詩人、田中冬二を訪ねて
0、はじめのはじめに
自分が興味あって他に知らしめたいと思っている事のたいていは、実は、他の人にはまったく何らの興味もない、どうでもいいことなのだ、という社会の道理に、最近やっと気がつきました。皆におかれては、ふふふーん、と軽く飛ばし読みして下さい。
1、はじめに
鉄火場に身をやつし、老境に片足突っ込んでしまった今となっては、甚だ冷や汗三斗の痴話なのであるが、遠い昔、高校時代の私と言ったら、実は過分なくらい乙女チックな文学青年だったので、所属していた水泳部の練習はちょいちょいさぼり、なぜか文芸部の部室で、図書館の本を積み重ねては、本の隙間から部室に張られたチェ・ゲバラのポスター眺めて、生えてこないあごひげをさすりつつ、友人たちとため息ついていたのだった。
本はむさぼるように読んだ。とりわけ太宰治や梶井基次郎を得意げに読んでいたが、一方では、中原中也を筆頭に、堀辰雄、立原道造、津村信夫などのちょっとおしゃれさんな詩や散文も好んで読んでいた。
また私は生来より何につけ自惚れやすい性格なので、その当時は、頭を満にしていた性欲を無理矢理追い払って、やっと空になった脳みそに、まるで感じた事もない郷愁感やら季節の移ろいやらを詰め込んでは、おセンチな詩を書いていい気になり、よせばいいのに立原道造に似たペンネームなど自分に冠し、他県の女子高生と文通などしていたのである。(文通だよ、知ってる?男女ともに普通に自分の住所を雑誌の巻末に載せて文通相手を捜していたんだよ。)
津村信夫の詩に触れるうちに、似たような詩の世界を持っていた、この田中冬二なる詩人を知るに至って、この詩人の、市井の人々の生活の中から浮かぶほのかな明かりを、きれいに切り取って詩にしているところに、少年ちくわ会長はいたく感動したのだ。高校3年生の頃である。
その後、おどろおどろしい社会に身を置いた途端、記憶のなかからすっかり消えてしまった田中冬二なのだが、最近ふとしたことからこの詩人の資料館があることを知り、今回、訪ねてみた訳である。
2、姨捨山リサーチ
ある日のこと。
私が老いてのち、口減らしとばかり捨てられ、「じいちゃんの終の棲家はここね」と、置いて行かれるであろう「姨捨山」を、いや一層の事、自分で事前にリサーチし、寧ろここがいいとリクエストすべきではないかと思い立ち、私はひとり旅に出ることにした。(笑)
見つけたのは富山県の黒部川河口の入善町にある、海に面した小さなキャンプ場だ。
出発の前Google マップで場所を確認してのち、ついでにキャンプ場の近くに何か観光スポットなどないかしらなど探り始めた。マップを黒部川河口の対岸、黒部市側にずらしてみると、おや、どこかで聞いたことある名前が。
「田中冬二資料館」とな。
タップしてみても情報は皆無だったが、その詩人の名を目にするのは数十年ぶりではないか。私は懐かしさに小躍りしてしまった。私は今回の旅路に大きな付加価値を見つけたのだ。
3、資料館を訪ねて
そこは資料館というよりは旅館の一室であった。
ロビーから見て右手奥に、休み処と言った部屋があって、そこに設えられたいくつかのガラスケースの中に、田中の足跡を示す出版物やらが飾られ、彼の写真もいくつか飾られていた。
田中は詩人でもあり銀行員でもあり、さしずめ今で言うシンガーソングライターの小椋佳といったところ。特に山国や北陸あたりの素朴な風景や庶民の質素な生活風景を愛し、郷愁感溢れる詩をたくさん創作していたと。何度かの転勤のなかでも特に山国信州(長野)を愛していたようなのだが、立ち会ってくれた旅館の方とお話する中で、この旅館の女将はかの信州の出身だそうで、それも田中の持っていた郷愁あふれる世界と通底する物がある気がして、それはそれはよい話を聞けたひとときであった。
田中冬二の有名な詩二編を下に載せるが、甘酸っぱい詩に夢中になっていた自分の高校時代を思い出して、私は何だかお尻の穴が痒くなってきたのであった!
4,海の見える石段
5,レークサイド・ホテル