小満ん夜会と、「一刀成就」にまつわる勝手な妄想
今年最後の小満ん夜会。今年はこれまでで一番赤坂会館に通った年だった。あの空間で、有望な若手噺家さんからいぶし銀の師匠方まで、じっくりたっぷり聴けてしまうというのは、なんとも贅沢な時間である。
小満ん夜会にも出会えて、嬉しい年であった。
小満ん夜会
柳亭市松 寄合酒
柳家小満ん 犬の字
春風亭柳枝 尻餅
〜仲入り
小満ん 一刀成就
20221202
赤坂会館
演題表には「元犬」と書かれているけど、柳枝師匠曰く「犬の字」という小満ん師匠オリジナルの噺だそうな(『てきすと』その29 にも掲載されているようなので、いずれ入手したい)。
途中まで「元犬」を辿っていたと思ったら、人間になったシロが千束屋の旦那に出会うあたりで話が変わってくるので、もう例のごとく「ふおお…?おおおおお……!」という感じだった(語彙力)。小満ん師匠のこういう裏切り、楽しくって大好き。
未聴の方がご覧になってたらいけないので(ぜひ一緒に「ふおおおお」ってなりたい)、詳細は書きませぬが、「恩返し」という目的を持ったシロの行動はだんだん人情噺のような様相を呈してきて……。と思ったら、あのサゲ。やっぱり落し噺なのね。そんな小満ん師匠の遊び心が光る一席で、また撃ち抜かれてしまった……。
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この日の助演は柳枝さん。柳枝さんをお聴きするたび、わたしにとってはあまり馴染みのない噺に出会えるので、嬉しい。「尻餅」ちゃんと聴いたの、はじめてかもしれない。
小満ん師匠ファンだという柳枝さん曰く、小満ん師匠は本当にいろんなことをご存知で、稽古をつけていただくときも、稽古だけでなくそこに付随するいろんなエピソードを伺うのが楽しいと。
柳枝さんが前座時代に居合わせた、正朝師匠の稽古のお話、面白かったな。楽屋で突如始まる稽古、急に姿勢が改まる師匠の姿。
ちなみにこの日は随談コーナーがあるという触れ込みだったのだけど、なかった。笑
なくても十二分に楽しかったけど、小満ん師匠のまくらも大好きなので、できればお話も聞いてみたい。次回はお話してくださるのかな〜。
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「一刀成就」は、幸田露伴の短編『一刀剣』を落語に仕立てたものだそう。
読んだことのない作品だったので、帰りに青空文庫にないかな〜と探してみたけど、なかった。代わりに、現代語に訳してくれているサイトを発見した。ありがたい。
https://ncode.syosetu.com/n0054ev/
心を入れ替え、精進した者が報われる結末で、基本的には「よかったね」で終わることができる。けど、男の立身出世物語が中心なので、「よかったね」のその裏で、男の物語では昇華しきれないお蘭という女の役どころに、わたしはやはり注視してしまう。
落語では、庄屋の旦那が何度か「どうも色気がありすぎて」と言うように、美しくて、魅力的な女であることはわかる。けれど、それ以外の描写はわりとあっさりしたもので、お蘭の心情には寄せないように作られていたように思う。
ところが帰りがけに現代語版を読んだら、お蘭の事情についてもかなり言及されている。
なんの不自由もないお嬢さんだったお蘭が、ままならぬ生活に疲れていること。生活に窮するあまり、あんなに愛しく思えた正蔵の欠点にも苛立ちを覚えるようになっていること。自分の選択に後悔し始めていること。けれど「情で結ばれた相手」であるが故に、情を交わせばまた正蔵から離れがたく思うこと。そういった心の動きが、溜息混じりのお蘭の気怠げな風情に著されている。
たしかに正蔵にとっては身勝手な女なのかもしれないが、彼女の最終的な選択は、正しくはなくとも理解できる範疇だと、わたしは思う。
根っからの悪女ではなく、本当に生活に疲れてしまって、今の流れをどうにか変える好機、逃げ出す機会を待っていたのかもしれない。
はたまた、今のままでは本当に正蔵がダメになってしまうと思って、尻を叩くためにあえて厳しい選択をしたという、一種の内助の功(?)説も捨てきれない。
