「亡き妻を思う」を終える
はじめに・・・・
この「亡き妻を思う」マガジンを終えるための、最後の記事として残しておきたい、と言う一心だけで書いています。内容は、若い頃に亡くなった妻の話ですが、「死」「霊園」「墓」「遺骨」などのネガティブな語句が頻繁に出てきます。スルーして貰ってかまいません。
みんな、楽しい黄金週間にこんな記事、なんか、ほんと、ごめんね、これで、もう後ろ向きな話は書きませんから。
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私の住む町の北側一帯を覆ういくつもの里山。その調度真ん中あたりにある低山の南斜面に、まるで彫刻刀で削ったような九十九折り、そんな山の坂道を車で登っていく。すると頂上あたり、丘を削って造成された広場に出る。その裏手の斜面一帯に、大きな市営の霊園が作られている。
4月26日、私の前の妻は、彼女の遺骨は、私の前から消えた。区画された個人墓から妻の遺骨を取り出し、合葬墓地に入れてしまったのだ。これ以外の方法、上策はないと信じて。
1,作業
その日は、4月の終わりにしては、かなり冷えた朝を迎えていた。霊園の駐車場に着いた私は、ドアを開けて浴びた、山間のひんやりとした空気に、慌てて後部座席に放り投げてあった薄いダウンベストを着込んで、車から降りた。霊園には勿論だれもいない。杉林の斜面を削って段々畑の如く造成された霊園、その一番下の段の中程あたり、○○番と振られた区画に先の妻は眠っている。
移動させるべく上げた骨を、いっときどこへ入れようかと、家の物置を探し奥から見つけた大きなガラスのビン。胸に抱えられるくらいの大きなもので、ふたもガラスでできている。他にキャンプで使う小さなスコップ、ビニル手袋、軍手、膝をつくときのタオル。それらを持って石段を降り妻の墓に行き、墓石の横に並べた。それと、いっときだけど、妻は暗い穴から久しぶりに外に出るので、その時に見せてあげようと持ってきた、妻が産んだ娘とその子供(孫)の写真が入った小さなアルバムも開き、その横には位牌を置いた。位牌は、謂わば木の板に名前を書いたものなので、つまり人が拵えたモノでしかないと、いつもそう自分に言い聞かせてはいるが、また持ってきてしまった。
重い石のふたを開け、私は骨上げを始めた。泣いてはいなかった。むしろ必死だった。何故なら手続きに行った市役所では、担当の女性に「なるべくきれいに取り上げてください、残っていると、墓石を撤去する業者のかたが嫌がりますから」とアドバイスを受けたからだ。跪いたかっこうのまま頭と手を穴の中に入れ、一つ残らずすくい上げようと必死の作業をはじめたのだ。
以前、10年ほどまえだったか、妻の残した二人の子供が人生の岐路にあったとき、頼み事を書いて穴に入れた手紙2通は、もうすっかり跡形もなく消え失せていた。多分、彼女が受けとって持っていってくれたからだろう。手紙を読んで貰えたという、それだけがこんな悲しい作業をしている私を少し和ませてくれた。(とまあ、その紙は浸みこんだ雨に、ただ朽ち果てただけなんだろうが)
一時間ほどは穴に顔を突っ込んでいただろうか、なんとか骨上げの作業は終わった。
入れたガラスのビンに風呂敷をかけ、それを大きなビニール袋に入れ、他の持ち物と一緒に抱え、いったん車に戻った。妻は今は手許に、助手席にいるので、この区画墓地を立ち去ることに、特にためらいも寂しさもなかったのが、なんだか不思議な気持ちだった。助手席に乗せたまま、少し離れた霊園の管理事務所に向かい、係の人に合葬墓に納骨して貰うよう申し出る。場所を指示され、また車に戻り、先ほど立ち去った苑の近くの高台に移動。石塔のモニュメントらしき体裁をした合葬墓に、ビンを抱え持っていく。別の係の人が待っていてくれ、納骨はすぐに終わった。決して泣くまいと思ってはいたけれど、所詮、自分がしている事は、大きな穴に「妻」を放り込んだということなので、その行為の愚劣さにいたたまれなくなり、空のビンを足下に置いた途端、うううっと声がでてしまった。嗚咽と一緒に「ごめんなさい」と、こんな言葉が自然に出たけれど、横にいる係の人に変に思われないかと気づき、慌てて袖で涙を拭いた。
他の何十体のものと一緒に合葬したこの時点で、たぶん、いや、明らかに、妻はここにはいない。いなくなってしまった。妻にとってみれば、自分を、自分の骨を大切にしてくれていた夫が、自分を捨てた。いま私のした事は、言い替えれば、そういうことなのであるから、この時、妻は私を見限ってこの地を離れ、とうとう天上へいってしまった。それは間違いないことなのだ。
ガラガラと骨が暗い穴に落ちていく音とともに、たった今、妻が去っていった事を知り、私は取り返しのつかない過ちをしてしまった事に気づいた。
骨が暗闇のなかに落ちていくガラガラと言う音は、爾後の私が背負わなくてはならない苦しみを表現したものに他ならず、また妻を捨てた私の卑劣な魂、打算の心といったもを表現したものでもあった。
2,托鉢僧
