていて、
仕事とプライベートはきっちり分けているし、
noteもお絵かきアカウントもリアルの知り合いで知っている人はいない。
noteとお絵かきアカウントも紐付けしていない。

分ける方が楽でついそうしてしまうのだけど、最近気付いた。
それぞれのアカウントでやったことがそれぞれのアカウントの中だけで完結していて、主である本名の自分と結びつかない。

noteで良い記事が書けたなと思っても、お絵かきでいい絵が描けたなと思っても、ポジティブな反応をもらっても、
それはそのアカウントの中だけのものであって、”本名の私”のものではないような感覚というか。伝わるだろうか。

本来だったら、いろんなことをやった経験やできた感覚が自己肯定感に繋がっていくんだと思う。
自己肯定感につながるような経験自体はしていると思う。
だけどアカ分けをしているから、それが自分自身のものになっていないような気がする。

とはいえ、分けたがりなので今更ごちゃまぜにするつもりもないのだけど。
だけど、別のアカウントでの出来事を自分の中でだけども統合して考えられるようになった方がいいなと思いました。

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