追記です。
前回の記事「消えた1万円で悲しみ半減」について追記させて下さい。
前回の記事の本意は、
「自分の感情や気持ちと言ったものは、目前の現実生活にある、他愛もない些事に簡単に振りまわされ誤魔化されて、一時、あれほどの悲しみも簡単に生活に埋没されてしまって、その日の昼間の自分が何だか滑稽なものとして、思えてしまったのだ」
と言う事です。決して、遺骨の改葬の悲しみと、消えてしまったお金を比較している、という事ではありません。ましてや、悲しい気持ちが薄まるほど、お金が惜しかったと言う事では絶対にありません。1万円はどうでもいいです。念のため。
書いた本人の私も改めて読み直すと、最後の段落あたり言葉が足りず、勘違いしそうで、おやっと思ってしまいました。
墓を建て、それをこれまで自らの心のよすがにしてきたのに、今こうして改葬をすると言う、胸がつぶれるような気持ちといったものと、目前にある現実生活とは、自分と言う一つの体と一つの頭の中で同時進行したとは言え、別の次元、別の感覚にあるものなので、比較することではありません。
僕は、自分に今起きている悲しさやつらさは、結局は自分ひとりの頭のなかで、何とか飲み込み、消化しようとしています。今回の出来事は、その途中の一断面だととらえています。
前記事も、タイトル含め少し編集し直しました。
以上です。