立ち会ってくれた係の人に一礼をし、空のビンを抱え私はひとり駐車場に戻る。とぼとぼと高台を降り、駐車場へ戻って視界に自分の車が見えた途端、どこに行くにも一緒の(ど田舎なので移動はすべて車)その見慣れた自分の車が見えて、その時、私は何だかホッとした。合葬墓に投げ込んだ後の激しい自責に、もう生きているのか死んでいるのかも分からない虚ろな気持ちから、現実世界へ少し抜け出た気持ちになったと言うのが正直なところだ。車に乗り込む前に、そのドアミラーをなでながら、なぜかふーっと肩の力が抜けていった。少しだけど安堵の心持ちになっている自分を感じたのだ。10分ほど前まで「合葬」という非道な行為に、後悔で震えていたこの私が、自分の車に戻って、今はホッとしている。
なぜだったのか、おそらくはこの10年くらいは「墓を片付けなければ、でもどうしたら」と不安だった大きな懸案が、何とかこうして終わらせる事ができたという安心感が、その時湧いてきたのかもしれない。今思うに、私は酷い男だ。愚劣漢だ。
車のシートに身体を埋め、自分に声を掛ける。
「全ては終わったのだ、彼女はもうここにはいない、帰ろう」
「一時とは言え助手席に妻を乗せたこの車、ずっと乗ろう。絶対に手放さない」
九十九折りの山道は舗装こそされてはいるが、道路の両脇には側溝があり、気を抜いて運転していると側溝に脱輪してしまう。来ないと思っている対向車が、突然に現れる時もある。こんな時だからこそと少し意識しながら、その山道を慎重に下っていくと、長い山道の調度中間あたりに、僧の野外彫刻が置かれているのが見えた。私は車を停めて降り立った。
編笠を目深に被った僧が托鉢姿で立っている、等身大の立身像である。「托鉢 ○市 野外彫刻優秀賞」と銘板が打たれている。
僧が手に持った鉢には既に小銭が何枚か置かれていた。私も財布からお金を取り出し鉢に載せ手を合わせた。
「あ、そうだ」
あわてて車に戻り、鞄から位牌を取り出して、そっと僧の足下におき、再度手をあわせ深く頭を下げた。強く、祈った。深い思い入れはないと言いつつ、ここでもまた位牌が出てくる。
「Yを、お願いします」
「また来ますから・・・」
托鉢僧はというと、こんな悲痛な面持ちをしたおっさんに、どう答えたらよいのか思案しているようで、特に何も答えてはくれなかった、風に見えた。私は一礼して位牌とともに車へ戻り、また慎重に坂をおり、そっと生活の場へ、私の住む町へ、自宅へ戻った。
確かに懸案だったけど、とても悲しく寂しい、そんな仕事は終わった。家に着いて緊張も抜け、私は身体も心もぐったり疲れていることに気づき、ソファに横になり、少しウトウトとし始めた。その朦朧とした頭の中では「大切なものを失ったのに、何だか少しホッとしているな」と自分を卑下してみたり、「いいや目前の生活が大事なのだ、これでいいんだ」と思い直しては、はたまた「ひどいことしちゃって子や孫にバチがあたらなければいいな」と弱気になったり、勝手な自問自答をしばらく繰り返していた。
何だかそのうちに寝てしまったようだ。
3,自分
一つには、死んだ妻を思い出し悲しがるタイミングを、現実の起居のなかで上手に見つけられず右往左往している「まぬけな自分」がいて、またそれをちょっと高い場所から俯瞰して、こんな自分を「愚劣」で「陳腐」で「滑稽」だなと、薄ら笑いを浮かべている、もうひとりの自分がいる事に気付かされる。
そのもう一人の「俯瞰する自分」は、いままで妻との交信の接点としてあった墓を失ったことの悲しさよりも、長年の懸案事項を遂行できた嬉しさにホッと胸をなでおろしている「現実の自分」を見て、その愚鈍さに呆れかえっているのである。「最低だな、自分!」と呟くのはこのせいだ。まあ、この「俯瞰するもう一人の自分」こそが、悲しい気持ちと現実生活の齟齬に狼狽えている、そんな自分の心模様を、こうして縷々と書いてはnoteの記事にし、衆目に晒すことをさせているのだろうが。
もう一つには、私はこのnoteをはじめた頃、こんなことを考えていた。つまり、日々の生活の中でも、死んだ妻との若き日々を、また苦しく悲しかったその後の日々を無理矢理思い出し、文章にし「亡き妻Yを思う」の中に記事として連ねて、記憶の断片をつなぎ合わせる作業を必死に続ければ、やがて実体としての妻が、きっと私の前に現れるのではないか。ある日突然、ニコニコ笑いながら現れ「待った?」て声をかけてくれると、私は、極めて本気で思っていた。
でも何も起こらなかった。
待ち設けていたのに、死んだ妻は私の前に来なかった。いっぱい記事を書いたのに、妻は来なかった。ずっと、ずうっと待っていたのだ。
でも、私はこうして墓を処分して、そうしてこの記事を書いて、やっと諦めた。いま、やっと、諦めたのである。待つことをやめたのである。妻は薄情な私を捨て天上へと行ってしまった。
4,これでいいのだ
26日は有給休暇を貰って一人ひっそりと作業をしていたので、夕方になると勿論何も知らない今の妻が帰宅した。
「ただいま」とドアを開けて妻の声。
「おかえり、おつかれ」と私が応える。
先の妻が死んでのち、自宅に戻って「ただいま」と声を掛けても、決して「おかえり」と返っては来ず、仕様がないので自分で「おかえり」と言っては、めそめそと泣いていた自分。
時が経ち、こうしてニコニコとした表情を浮かべている目前の妻を見ながら、あの苦しく悲しかった頃の自分をそっと思い出して見る。そうして、ふと出た言葉は「これでいい、これでいいのだ」
「天才バカボンのパパ」なのである。
これでいいのだ。