ヴェニスに死す

「プチ《ヴェニスに死す》症候群」

平野啓一郎さんが現在連載中の小説、「マチネの終わりに」の中に出てくる「《ヴェニスに死す》症候群」なるもの。

小説に登場する、洋子の父ソリッチの造語で、定義は『中年になって、突然、現実社会への適応に嫌気が差して、本来の自分へと立ち返るべく、破滅的な行動に出ること』だそうです。

小説を読み進めながらも、この症状、自分にも無関係ではないぞという気がして、ずっと引っかかっていました。「ヴェニスに死す」の原作も映画も未体験だった私は、まずはヴィスコンティの映画から観てみることに。

主人公である作曲家アッシェンバッハが保養のため訪れたヴェネチアで、完璧な美少年タッジオに一目で心奪われ、その美しさにのめりこんでいくことで破滅的な結末をむかえる、というストーリーなのですが、映画を観て、《ヴェニスに死す》症候群とまでは到底いかないものの、その100分の1くらい(ゼロの数が足りないかも)のスケールで、定期的に自分も発症しているんじゃないか、とぼんやり思ったのです。

常に平均点の50点をとれずに0点と100点の間を往復したり、ある方向に振り切れたら反対方向に戻りながらも前進して行くのは、一人の人間においても、世の中の動きにおいても言えることだと思いますが、そのバランスを保つための振り子の運動(!?)がより小刻みに必要になっているような気がします。そしてそこには、現代のうるささや、複雑さ、過剰さが影響しているんだとも。

映画では、「精神が感覚に対して完全な優位を保つことによってのみ、純粋な美に到達できる」というような、完璧主義で不断の努力によって美を創ってきたアッシェンバッハのバランス感が、もうこれ以上先がないところまで行き着いた時に、振り子のちょうど反対側にあるダッジオの美しさに出会ったことで、どうしようもなく惹かれてしまったんだろうと思います。

会話がとても少ない映画の中で印象的だったのが、アッシェンバッハがタッジオを見つめる何とも言えない表情でした。憧れと、愛しさとで恍惚とし、おじさんなのに、まるでティーンエイジャーのようなのです。
また、ストーリーの隙間に散りばめられた回想シーンの「美」に関する討論の中には、ドキッとするような言葉がいくつかありました。

日本では平均寿命が男女ともに80歳を超えた現在、ちょうど折り返し地点である「40歳」という年齢が、そのような「立ち返る」行為に突然向かわせるのは、避けられないことなのかもなぁ、と思いつつ、、、


わたくし、《ヴェニスに死す》症候群の本番まで、あと10年です!!


追伸:蒔野の真似して、原作を注文したところです。

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