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全裸ニートは物を落とさない

夏は死んだように本ばかり読んで過ごしていた。「生産的な活動」はゼロ。酒は飲んでない。飲めなくなった。朝の吐き気すごいから。「生きてそこにあり続ける」というはただただダルいだけ。ところでみんなどうしてまだ生きてるの。道行く一人一人に問いかけてみたい。「なぜ死なないのか」。そういう俺はどう答える?
たまに自分と似たようなクズと駄弁っている。相互扶助的なクズコミュニティがいよいよ必要だな。いまの日本で俺ほど傷の舐め合いに飢えてる男いるかな。傷の舐め方うまいぜ俺。俺は《完全な孤独》に向いてないなとつくづく思う。人間嫌悪がこれほど強いのに。来年のいまごろまだ生きているかも、と考えただけで身が震える。どうしよう。俺の診断によれば、ひとは最初から絶望している。いかにも絶望している、という感じが全然しない絶望のほうが底は深い。明るい絶望、だらけた絶望、凡庸な絶望というのがある。俺より「陽キャ」のあいつのほうがたぶんずっと絶望度は高い。うちなる絶対空虚は「趣味」や「子供」などでは満たしようがない。《ひとは何も失うものを持たない》。「自分には守るべきものがある」とか平気で口にできる鈍感さをときどき羨ましく思う。顔射してやりてえくらい。

鏡を見ると汚い顔。無精髭。救いようのない零落者。

世を呪いながらオナニーしたことのない人間としか俺は友情を結べない。

この「事実無根の負い目」。零落者に「生きていてすみません」と言わせたがる奴ら。復讐したいが何に復讐していいのか皆目分からない。

さいきん「人生最後のオナニー」のことをよく考える。「自決」前のセックスなんてのは三島由紀夫の『憂国』みたいでそこそこ美的ではあるけれども、「自決」前のオナニーなんて惨めなだけでぜんぜん美しくない。性愛弱者の悲哀以外何も感じることが出来ない。でもそんな惨めさも行き着くところまで行けば何か神聖なものに変質するかも知れない。ある種の聖人は乞食と見分けが付かない。まずはどこまでも惨めであること。誰をも愛さず誰にも愛されない醜い零落者であり続けること。何も望まぬこと。実はけっこういろんなことを望んでいてもそうした素振りは見せないこと。

人生の一発逆転勝ちは絶対に期待しないこと。
すでに十点ビハインド九回裏ツーアウトランナー無しであるということを忘れないこと。
自分が思っている以上にクズだという自覚を持ち続けること。
いくら落ちぶれても、認識者であることまで放棄してはいけない。
この残酷宇宙はまだ終わらない。クズどもの絶望程度では終わらない。

オナニーして散歩して寝よか。

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