わたしはこれを「愛」と呼びたい(五街道雲助師匠「唐茄子屋政談」)|第460回 国立名人会

第460回 国立名人会

金原亭杏寿 狸札
柳家小せん 弥次郎(代演)
五明樓 玉の輔 星野屋
柳家小ゑん 悲しみは埼玉に向けて
〜仲入り
立花家橘之助
五街道雲助 唐茄子屋政談

20220813
国立演芸場


雲助師匠強化週間の振り返りのつづき。

久々の国立名人会。お目当てはもちろん、雲助師匠の「唐茄子屋政談」だったけど、玉の輔師匠の「星野屋」も、小ゑん師匠の「悲しみは〜」も楽しみで。

そういえば、昨年にも雲助師匠が主任の国立名人会があったけど、雲助師匠のコロナ罹患で白酒師匠が代演されたんだよね。
あのときは本当に心配で堪らなかったので、今こうしてお元気で高座に上がられているのが、改めて、なんと有り難いことか。

この日は文菊師匠がコロナ罹患で休席。代演で小せん師匠が「弥次郎」をかけてくだすった。
何度聞いても不思議な噺。最初聴いたときは、目まぐるしく変わる風景に頭がおかしくなりそう!と思ったけど、だいぶ慣れてきたので、今はご隠居と一緒に弥次郎のウソを楽しめるようになった。


玉の輔師匠の「星野屋」。
わたしは寄席でしか聴いたことのない師匠で、「つる」すら大幅に改作されていたのがとても印象的だったので(面白かった)、一体どんなことになるのだろう…?と。

ちなみにわたくしですね。「星野屋」を聞くと、「旦那チミね、そうやって相手を試すようなことするからモテないんですよ!お分かりッ?!」という気持ちになってしまうんですけど。玉の輔師匠版は、冒頭からお花さんがだいぶポワッポワしていて、なんか……すごくどっちもどっち感が強くて、面白かったですw 
ちょいちょい差し挟まれる現代風の擽りも玉の輔師匠ならではという感じで。でも重吉の腰巾着感はやっぱりムカつくw

小ゑん師匠の「悲しみは埼玉に向けて」。
わたしは円丈師匠は結局高座を拝見することが叶わなかったんだよね。でも師匠が作られた作品を、新作派の師匠方が受け継いでいらして、こうして寄席で聴くことができるのが嬉しい。

北千住へのディスりのひどさに笑いつつ、最後のおじさんから女の子へのエールに、不覚にもちょっとほろっときてしまった。無責任な応援ではあるのけど、たまに無関係の第三者からああやって背中を押してもらいたい日って、あるよね(どうした)。

雲助師匠の「唐茄子屋政談」。
この噺も師匠版をまだ聴いたことがなくて。今年は師匠での初聴きの噺がたくさんで嬉しい。

若旦那が長屋のおかみさんに売り溜めをあげたことをおじさんに伝えた後、おじさんが「お前は若いからわからないかもしれないが、金さえ渡せば人を救えるというわけではないんだ」と言っていて。
一部の台詞だけに注目するのあまり良くないかもしれないのだけど、このおじさんは、飛び込もうとした相手が若旦那でなくても、助けて面倒をみてやったんだろうなと想像できて、じんわりきてしまった。

最初に唐茄子を売ってくれる職人さんも、買い渋る仲間に「お前も同じようなしくじりしたことがあるだろ」と言っていてね。失敗をしたことがある人って、やさしいね。

そう、おじさんも、職人さんも、ひとにやさしい。それも、本当の意味で、やさしい。
もちろん、おじさんとおばさんの「甥っ子が可愛くて仕方ない」という身内の情愛の描写も愛おしいのだけど。それ以上に、雲助師匠の描く市井の人々の情の、なんと滋味深いことか。江戸好みの方々には怒られてしまうかもしれないけど、わたしはこれをもう、「愛」と呼びたい。


若旦那もすごく良かった。おじさんがちょっと甘い顔を見せると、すぐ調子に乗ってへらへら軽口叩いたりして。頼りなくって、まだまだほんの子どもなの。とてもいい(よくはないけど)若旦那だった。

頑張って「とうなす〜」と売り声を出すところ。遠景に吉原を眺めながら(ニクすぎる…)、単に吉原でのイイ思い出を呟くだけでなくて、花魁に裏切られたことをどうしても信じられないと言う若旦那の純粋な恋心。ああ、この人は本来とても純粋な人なんだなあと。

だからこそ、長屋の大家さんに食ってかかっていった場面が響いた。
およそ人を殴ったことなどなさそうな若旦那。精一杯の勇気を振り絞ったのだろうし、こうして義憤に駆られたのは、きっと初めてだったんだろうなと思う。

痛い目に遭っても、喉元過ぎれば熱さを忘れてしまうこともある。けど、この若旦那はこれから先も大丈夫なんだろうなって。
これから先も、調子に乗って軽くしくじることはあるだろうけど、その度におじさんや周りの人たちに叱られながら、成長していくんだと思う。



わたしは人間がヒネているので人情噺を聴いても素直に受け取れないこともあるのだけど、「佃祭」に続き「唐茄子屋政談」も、とてもまっすぐ、そこに描かれる愛を、人情を、受けとったなァという気がしている。

もちろん雲助師匠の口演だから、というのは多分にあるのだろうけど。
それは師匠が(噺のなかの聴かせどころにきっと実感をお持ちになったうえで)、噺の良い部分も、登場人物のダメな部分も、ふざけた部分も、同じ温度感で演じてくださるからではないかな、と思っている。
"良く"しすぎないところ、それなのに溢れ出る説得力に、わたしのヒネた心も開かれてしまう、のかもしれない、なんて思ったり。

自分にとって、相手の言葉がまっすぐ響いてくる人。そういう人に出会えることは幸福だなあと、改めて思う。(ちなみに、わたしにとっては白酒師匠もそういう人。)

とかなんとか思いながら深夜に書いていたら、なんかウェッティなnoteになっちゃった。今日のところは、ここいらでおわりにしておこう。
次は「電話の遊び」だぞ!(つづく)



【追記】若旦那と花魁の恋について

若旦那が勘当になった後、花魁の態度が変わる様子を見せる演者さんも結構いらっしゃると思うのだけど、そういえば、先日の雲助師匠版には花魁その人は出てこなかった気がする。おばさんが間に挟まって、二人が引き離されたことだけ、若旦那が追い出されたことだけが、わかる。

だから。もしかしたら、花魁も同じだったのかもしれない。若旦那の恋は、じつは本物だったのかもしれない……そんなかすかな余韻があって。それは単にわたしがそういう気分だっただけでなく、師匠の見せ方なのだと思うのよ。粋、、いや。許されるなら、わたしはこれを師匠のロマンと言いたい。

この恋の余韻はあくまでも副次的な要素にちがいないけれど、思い返せば、物語全体の説得力や共感の裏にも、そういったディティールの描写が積み重なっていたんだなぁと気づいて、改めて唸ってしまった。

わかりきっていたことだけど、師匠、やっぱり凄いや。

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