一個の人間として、誰にも利用されない。誰かを利用したりもしない。
2021年5月。昨年と同様に新緑が映え、ベランダではじめたレモンの木の栽培が小さな楽しみになっている。すっかりなれたリモートワークの中、今年は星野源さんは何かやってくれないのだろうか、などとふと一年前を思い出したりしている。
僕はといえば、ありがたいことに仕事は例年と同じくらいか、むしろ忙しくさせてもらっていて、今は経営している2つの会社の採用や組織運営のことと、新しいサービスの開発のことで、あっという間に一日が過ぎていく。
会社の代表という立場から、情報感度は常に高くしておこうという心がけもあり、朝はSNSとテレビのニュースと新聞を一通りチェックしているが、正直なところ、どの情報もあまり信用はしていない。それは実感が伴っていないからだ。できるだけの想像力を駆使しても、全部どこか、遠くに聞こえてしまう感じがする。
そんな中で、ふと、今日、水泳選手の池江璃花子さんのTwitterが目に入ってきた。
本当にそんなコメントをする人がいるのか、と驚いてしまった。僕はオリンピックを目指したこともなければ、池江さんほどなにかひとつのことを極めているわけでもないけれど、真剣に人生を生きるということへの畏怖は理解しているつもりだ。
中学生の時に出会った、詩をふと思い出す。
一個の人間/武者小路実篤
自分は一個の人間でありたい
誰にも利用されない
誰にも頭をさげない
一個の人間でありたい
他人を利用したり
他人をいびつにしたりしない
そのかはり自分もいびつにされない
一個の人間でありたい
自分の最も深い泉から
最も新鮮な
生命の泉をくみとる
一個の人間でありたい
誰もが見て
これでこそ人間だと思う
一個の人間でありたい
一個の人間は
一個の人間でいいのではないか
一個の人間
どうか、一人ひとりが、人類が、自ら滅亡に向かいませんように。一個の人間として、自らを愛することができる人で満ちる世の中でありますように。
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