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悲しい気持ち

1,はじめに

今日の午前10時、会社に休みを貰って市役所に行ってきた。区画墓地の返納と合葬墓地の埋葬許可を貰うために、である。
昔々、12月に妻が死んで翌年の春、それでも両親が「あらかじめ買ってある自分たちの墓に遺骨を入れるとよい」と助言してくれたにもかかわらず、若かった私は、その時分に市が分譲を始めたばかりの、市営の霊園を見つけ、一画を借りた。妻の永遠の住処を作ってあげ、ゆくゆくは自分も入る「つもり」だったからである。
ところが今こうして別の所帯を持ち、また老骸の手前となって考えるに、あと10年、あるいは20年、私の頭が正常な内は、なんとか墓地管理費を払い続け、維持させる事はできても、その先の未来永劫、ずっと維持できる訳もないのだ。そんな現実的な問題から、個人墓を返し合葬墓に妻の遺骨を移そうと決心したのである。今この時に、と決断したのには訳がある。ひとつには調度、義母が亡くなった時に、名を刻むべくお願いした仏具墓石店の、物腰の優しい営業の方と知り合うことができたこと。またもうひとつには、どうしようかと相談に行った市の担当者は、偶然にも私の小学校の同級、中学校でもクラス違いの同窓生だった。そんなふたつの出会いが「この機会を逃してはいけない」と自分を前に進めた理由なのだ。

2,市役所にて

妻のために作った墓を、この先維持できないからと閉じてしまうという、あまりに勝手で、しかも悲しい作業である。当日の朝、今の妻が出勤した直後からめそめそと泣いてしまった。泣いて目が腫れぼったくなり鼻をかみすぎて鼻の周りも赤くなってはいたけれど、でもそれは決めたこと! あらかじめ電話ですりあわせておいた10時ちょうどに、市役所に出頭した。力を貸してくれると言ってくれた、元同級生の担当者のおかげで、既にできていた書類に署名捺印を繰り返して手続きは終わった。
ではと、最後に供養料の5万円を支払うべく、青いプラスチックの金銭皿に鞄から万札を出し広げた。
すると広げた万札は4枚しかない。「あれ、やべ!・・・(気を取り直して)おう、そうだ、ピン札だからね」と私は再度万札を手に持ち、数え直した。隠れていた1万円が出てきて5万円となり、ホッとしながらも渡した。それはそれで終わり、手続きが終わって車にもどった。廃墓が確固とした事実となった事で、妻に申し訳ないことをしてしまったと、私は気持ちの疲れからかシートに埋もれて、しばらくボーッとしてしまった。目もまた熱くなってうじうじめそめそし始めた。
ややあって・・・・・
「ん?おれ今朝、予備として1万円多く、つまり6万円をへそくり袋から出したんじゃなかったっけ?」
つまり先ほどのお金は、当初隠れていたのは1万だけではなく2万隠れていてそのうちの1万円を発見して、もう1万円は見逃しつつ、5万円として払ったのでは」
「いや、まてよ、そもそも今朝きちんと6万円を確認したのかな。現金の入った袋からパッと出して、うん6万ね、これでいいと、あの時確認もせずそう思っただけでそもそも5万円しかなかったのでは」もやもやし始めた自分がいた。

3、一挙手一投足

1万円どうしたのかな?自問自答すること数分。先ほど、市役所に到着するまで泣いていた自分。今朝などはぬいぐるみまで抱いて泣いていたのに、今の私は何なんだ?確かにお金は大事だけれど、お金を用意するときに、市役所で払うときに、いずれもきちんと数えて払わなかった、要するに詰めの甘い自分が、こんな些細な失敗に振り回され始めている自分がバカに思えてきた。
とどのつまり・・・
「何やってんだ、おれ!!」
車の中、シートにもたれながらも、こんなにも悲しい今の気持ちが、いとも簡単に現実生活に振り回されていると言う事実が滑稽で阿呆におもえてきたのである。
つまり刹那の強い感情とは別に、現実生活は、粛々として淡々として、目前にあると言うことだ。気持ちやこころ、感情といったものの「不確かさ」を知ってしまった。
でも一方では、金額がどうということではなくて、一挙手一投足と、生活していくために確実にしっかりとおやりなさいという薫陶を受けたのかもしれない。

ただ、いっときでもそんなお金という現実にふりまわされていた自分に、ほとほと愛想が尽きて、妻の改葬という悲しみよりも、寧ろこの自分の愚鈍さに閉口してしまった、そんな私だった。