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こんなじじいになりてえ!

春になって、とある海辺の町の海岸に面した大きなキャンプ場に、妻を連れキャンプをしに行ってきた。海岸の広い防風林の中に作られたそこは、手前の駐車場横に芝生エリア、奥には松林の中に広がる大きな林間エリアと、二カ所に別れて造られている。私ひとりのソロキャンプならば、他のファミリーキャンパーたちと離れて林の中に少し分け入って設営するのだが、その日は嫁を連れていて、となるとトイレに比較的近い場所を希望する妻の意見を汲んで、手前の芝生エリアにテントを張る事になった。
その夕方。
設営も終わり、私たち夫婦が日陰にイスを並べてまったりとしていると、一人のおっさんが、テントとクーラーボックスを抱えて芝生エリアにやってきた。
私たちのいるそこには、コンクリートでこさえられたテーブルとイスのセットが四つ置かれてあるのだが、おっさんはその一つに陣取り、横に小さなテントを張り始めた。失礼ながらその身なりはノ○スフ○イスやパ○ゴニアなどという流行りのいでたちを纏っているわけではない、よれたジャケットと作業ズボンなのね、宿営道具も両手に抱えて一往復程度。年齢は私と同じくらい。よう、御同輩と言ったところ!
その、そのあっさりとしたいでたち(笑)に、私は興味を持ってしまって、妻とキャンプをしながらも、おっさんのキャンプを逐一観察させてもらったのである。
おっさんが張っているのは、昨今の流行に乗ったおしゃれなものではなく、一人用の小さな山岳テントである。2本のポールをクロスさせて張るドーム型テントで、面白いのは、入り口が長手の面ではなくて短手の面に造られている事で、なかなかいい。「通」ぶりを醸し出している。
おっさん、設営が終わると、やおらテントに入り、短手の入り口からひょっこり頭だけを出し、昼寝を始めた。なんだか可愛い。
かと思うと起きあがって、バーナー(キャンプ用コンロ)をコンクリートテーブルに出して、何かつまみを作り始めた。
一杯やってもいる。あ、2本目開けた。テーブルに置かれた年代物らしいオレンジ色したクーラーボックスが、また渋さを引き立てている。
おっさんの陣取った場所近くには外灯が設えてあり、暗くなってもさほど困らない様子で、おっさんはランタンを灯してはいなかったが、さして困る様子もなく、楽しそうに夕餉を作り、食べては飲み、を繰り返していた。小さな音が聞こえる。ラジオを聴いているのかな。
おっさんの、男ひとりの、ゆっくりと過ごす夜。そのころには私のおっさんに思う気持ちは「興味」を越えて「いいなあポツリ」と若干の「羨望」に変わっていた。

手前の芝生エリアと奥には林間エリア

翌朝。
私が起きてテントから外にでると、どうやらおっさんは出かけたようだ。
「たぶん釣りに行ったんじゃない?ここ、海の近くだからね。」妻が言う。
確かに10分も歩けばフィッシャリーナ、その向こうは大きな浜辺があるようだ。
と、私がコーヒーを飲みしま朝食の準備を始めていると、当のおっさんが帰ってきた。手にはコンビニの袋を持っている。マイバッグなぞ持たないレジ袋というのもいい。
「ああ、朝食を買いに行っていたんだ」
おっさんは食べ終わると少し横になってまたくつろぎはじめた。そうして、私たち夫婦が朝食を食べ終わり食器を片づける頃にまた起きあがって、さっさと仕舞い、軽自動車に載せ、直にいなくなってしまった。
「奥さんに相手にされなくなっちゃったのかな」と少し笑う妻を横にして、流行なのか大きなバイクに乗ってやってくる若者とは違う、古い軽自動車に乗ってやってきた初老男の、肩肘張らない気儘なソロキャンプ、といった絵面えづらに、私はすっかり見とれてしまっていた。
ここで思い出すのだが、一昨年の夏だったか、このキャンプ場の近くにある無料のキャンプ場に行った事があって、そこでも一人のおっさんが「もう1週間もいますよ」といった体で、テント横の木ににロープを張り、洗濯物を干していた、そんな場面を見たこともある。
私はこの解脱したようなおっさんたちが羨ましい。自分はというと、この年齢になっても、世俗のしがらみから逃れられないで、都会の隅で文句ばかりを言いながら背を丸め這い回っている。いざこうしてキャンプをするにしても、YouTube を舐めるように見て、道具をあれやこれやと買い込み、大きな車にどうだいとばかり積み込まなくては、実際テントを張れない。生活のすべてにおいて見栄を張り、絶えず他人の目を気にしている自分がいて、それをバカじゃねえかと見て、己を軽蔑している自分もいる。この別の自分がこうして文を書かせているのだが。
また恥ずかしついでに言えば、私は老いぼれの今になっても、まあ時々だけど、性欲が頭の中の結構な割合を占有するときがあって、そのたびにモヤモヤしてしまう。それが自分の趣味や思考を内向させ抑圧させている気もする。ついでに、数年前少しつきあった不倫相手に、未練がましくも未だに思いを引きずってもいて、自分の愚鈍さに辟易とする。
ところがこのおっさん、一昨年のおっさんも、見るからにそんな下俗な欲とは関係ないあっけらかんとした風体で、哀切さは微塵もなく、寧ろ「雅懐」といったオーラを出している。
「起きて半畳、寝て一畳」と言うけれど、肩肘張らないおっさんたちを見ていると、人ひとりが必要な空間がそれほど大きいものではなくて、畳からはみ出すような物欲も見栄も空しく感じてきて、なにやらしみじみとしてしまってきた。先ほどのおっさんもおそらくは自宅に帰って「かあちゃんただいま」と声をかけ、荷を置いた後、裏の小さな畑に行くさまが容易に想像でき、何か教訓を感得したわけではないけれど、朝のキャンプ場で「うーーん、いいな!」と唸ってしまう私なのであった。

と言いながら、キャンプから帰り日常が始まると、XPERIA最新スマホがほしくてたまらない、貪婪で傲慢な私なのである。

余談:私はキャンプ場の朝の時間がとても好きだ。朝も6時を回ると周りの人たちが起き出す。朝食の準備をし始めるかちゃかちゃとする食器の音。うつらうつらしていた頭も覚醒して来る。遠くからは地方鉄道の電車が、線路を鳴らすカタンカタンの響き音。テントからでると、まぶしい光が差し込む中、昨夜しまい込んだ道具を引きずり出しているお父さんや、仲良く椅子を並べコーヒーを飲みしまスマホをいじっているカップルがいる。ぬいぐるみを抱いたまま、まだ寝ている妻を防虫網越しに見ながら、私もやかんを火にかけたりする。
キャンプ場のそんな朝が私は大好きなのである。