現代語訳を読んだ後では、圧倒的に前者であると確信しているのだけど、
──なにしろ、お蘭は正蔵の仕事についてまるで理解をしていない。わからないから正蔵を信じる根拠を持てず、発言を額面通り鵜呑みにするしかない。で、件の夜の自信のなさに、愛想をつかしたのだとわたしは思っている。──落語では初見だったことも含めてか、その余白がお蘭の選択について想像力を掻き立ててくれたことが面白かった。
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(落語を全然わかっていない人間がこういうことを言うのもどうかと思うのだが)このお話、お蘭という女性の生々しさゆえなのか、落語のなかの立身出世物語にしては、ファンタジーに浸りきれない感覚も正直なところあって。いっそのこと時系列から変えてしまって、女性の噺家さんの口演でも聞いてみたいと思った。
ところで。別れた相手の悪口を軽々しく言うヤツは、大体クソ野郎、というのがわたしの持論なんですけど(突然どうした)。だってさー、正蔵もさー、庄屋の旦那もさー、お蘭ちゃんがいなくなってよかった(※意訳)って言うんだもん(どうした)。
もちろん正蔵の場合は強がりもあるのかもしれないし、旦那も親しい間柄だから正蔵を励まそうと同意するのもわかる。なので別に二人をクソ野郎とは思っていないのだけど、わかっていても、ちょっと悲しくなっちゃうのよ。
特に小満ん師匠は淡々とお話しになるから(もちろんその淡々さがいいのだけど)、ここでは割り切られてしまった感じがあって、こう、なんて言うんですか?古傷が若干疼く感じがあるんですよ、わかります??わかりませんか、そうですか。
成功した正蔵と、いっそ悪女としての道を突き進んだお蘭の人生が、未来のどこかで一瞬すれちがうようなことが起きて、過去の顛末が紐解かれていく、みたいなものをちょっと聴いてみたい。回想というクッションがあれば、生々しさとファンタジーがうまく混ざりあって受けとめられる気がする。それが落語にふさわしいかは、わたしにはわからないけど。ええ、素人の無責任な妄想です。
というか、そもそも「正蔵とお蘭」ではなく、「刀鍛冶の男の物語」を中心に据えているからこそ、「一刀成就」というタイトルを付けていらっしゃるのでしょうけど。スピンオフの妄想ということで許してください。
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それにしても、「情の相手」という言葉の鋭さよ。惹かれ合う相手だから幸せになれるわけではないんだよなぁ。
お蘭が、正蔵の仕事や腕を理解しようと努力するような性格であれば、あるいは自分が働いて支えようとする女であれば、ふたりの結末はまた変わっていたのだろうが、どこまでいってもお嬢様気質というか、受け身で。お蘭も、正蔵も、お互い受け身で。どんなに強く惹かれあったとしても、つくづく相性のわるい相手というのはいるんだよな、となにやら身につまされてしまった。
わたしが同じ女の立場だから思うのかもしれないけれど、お蘭のとった行動は悪い側面だけではなかったと思うんですよね。実際、お蘭に裏切られるという「大事件」が起きなければ、のらくろな正蔵はいつまでもうだつが上がらないままだったろうし。だから、「成功したはずの男を捨てた、情の薄い愚かな女」として報いを受けるのでなく、正蔵が成功したのと同様に、お蘭ちゃんにも幸あってほしいというのが、正直な感想です。
自分の行いを反省して地に足のついた真っ当な道を歩むにしろ、もう振り切ってしまって悪女の道を突き進むにしろ、はたまた別の生き方であるにしろ、お蘭ちゃんにもとにかく面白おかしく生きていってほしいよ。
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来年も引き続き、赤坂の会に通えたらいいな。
座布団席で、荷重ポイントを徐々にずらしながら、いかにお尻が痛くならずに過ごすか、みたいなのもだんだん楽しくなってきました(え)。
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